生け簀に住む薬箱

@tomtomto

『生け簀に住む薬箱』

「今日が一番若い日。でもこの薬を飲めば明日が一番若い日」


広至こうしの時代を象徴するキャッチコピーが、無人航空機の空中結像技術によって、目の前に現像される。


空中に浮かび上がる広告を手で払い、僕は椅子から立ち上がった。


汚れ一つない廊下を歩きレストランを出ると、明るめの決済音が左腕から鳴り響く。金額を確認すると記憶より随分減っていたため、キューブから金を借り入金しておく。


記憶ではここまでお金を使った覚えは無かったのだが。


外を出ると、キューブが最適化したであろう風が体を包む。適切な風量、髪を乱さぬ角度、心地よい程度の風の冷たさ、完ぺきである。


- 今日もありきたりな一日が始まった。


文句の付けようのない完璧な風を浴びながら、そう独りごちた。


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「再起不能なまでに広至時代を完ぺきにした」、そう称される技術が2つある。

「キューブ」と「若返り薬」だ。


広至初期、遂にAIが人類の思考力を超越し、シンギュラリティに到達した。


シンギュラリティ到達以前は、数多のデータサイエンティストが人間の知性をAIが超えた世界を予想した。しかしながら、本質的な意味で、誰一人としてその予想を当てることはなかったといえる。


シンギュラリティ到達後、AIが代替すると考えられていた「単純作業」のみならず、人がAIと比べ優位性を持つとされていた「意思決定」や「判断」ですら完ぺきに代替して見せたのだ。


考える仕事はAIの専売特許となり、AIの成長スピードに人間の成長スピードが追いつくことは二度となかった。


キューブをここまで革新的な技術に仕上げた要因の一つに「人の脳みそ」を完全再現技術が挙げられるだろう。


他の追随を許さない試行回数と、莫大なデータ処理技術により、現代医療でも解明されていない「人の脳みそ」の構造の再現が可能となった。


その後、疑似脳を繋ぎ合わせ拡大することで完璧な判断が可能な、少なくとも「人の判断」よりかは正確な判断が可能な、“キューブ”というブラックボックスが生まれたのだ。


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「キューブは再起不能なまでに広至時代を完ぺきにした」

僕ら若者の中で、そのフレーズに同意しないものは存在しない。


キューブはその卓越した知能と社会に強く根付いたがゆえの影響範囲により、自分達人間が必ず幸せになるよう、失敗しないよう、先回りをしてくる。


そう、キューブが行うことは、人間の欲望や無茶の”先回り”なのである。


キューブは人間の行動の「制限」や「禁止」を一切行わず、「先回り」することが最も得意であり、最も特異な点であった。


心を燃やすような火遊びや、後先も採算も考えない無謀な挑戦も、全てキューブが介在することで適度に安全で、適度に成功してしまう「良い」体験となる。


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僕は歩きながら中学の頃の思い出を振り返った。

監視社会に嫌気がさした僕と友達が、服を着たまま、近所の小川に飛び込んだ際の思い出だ。確か小川の名前はriv-溪川だったか。ずいぶん古臭い名前である。


あの時感じた、親、先生、そして何よりもキューブを出し抜いてやった興奮は、夜も眠れないほどだった。友人との内緒の冒険でなければ周りの大人に自慢してやりたいくらいだ。


その体験は子供にとっては正に勇気の表れであり、誉れであった。


その冒険すらもキューブに誘導されたものだと知るまでは。


望ましくないとされる「危険行為」を適度に子供に経験させることも子供の教育にとって重要である。そう判断したキューブは、僕たちに“適度な”危険行為を行うようけしかけていた。


当時を思い返せば、「現体制に不満を持った少年たちが、権力に果敢に立ち向かう!」的な小説・漫画・動画が良く目についたものだ。


恐らく、キューブが僕たちのDi-PCにそのような反権威主義的なコンテンツが頻度高く表示されるよう操作していたのだろう。


Di-PCに頻繁に投影される反権威主義的なコンテンツで僕たちを散々煽った後、キューブは比較的浅く流れが緩やかな川へ、AIマップを通して誘導した。


そして、あろうことか適切なタイミング、適切な高さから飛び込みをするよう秘密裏に誘導していたのだ。


飛び込んだ瞬間、僕たちは全身を水に浸らせながら、それ以上の興奮に浸っていた。


近くに水難救助用のドローンが配置されていることもつゆ知らずに。


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人間の全能力を超越し、全てをコントロールするキューブ。正に神の領域の技術。

しかし、広至時代を代表する最も重要な技術はキューブではなかった。


この世界を再起不可能なほどに完璧にした技術は、「若返り薬」だろう。まず間違いなく。


「若返りの薬」の正式名称は「DCZ」。


「DCZ」は、老化細胞による体内の酸化減少を抑え、中性に変えることで老化を抑制する。更に老化した細胞を除去することで若返りを実現する。


何百年費やしても技術的に不可能だと思われていた「若返り技術」は「DCZ」という薬によって、凄まじいスピードで実現した。


当然、若返りを求める人はごまんといた。若者が急激に増えることで、高齢者問題も解決し、経済成長も加速するかと一時期待された。


しかし、経済成長の伸び率は微塵も変化しなかった。その時点で、既にキューブが殆どの仕事を代行していたからである。


全人類の夢であった、「快適な生活」を「永遠に」。


夢は遂に実現されたのだ。


息が詰まるような退屈感だけを、現実世界に平積みにして。


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あらゆる仕事をする必要がなくなった。

あらゆる努力をする必要がなくなった。

溢れんばかりの時間を手にした。

何かに追われることが永遠になくなった。


それは端的にいうと、人類は「暇」になったということである。


キューブのお陰で、犯罪行為を除く全てのことに簡単に挑戦できたし、何よりも「若返りの薬」が提供する延々と続く時間が全ての挑戦を可能とした。


やりたいことなど、何百年も続く広至こうし時代の間に、とうにやり尽くした人が大半だろう。


キューブによって最適化された風を全身に浴びる僕も、ご多分に漏れずその一人だ。


僕も同じく人生に飽きていた。

何度、若返りの薬を飲んだかわからない。


若返ることが出来る単位数まで決まっており、一日・一週間・一カ月・一年・十年などである。一年以上は病院で許可をもらう必要があるが、それ以下の日付は簡単に手に入る。


「キューブ」と「若返りの薬」によって、人生は十二分に謳歌したが、流石に飽きてきた。


そろそろ、“グレートリセット“の下で、全てを終わらせることも選択肢に入ってくるだろう…




…自殺願望が浮かぶのは、飽きが強すぎる証拠だ、と何処かの専門AIが述べていた気がする。このままではいけない。


“飽き”に対処するために胸が躍るような経験はないだろうか。もちろん”グレートリセット” 以外で。


そんなタイミングを見計らったかのように、実際キューブが見計らっていたのだろうが、一つの広告が目の前に現れた。


「完璧な日々を彩る、”特別な日”を提供します」


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「完璧な日々を彩る、”特別な日”を提供します」


そんな謳い文句の下、「Deep-Free」というサービスについての広告が流れてきた。キャッチコピーに惹かれ、サービス概要を読み進めると、驚きの内容が記されている。


「Deep-Free」サービスを端的に説明すると、一日だけキューブの監視下から逃れられるサービスだ。


独自のアルゴリズムとウォールを作成し、キューブアカウントと連携することで、キューブの監視対象から逃れることが出来る。


キューブの監視対象から逃れられる。

現代を生きる人間にとって、それはまさしく恐怖そのものでもあり、真の自由と呼ぶべきものでもあった。そして、それは抗いがたい誘惑を多分に孕んでいた。


「Deep-Free」サービスは決して安い買い物ではなかったが、僕は腹をくくり注文する。

腕に装着している端末から、大金が引かれた。




さあ、何をしようか。

何でも出来る。


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監視下から逃れたら、まず始めにやりたいこと。


それは当然、マクドナルドのポテトL一気食いである。Lサイズの一気食いなんて、確実にキューブに止められる行為だ。

キューブの監視下に無かった昔の人々は、Lサイズの一気食いを定期的に行っていたらしいが、正気の沙汰とは思えない。


そもそも、一気に食べることが許されない商品を販売している店も悪いとは思うが、それでもLサイズの一気食いは何百年経っても魅力的な行為だろう。


急激に上がる血糖値の心地よさと眠気を充分に堪能した後、僕は個人用地下カプセルに乗り込み、周辺で一番大きい街に足を運んだ。


血糖値の上昇により、一時的にハイテンションになった僕は、手当たり次第女性に声をかけた。今となっては犯罪行為に当たるガールハントに手が震える。


ガールハント、もしくはナンパというそうだが、これがなかなか難しい。


なにせ現代の男性と女性は男女差が全くない洋服・髪の長さ・化粧をしているのだ。


肩幅の広さと背の高さでしか判別出来ない。


しかし、逆をいえば2分の1の結果で女性への声掛けが成功するのだ。ポテトのドカ食いなんかよりも真っ黒な犯罪行為に僕のテンションは最高潮に達っする。


ガールハントをすれば、急いでいる女性以外、足を止めてくれた。この時代に急いでいる人類など殆ど存在しないため、つまりほぼ100%の確率で僕と話してくれることとなる。


話の内容から僕が男性であることに気が付き、彼女らは軒並み少し驚くが、僕を無視することは無かった。もちろん、理由のない無視は民事トラブルに発展するからである。


他愛も無い会話を5~10分程度続けた僕は、ガールハントの成果に大満足し、その場をさった。


女性と話せた。今日は非常に良い日だ。


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その後も思う存分自由を満喫した。


大人なのにも関わらず、公園の遊具に登ってみる。

宇宙エレベータを支える通称”蜘蛛の糸”の途中で宇宙エレベータを止め、空を埋め尽くす勢いで飛び交う衛星と夕焼けを同時に眺める。

しまいには昔飛び込んだ小川まで足を運び、飛び込まないまでも水切りをしてみるなど、キューブが存在しない自由を謳歌した。


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気がつくと外は真っ暗で、人通りも少なくなってきた。そしてそれは、キューブから逃れる一日の終わりを意味していた。


この特別な日の締めくくりは決まっている。


「Deep-Free」利用者限定サービスである「映画視聴」である。


Di-PCに導かれ、こじんまりとした映画館に到着した。


その映画館では、キューブによって視聴を禁止されている過去の映画を見返すことが可能である。


僕が「Deep-Free」の購入を決意した理由でもあった。


僕は古めかしい垂れ幕を潜り、声を潜めてスクリーンの前を通過した。幸いにもこの映画館には誰もいないようだ。モッサリとした椅子に身体を沈め、固い肘置きに両手を投げ出す。


映画館の中は少し肌寒い。それは、キューブによる完全無欠な冷房管理が行われていないことの証明であり、その事実が僕を興奮させた。


陽気な音楽とともに、主人公による「おはよう! 会えなきゃこんにちはとこんばんはも!」という不思議な挨拶を皮切りに映画が始まった。


僕が長時間悩み抜いて見ることを決めたその映画は、遠い遠い過去に上映された「トゥルーマン・ショー」という作品である。


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「トゥルーマン・ショー」は、妻と共に一軒家に住む、ごくごく普通なサラリーパーソンを主人公に添えた映画である。


主人公は、「不測の事態に備える」という、どこに需要があるか全く分からないサービスを提供する保険会社に勤めており、一軒家のローンを返すために汗水垂らして労働する様は実にコミカルである。



ある日、会社に向かうため、自宅を出た主人公は玄関の目の前である落下物を見つける。


おそるおそる近づくと、それはカメラだった…それも一般的なカメラではなく、テレビ番組を撮る時にしか使用されない高性能なカメラだった。


なぜこんなものが…と不思議に思う主人公。

その日から、妙な違和感が目につき始める。


- 街の外に出ようとしても、あらゆる人があらゆる手段で止めてきたり、

- エレベータの扉を開けると、そこにはエレベータがなく、まるでテレビ番組の裏側のような舞台装置がセットされていたり、

- 自分の真上にだけ雨が降ってきたり、

- 妻が会話の途中に突然持っていたココアの宣伝を始めたり…


奇妙な違和感を抱きつつ日常を過ごす主人公。ある日、一人の愛人にこう伝えられる。


「みんながあなたを見ている。私の本当の名はシルヴィア。これも舞台装置、これは番組のひとつなの」


その愛人が言うには、主人公が生きてきた数十年の人生は全てテレビ番組として放送されていたのだ。


もう少し丁寧に説明すると、数十年間に渡る主人公の私生活は24時間全て、世界220か国17億の人間が視聴する番組『トゥルーマン・ショー』という一つの番組として生放送されていたのだ。


その事実を知らないのは主人公のみで、主人公の周囲の人間はみんな俳優であり、主人公が今まで住んだ街も全て「舞台セット」だったのである。


実際に、主人公が住む街は、カメラ5,000台がセットされており、天候、気象現象もすべて作りもの、太陽、月、星、海もすべて装置によって作られていた。


そんな世界の真の姿に気付いた主人公は街の外・世界の外、番組の外に脱出しようと決意する…


これが映画『トゥルーマン・ショー』である。


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『トゥルーマン・ショー』を見終わった僕は、腹に熱いものが溜まるような感覚に陥った。年甲斐もなく強く興奮していた。


明日からキューブに、少しは反抗する生活をしても良いかもしれない、と心からそう思うほど。


熱い気持ちを抱えたのまま、僕は帰路につき、家についた。家に着くとちょうど良い明るさの光が部屋を照らす。


あまりにも一日が充実していたせいか、家に着くや否や、強い眠気に襲われた。


どうか、この熱が明日も残っていますように、そう思いながら僕は眠りに落ちた。


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朝、キューブの声で目が覚めた。

朝食を取りに行く時間である。


最適に調整された音楽と調光によって、眠気を感じさせないよう起こされた僕は、個人用カプセルに乗り、身支度をしてもらいつつ、いつものレストランに移動した。


レストランに着くなり、普段と同じ系統の料理を注文する。当然出てくるものは、身体に最適化しつつ僕の好みに合わせた料理である。


そんな料理を目の前にした僕を、昨日の朝よりも深い絶望感が襲った。


また、あの退屈な日々が続くのだ。


そして昨日よりも辛い事実が一つ。

もう「Deep-Free」は使えないと言うことだ。


というより、「Deep-Free」を使っても昨日のような楽しさを味わうことが出来ないのである。なぜなら、すでに僕は「Deep-Free」を経験してしまっているから。


「Deep-Free」の画期的な所は、その”未体験さ”や”特別感”を存分に味わえることである。


一度経験して仕舞えば、「はじめての経験をした日、という”特別な日”を経験出来なくなるのは自明であろう。


以前にもまして、強い絶望感が僕を襲う。いつも食べている朝食がより一層不味く感じ始めてくる。


「新しい経験をする」とはなんと甘美で残酷なものだろうか、そう思わざるを得ない。


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光のない暗闇を彷徨っている感覚が拭えないまま、机に投影されたキャッチコピーに何気なく眼を配る。




「今日が一番若い日。でもこの薬を飲めば明日が一番若い日」




電流が全身を駆け巡った。

そうだ。「若返りの薬」だ。


「若返りの薬」は、身体を一日単位で若返らせることが可能である。


そして、確か倍の料金を払えば、若返り範囲に「記憶」を設定可能だった。


つまり、一日の記憶を完全に消去することが可能なのだ。


記憶の若返り・記憶の消去を行う「グレートリセット」こそが、「若返りの薬」の画期的なサービスであったのに、なぜこんな当たり前のことを見落としていたのだろう。


早速、僕は薬を注文した。

昨日の「Deep-Free」と通常の倍の金額である「若返りの薬」を購入したことで、大量のお金が口座から消えた。


しかし、こんなもの安いものだ。

昨日の「たった一日しか経験出来ない”特別の日”」を再び経験出来るのだから。


あっという間に、「若返りの薬」が宅配用ミニカプセルを使って飛んできた。こんな小さなカプセルで記憶を飛ばせるのか、と少し驚愕する。


効果が現れるまで少しかかるため、僕はレストランに突っ伏して寝ることとした。


ああ、最高の気分だ。

特別な日をまた迎えられるなんて。


僕は、昨日一日の記憶をグレートリセットし、ゆっくりと目を開けた。


■□ □□ □□ □□ □□ □□ □


「今日が一番若い日。でもこの薬を飲めば明日が一番若い日」


広至こうしの時代を象徴するキャッチコピーが、無人航空機の空中結像技術によって、目の前に現像される。


空中に浮かび上がる広告を手で払い、僕は椅子から立ち上がった。


汚れ一つない廊下を歩きレストランを出ると、明るめの決済音が左腕から鳴り響く。金額を確認すると記憶より随分減っていたため、キューブから金を借り入金しておく。


記憶では、ここまでお金を使った覚えは無かったのだが。


外を出ると、キューブが最適化したであろう風が体を包む。適切な風量、髪を乱さぬ角度、心地よい程度の風の冷たさ、完ぺきである。


- 今日もありきたりな一日が始まった。


文句の付けようのない完璧な風を浴びながら、そう独りごちた。




そんなタイミングを見計らったかのように、実際キューブが見計らっていたのだろうが、広告が一つ目の前に現れた。


「完璧な日々を彩る、”特別な日”を提供します」

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