第23話 六波羅舞美々でいっぱい

 『傀儡師クイレィ・シー』は『杜 梓妍ドゥ ヅーヤン』を己のラブドールとした。


「い、痛、いた、やめ。やめて。やめてくださいやめ、やめて」


 腑分けふわけというのは意思のある存在にやるものではない。ただ、それがアンデッドを対象としていれば、感ずる痛みは全て生前の記憶の紡ぐ幻想であり、メンテナンスと称し切り開き、その内部をいじくり回す行いは術者の趣味と実益を兼ねていた。


「大丈夫、痛くないはずだから。大丈夫だから」


 見目が生前、死んだ時そのままの『杜 梓妍ドゥ ヅーヤン』。

 生前のまま美しい彼女。


 そもそも死霊術師ネクロマンサーの作るアンデッドがどれだけ生前の姿や立ち振る舞いを保っているか重視されるその訳。

 それはアンデッドを1つのトロフィーとして見るおもむきが強いため。


 殺害した政敵。

 苦労させられた分、その鬱憤の捌け口を求め、であるならば、その人物を模した存在を手元に置き、欲望の限りを尽くす快感は筆舌に尽くしがたく……

 それが見目麗しければ尚更。


 そして、この『傀儡師クイレィシー』が他の死霊術師と一線を画す理由は、その類まれなる降霊の魔術にある。

 死体に残された魂の痕跡を元に逆算し作り上げた擬似的なものではなく、本人そのもののソレを死体に降ろす。

 彼の『内象世界』にはあの世が確たるものとして存在するのだ。


「ほら、終わった、痛くなかったでしょ、ね、だから、そんな悲しそうな顔しないで。ね?だから……ね?だから……」


「……僕を愛して」


◆◆◆◆


「ああッッ!!」


 沙耶香の口の端から涎が垂れていた。

 眼球が未だビクビクとして視界が定まらない。首が据わらない。


 なんだこれ、なんだこれ、なんだこれは?


「あぁぁぁぁぁぁあ」


「あらあらまぁまぁ、一度途切れてしまいましたか。でも、あなたが死ぬことはないはずなので、安心してください……」


——安心?


「……同情……」


「はい?」


「同情して欲しいのか?」


 沙耶香がボソボソ口からこぼした一言の、その意図。

 それはこの六波羅舞美々に共有された記憶が、全て『杜 梓妍ドゥ ヅーヤン』という女性のものだったからだ。

 全て、彼女の視点で流れていた。


 18世紀中国の狂騒。

 深窓の令嬢として生まれ育ち、許嫁との結婚を間近にしていた彼女。

 そこからの転落。

 『傀儡師クイレィシー

 今となっては六波羅舞美々の異名の一つとなったその名の魔術師にアンデットに貶められて、そして意思のあるまま見せつけられる様に身体を開かれて、


 その、記憶の共有というのが生易しいほどの追体験。


——『杜 梓妍ドゥ ヅーヤン』=六波羅舞美々という真実


 吐く、吐きそう。吐くものが無い。

 涎が垂れて、腹圧で収まっている全ての内臓が肉と皮膚を突き破り飛び出してきそうで、それを必死に押さえ込む必要があると思い込む強迫観念。


 幻覚、幻覚だ。


「なんて……?「同情して欲しいのかっっつってるんだよっ!!」


 口から泡を飛ばし迸るほとばしる沙耶香の声。

 イラつき。

 この状況で感情を押さえる理性が精神の均衡諸共沙耶香のうちから消し飛んでいた。

 屈んだ顔、目。下から見上げる様に睨んだ。

 汗が全身から吹き出て着替えさせられたワンピースを濡らす。


 息が、荒い。荒くて犬の様。

 自分の息と認識できない。

 体はまだ動かない。


「同情……まさか。ふふふ……まさかまさか」


 そうやって返して、六波羅舞美々と名乗る妙齢の女は振り向き、この部屋にいる彼女の仲間と思しき3人へ


「みんな、同情してほしい?」


「「「ぜーんぜん」」」


 3人の女。少女が2人で若い女が1人。

 声を揃えてキッパリと。

 その様を半ば呆然とした心地で眺め、


——ああ、そういうことか


 そうして沙耶香は納得した。

 彼女達はみんな六波羅舞美々だ。

 六波羅舞美々とまったく同一の魂を持つ、肉体以外全て、すなわち魂の上での同一人物。


 それを確証と思えたのは今、六波羅舞美々の『内象世界』から、記憶が、魂の構成要素の一部が流れ込んできたからに他ならない。


 そこから、ほんの少しばかり魔術に対する情報も流れ込んできた。魔術師が秘匿してやまないはずのそれを曝け出した上で記憶の共有を図った彼女、意図がわからない。


「はいはい」


 パンパンと2回、拍手をして仕切り直す合図。

 そして、沙耶香の頬を撫で、


「では、続——


 その頬を撫でた腕が肩まで瞬く間に灰になり、宙を舞った。

 沙耶香は『死』の魔術を起動した。

 直接触れた腕から魂を吸い取り、せめて目前の妙齢の女の六波羅舞美々だけでもぶち殺そうと思ったのは、やはり冷静な思考の欠如。

 それも不発に終わったが。

 ここにいる六波羅舞美々全員の体は全てお手製のアンデッド造り。

 で、あるならその在り方は生体より物質に近く、その繋ぎ合わせた継ぎ目である肩までを灰にして、それで終わった。


 無理矢理にでも身体を動かそうと首を狂った様にのたうちまわらせながら、沙耶香は


「殺すっ殺っ、殺してやる……」


 うわごとのようにブツブツと。

 最早、冷静な思考は無く正気も消し飛び始めている。

 他者の記憶と人格を無理矢理ねじ込まれることはそれほどの苦痛。

 自我が消え失せることへの恐怖を抱かせる。

 それを見ながら、いたって変わらず消えた右腕をやや惜しむように


「腕、スペア持ってきて……」


 そう言いながら記憶の共有の続きを行なった。


◆◆◆◆


 その日々はいくらか穏やかな物であった——と言うには、そこへ至るまでの経緯を無視する必要がある。

 つまり、杜 梓妍ドゥ ヅーヤンがささやかな抵抗を止めるまでの。屈服に至るまでの、心が折れるまでの道のりを。


 仕置きと称して5体をばらされ、それを生首のみの状態で1ヶ月ばかり眺めさせられたことがあった。

 そうして、自分が生前の姿に似ただけのまったく別物の化け物に成り果てたことを悟らされた。


 仕置きと称して、売春させられたこともあった。深窓の令嬢として育てられた彼女。

 女など所詮肉壺と言って憚らぬはばからぬ奇特な趣味の魔術師、非魔術師を問わず上客向けに設えられたその部屋で、時に複数人を相手に、時に1人を相手に、時に人ならざる物を相手にする様を眺められたり……アンデッド故に、死なないことを利用した遊びにも付き合わされた。

 彼女と寝る権利には莫大な値が付いたと言う。


 そうしていくうちに、段々と自分はただの物であるという意識が芽生え始める。

 過酷で、残酷な日々の中、元より深窓の令嬢たることを決定づけられて、その型に嵌め込むように自身を律してきた人間性。


 その人間性は、自分を一体の人形と思い込み、そして『傀儡師クイレィシー』の愛しい恋人であるという1つの型へ適応した。


 これが、穏やかな日々へ至るまでの道のり。


 朝、起きて、用意された朝食を食す真似事をして、日がな窓際でボンヤリと外を眺めて、変わりゆく季節と時代に、しかし心を動かされることはなく。

 時折部屋を訪れる『傀儡師クイレィシー』と楽しく。理解し難くはあるが、実際に楽しく談笑して日々を過ごす。


 そして眠る真似事もする。

 『傀儡師クイレィシー』自身の体もアンデッドなので、性交を行うことはない。ただ、時折ベッドに潜り込んできて、愛を求めてくることがあった。

 他者にあれだけの仕打ちをしておきながら、しかし、本気で愛してもらえると思い込んでいる、その人格の破綻。子供じみたと断ずるには邪悪すぎる、ソレ。

 ソレを本気で愛しいと感じる『杜 梓妍ドゥ ヅーヤン』の成れの果て。


 そんな穏やかな日々の裏で、彼女のうちに、その特異な変化を遂げた人間性から、特異な魔術の才が目覚めることになったのは、そんな生活が50年ほど続いた頃。


 そして、己を律してきた彼女が、その人間性を発露し始めたのも同時期。


 最初は、本当に、ただ、愛しいと思ったのだ。

 『傀儡師クイレィシー』は本当にただ、無邪気で幼児の様。普段使う体も概ね成長期を迎える前の少年の姿で統一されて、アジア系らしく彫りの薄い顔立ちは、その目立った特徴の欠如から妙に艶かしく美しく、しかし、アンデッドに子孫を残す機能と欲望は無い。


 健全なる肉体には健全なる魂が宿ると言うが、しかし、死した肉体にはそれ相応の、言ってみればその器に適応した魂が醸造されるのだ。

 それ故に、他者と1つになり、混ざり、新たなる自分を作り出す。欲望。

 

 詰まる所、『杜 梓妍ドゥ ヅーヤン』の最も原始的な『内象魔術』はその様な物であり、ある朝、しとねを共にした後に、隣に中身のいないアンデッドと、自身の中に『傀儡師クイレィシー』の存在を感じて……


「ふはっ」


 他者と遺伝子を混ぜ子孫を残すことは人類という種の環境への適応能力の獲得。

 それを種ではなく、彼女は個でやってのけた。


◆◆◆◆


「あ……あ……」


 沙耶香はビクビクと痙攣を繰り返していた。

 そんな姿を横目で、じっとりと眺めながら妙齢の女六波羅舞美々は黒いネイルの爪をカリカリと、付けたばかりの右腕の挙動を確かめがてら人差し指と親指を手持ち無沙汰に擦り合わせている。


 が、その脳の内では沙耶香から受け取ったその記憶と人格の吟味を進めていた。

 これは、あくまで記憶と人格のコピーを互いに差し出し合うこと。

 六波羅舞美々という全ての情報を差し出す代わりに、相手の全ての情報を引き出す。

 足し引としては代償は吊り合い過ぎていた。


 で、最初は恍惚とした表情でそれを進め、自分の目と勘に狂いはなかったことを確信していたが、それが、途中から、彼女にしてはとても珍しいことに険しい表情。


「なんか問題?」


 妙齢の女六波羅舞美々に話しかける地雷ファッションの女六波羅舞美々


 残った2人の少女六波羅舞美々は、事の推移を静かに見守りつつ、時折、呻き声を上げる沙耶香の頬を面白半分でつつくなどしている。


「問題っていうか、厄介なのがガッツリ関わってるなって……」


「って言うと?」


「ケイン・レッシュ・マがね……」


「まじ?あれが?」


 その言葉に2人の少女六波羅舞美々達も反応。不安気に視線を向ける。


「ズブズブの関係って事?」


「ズブズブっていうか、簡単には説明しづらいな、みんな、手出して……」


 妙齢の女六波羅舞美々が言うなり、全員手のひらを差し出して、それに順にハイタッチ。


「うわっ、うわっ何これ、恋人で肉体関係もあって、そんでもって……うわっうわっ、エッグ〜〜……」


 そうやって漏らしたのは地雷ファッションの女六波羅舞美々

 彼女達は同一の魂から分けられた存在。

 他者を吸収し、肥大化し、個にして多の性質を兼ね備えた魂は複数に分割できる道理。

 しかし、大元が1つであれば、魔術的手段——単に掌を合わせるだけで思考の共有が為せた。


「あれが特定の奴に執着するのってそうそう無いと思ってたんだけど……」


 そんな風に彼女達が沙耶香の記憶から得た情報の吟味を進める中で、その当の沙耶香は数百年に渡る六波羅舞美々のその記憶と人格と生き延びた風月の波に溺れる。


 そうして、自分の中の本質的な何か、血液とも体力とも魔力とも違う本質的な何かが潰えるのを感じて……


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