part2

第8話 前夜 上

 その冷たい手と、悲しげに恨み言を吐く女の声をよく覚えていた。

 自分が生まれ、物心ついた瞬間には毎日その文言に晒され、晒され続けたため、自然そういうものと受け入れていたが、どうやら世間一般でそれは幼児の生育にあまり良くないと言われるらしい。

 そのことを知ったのは、その女の人が死んでから。


 その人が死んでからは、たまに顔を見ることのあった男の人と、それから自分に色んなことを教えてくれた2つ歳上のませた女の子が世界の全てだった。

 彼女に恋慕らしきものを抱いていた記憶もある。


 しかし、結局のところ自分の心は醜悪で、捻じ曲がっていたということか。

 その女の子を殺さなきゃいけないこの状況。

 それでもなお、心の痛むことはない。


 ただ幼き日に聞かされ続けたある女性の——母の遺言に囚われ続けている。


「おはようございます。徳人」


 木製のチェアに腰掛け、アイマスクで視界を塞ぎ仮眠を取った徳人はその冷徹な声で目を覚ます。


「どのくらい寝てた?」


 目元を露わにしつつ徳人は尋ねた。

 部屋はヴィンテージの木製家具で統一され、重厚な樫を素材としたデスクを挟み向いに女性が立つ。

 表情が無機な一方で、黄色味の強い金髪が目に刺さる印象。

 そして立ち振る舞いと身体つきは明らかな荒事向きに練り上げられた肉付き。


「15分、くらいでしょうか」


 彼女が15分と述べたなら、それは数コンマ差もなくきっかり15分なのだ。 

 そんな正確な体内時計を職業柄か、彼女は備える。


 とはいえ、現在の職務は大方、盧乃木徳人の秘書。

 

(彼女、エイブスとの付き合いも6年か)


 6年前、即ち10歳の頃にアハト・アハト・オーグメント伯爵から付き人として組むことになった女性、エイブスはその6年前からまるで姿形が変わらない。

 おそらく彼女自身、見た目の変わりにくい体質なのだろう。もしくはそのための努力を欠かさないのか。


 徳人は少し伸びをしつつ考え、着ている燕尾服を整えた。

 年若い16歳の少年は、その精悍な顔付きと身振り手振りでその衣装を見事着こなす。


「エイブス、じゃあ行こうか。全員揃ってるんだろ?」


「はい、それと、」


「ん?」


「盧乃木沙耶香から後藤を引き剥がすのに使った2人組の……」


「ああ」


 徳人はこの瞬間までそのことを忘れていた。自分で雇った二人組の刺客、確かチェンイェンだったか。

 その内一方、金髪の柄の悪い男、チェンだけ生き残っている。

 なぜなら徳人自ら魔術で手当てしてやったから。


 それでも、やや興味のほかで忘れていた。


「あの男、今どうしてる?」


「起き上がって以降『イェンったあの男を殺させろ』と喚いています。暴れたので今は客間で拘束してますが」


「ふむ……」


 徳人があの男をわざわざ治療してやったのはまだ使い道がありそうと、ほんの少し興味が湧いたからに他ならぬ。

 それもここ数日のうちに失せてしまったが。

 しかし、駒は多くて困ることはない。

 やる気があれば尚更だ。


「よし、まだ時間はあるし、そのチェン君に会いに行こう」


 そして事務室を後にした。


◆◆◆◆


 廊下まで年代物のカーペットが敷かれ、照明は電気ながらシャンデリア風デザインの空間は、その端にあるエレベーターが不釣り合いに見える。


 ここは駅前の高層ビルのワンフロア。

 高層の3フロアを丸々住居兼事務所として徳人が構えたのは、日々の生活をなるべく狭いスペースで効率的に過ごしたい思い故。


 さらに、詳細は省くがこのビルは徳人がつい最近、購入したものだ。

 つまり、このビルのオーナー自体徳人。

 この街で沙耶香が暮らすことを知ってから、凄まじい速さでこの不動産を手に入れた。

 なぜ、ここまでしてこの街に居を構えたのか、それは『咎人狩り』という処罰の性質にある。

 このお祭り騒ぎの主催者兼監督役は、公平を期すため、罪人が到達できる範囲に居を構え、その所在を明かさねばならない。

 そのルールがなくとも事態の隠蔽など庶務に追われるため、沙耶香の住まうこの街を拠点とする必要はあるのだが。

 

 そして、己の所有物の中を悠々と秘書を引き連れ歩み、例の客間の前に着いた彼は、内部から喚き散らす、かん高い声を耳にした。


 防音は完備しているため、よほどの声量。

 そして、木製の、飴のようにテラテラと光を反射する扉を開けたのはエイブス。

 これは中にいる存在のその荒々しさを踏まえて当然のこと。

 そして開けると同時耳をつんざき、


「あぁぁぁぁっ!殺させろっ!あの男を殺させろっ!出せっ!このっくそっ!出しやがれっ!」


 口汚く大声で罵る若い男。

 それが扉の開きに気付いて、


「てめえっこの拘束っ!「うるさいっ!」」


 そのベッドに革のベルトで拘束されたチェンの声など聞きたくないとばかり、徳人は一喝。

 人の精神へ直に突き刺さる様に、素手でまさぐる様で、奴隷が王の命令に逆らえぬ如く、無視し得ぬ一声。

 それでチェンが殴りつけられた様に怯み、そして徳人の方を胡乱げな表情で見つめた。


 続き、徳人が穏やかに口を開く。


「君はチェン君だったかな?」


 彼の本名など調べがついていた。

 それでも偽名の方で呼ぶのは、これからの話が『処刑人』としての彼に対するものだから。


 そして徐に散らかされ、引き倒された高価な棚を避けつつ、壁際に放られた椅子を持ち、チェンの横たわるベッドから1メートルと離れない位置に椅子を置いて徳人は座る。


 間近で互いの顔を視認。

 その傍らでエイブスは見守る。

 相変わらず表情を変えぬまま。


「自己紹介しておくと、私が盧乃木徳人。仲介人を経由して君に依頼した本人さ」


「……」


 立ち場か。

 立ち場がそうさせたのか、チェンは己より数年若い少年の顔をマジマジ見た。

 いち『処刑人』に過ぎぬ彼は依頼人の目的や名前を知ることなど、まずない。

 それは他ならぬ依頼人にとって裏切りや報復のリスクを生むからだ。


 だから、自ら名乗りをあげた少年に対し、返答にきゅうした。


「それと、君の飛び出た腸を中に収め傷の治療をしたのも僕。だから感謝してほしいな」


「えと……それは、ありがとうござい、ます」


 少しずつ思考を働かせ言葉を紡ぎ出した。

 チェンという男は、これまで依頼の手配や、必要機材、道具の調達をイェンに頼ってきた。

 加えて倫理観の指標も彼に仰ぎ、他者に対する依存性を抱える。

 その依存先のイェンが彼に対し、ある時こう言ったのだ。


「目上の人には敬語を使え」


 と。

 このお礼はそれに従い言った。

 で、彼はその依存先の、唯一頼りになる男を失ってしまったため取り乱したのだ。


 そんな彼の背景と人間性を徳人は全て把握していた。この程度のプロファイリング、彼にとって十八番おはこ十八番おはこ


「よろしい。ではチェンくん。1つ残念なお知らせをする。君の相方を殺した男はね、死んだよ」


「え……」


 徳人はまず揺さぶりをかけた。

 揺さぶったなら、すかさず心に取り入り、そして徐々に警戒心を解いてゆく。


僭越せんえつながらね、私の、この隣にいる優秀な部下に対処してもらったんだ。出過ぎた真似だったかもしれないが、君達がむざむざ殺される様を見ていられなくてね」


 「思ってもないことを言うなぁ」と、エイブスはぼんやり考えた。

 そして不意に彼女はチェンの顔を見る。完全に聞き入っている表情だ。


 ここまで来たら後は少し力を加え押すだけ。そして新しい目的を与えてやる。

 それだけで良い。


「でだ、話は変わるが君に追加の依頼をしたい。君の相方を殺した男と一緒にいた女、覚えてるかな?」


 無言で聞き入り、頷くチェン

 彼は目の前の、この親切な人に嫌われたくないという思考に陥る。


「彼女は今、咎人狩りにおける罪人の立場で、どうだろう。君もこのイベントに参加して欲しい?それが君の相方を殺した男への復讐になるんじゃないかな?何、こちらからもサポートしよう」


◆◆◆◆


「思ってもないことを話すのは疲れる」


 部屋から出て徳人は開口一番そう言った。

 先までの同情するような鎮痛な面持ちは影も形もない。実際かけらもそんな事思っていなかった。


「それで、彼、結局どうしますか?盧乃木沙耶香とやらせても勝ち目ないですよ」


 とはいえ、多少の削りにはなるか。

 『咎人狩り』は1ヶ月も報酬目当ての魔術師大勢から命を狙われる処罰。

 熱心な参加者は1人でも多い方が良い。

 エイブスのその思考。


「いや、そんな勿体無い使い方はしない。と。『六波羅ろくはら 舞美々まみみ』と組ませて」


「六波羅……ああ、なるほど。であれば、それこそ細胞一片に至るまで有効活用してくれますね」


 合点が行ったエイブス。

 ただ、「組ませる」とは名ばかりの生贄同然の使い道について何か思う所はない。

 魔術師の世界では利用される方が悪いのだ。そのような倫理観の欠如がこの界隈ではデフォルト。

 で、それはそれとして徳人は1つ訂正を入れた。


「エイブス、六波羅 舞美々はだよ。間違えちゃいけない」


 それだけ言って、その六波羅舞美々含めた3人の、呼び寄せた3人の刺客の待つ部屋へと2人は急ぐ。


 さて、盧乃木徳人はそのツテを使い盧乃木沙耶香を殺し得る3人の魔術師を集めたのだ。

 

 各々の名。

 それは

 舘脇たてわき 六蔵ろくぞう

 六波羅ろくはら 舞美々まみみ

 ラフカン・A・ハーン

 

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