ロスハイムストーリー
水渕成分
第1話 第1章 感情を失った少年戦士が笑顔を取り戻すまでのお話1
「はい。クルト君。今回もご苦労様」
また…… だ。
僕はギルドの窓口でシモーネさんの笑顔に釘付けになってしまった。
なんて心惹きこまれる笑顔なんだろう。目線が外せない……
シモーネさんは笑顔のまま続けた。
「あらあら。また、トリップしちゃったんだね。この子は」
「おっしゃあっ、今回も俺が気合入れてやるわっ」
後方の席で一人で飲んでいたグスタフさんはおもむろに立ち上がると、バンッと僕の背中を右手のひらで叩いた。
「おーい。クルトーッ、帰ってこーいっ!」
僕は我に返った。
「あ、はっ、はい」
「ふふふ」
シモーネさんは相変わらず笑顔だ。
「大事なクエストの報酬だからね。ちゃんと受け取って」
「はっ、はい」
わずか銅貨十枚の謝礼。それでも生きていくための大事な生命線だ。
僕は大事に懐にしまい込んだ。
◇◇◇
僕の名前はクルト・ギュンター。
これでも「元いいとこのボンボン」だ。
あくまで「元」だが。
◇◇◇
僕の両親はそこそこ大きな商人だった。僕はそこで何不自由なく育った。十歳までは。
両親の率いたキャラバンが野盗に襲われ、潰滅したという情報が入ってからは、全てが電光石火だった。
何人もいた使用人は一人残らず、金目のものを持って逃げた。
家屋敷はよく分からない大人たちが「売掛金の回収」と称して、乗り込んできて、僕は着のみ着のまま家から追い出された。
この町ロスハイムの警備隊はその野盗討伐を大々的に実行し、野盗たちは皆殺しにした上で、財産を没収した。
しかし、それは全て町の歳入となった。
その中の相当な量は僕の両親が持っていた商品のはずだが、そんなことは全く関係ないそうだ。
町当局としては、町の経済に悪影響をもたらす野盗どもを退治すれば、殺された商人の遺児がどうなろうが知ったことではないのだそうだ。
かくて世間知らずのボンボンが寒空の下、一人で立ちすくむことになったのである。
◇◇◇
全ての人間がそうではないだろうが、一部の人間はあまりにも受け入れがたい現実が次々襲い掛かると、その受け入れを一方的に遮断して、己の精神崩壊を防ごうとする。
僕もそうだった。
全ての現実を受け入れることを拒否した僕は、ただただ立ちすくんでいた。
それを救ってくれたのは、グスタフさんだった。
グスタフさんは僕を助けた理由をこう言った。
「ギュンターさんには借りがあった」
◇◇◇
だけど、僕が元の生活に戻れる訳がない。
グスタフさんはギルドの建物の一番小さい部屋を斡旋してくれたが、自分で稼ぎ、そして、自分の身は自分で守れるようになることを厳命した。
曰く「ギュンターさんは凄く稼ぐ力を持っていた。だけど、身を守ることは、最後まで護衛任せだった。そして、それが命取りになった」
翌日から、僕はギルドでクエストを捜し、自分で稼いで、自分の身を自分で守る生活に突入した。
感情を無くしていたことが、逆に幸いだった。
まるで、定められたかのように、毎朝、ギルドでクエストを捜し、生活費を稼ぐ毎日……
そのことに溶け込んでいった。
◇◇◇
僕は商家の跡継ぎとして、読み書きや計算は叩き込まれていた。
だけど、戦闘訓練なんかしたことはない。
でも、そんなことは言っていられない。いきなり実戦だ。
幸いクエストは難しいものばかりではない。
僕が専ら請け負ったのは「手紙の配達」だ。近隣の別の町に「手紙」を届けるというもの。報酬も最低ランク銅貨十枚。
別の町に「手紙」を届けに行くに当たっては、主要街道さえ通って行けば、そう強いモンスターは出てこない。
弱いモンスターは出てくる。但し、僕も弱い。
初めてスライムに遭遇した時の衝撃は、今でも忘れられない。死んだ父さんからは「スライムは人間を恐れて荷馬車隊には近づいてこない」と聞いていたが、僕には平気で飛びかかって来た。
スライムは、液体と固体の中間のゲル状だ。でも、思い切りぶつかって来られると、ものすごく痛い。
こちらが必死になって棒を振っても、なかなか当たらない。怖がって目をつぶってめくらめっぽう振り回しているだけなんだから、当たらなくて当たり前だけど……
たまに当たっても、相手はなかなか倒れない。おかしい。スライムって雑魚だったんじゃないの。その時はそう思った。だけど、僕の攻撃が1ポイントずつしか相手のヒットポイントを削らないんだから、これも当たり前だ。
え? 他の人のパーティーに入れてもらえばいいのにって? 誰がレベル1の何も出来ない少年と組みたがるっていうのさ? それに甘言で誘ってくる場合は囮にしようと思っている可能性が大きい。また、パーティーの中で極端に力の弱い者はアイテムの分け前にもありつけない。
「だから、俺もお前を俺のパーティーに入れない。特別扱いはこのギルド内でお前のためにもならないしな。お前は一人で強くなり、他の奴からお前のパーティーに入れてほしいと言われるような男になれ。お前はまだ若い。絶対になれる。それが俺のギュンターさんへの恩返しだ」
グスタフさんはそう言った。
スライムは、たった1枚の銅貨を吐き出し、ようやく動かなくなった。
何時間も戦った気がしたが、時間にして三十分も経っていなかった。
何だか体が熱くなったような気がした。後で分かったのはレベル2に上がったってことだ。もちろん、これから先はスライム一匹倒したくらいではレベルは上がっていない。
◇◇◇
亡くなった両親は僕に金銭感覚だけは叩き込んでおいていてくれた。おかげで僕は安い報酬を使い込むようなことはせず、逆に貯蓄に励んだ。
少しずつだけど、今の生活に慣れてもきた。多分、気持ちも余裕が出て来たんだろう。それはある日、突然やってきた。
それまで全然気にならなかったシモーネさんの笑顔に目が釘付けになり、目線が動かせなくなってしまったのだ。
「全く色気づきやがって」
グスタフさんは苦笑いしながら、僕の背中を叩いて、我に返らせる。それが定番化してきた。
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