第18話 悪魔への転身


 アスタロト様は、ひどくむせかえってしまった。


ゴホンとひとつ大きく咳ばらいをわざとらしくなさった。


悪魔になりたいという願いは、よほど非常識なお願いだったようだ。


美貌の悪魔をこんなにも動揺させてしまった。


「我が悪魔だからといって、必ず魂の契約をしなくてはいけないと考えなくていい」


「そんなことは、考えていませんでした。でも、ダメでしょうか?」


「ダメだ。よく考えなさい。第一、魂の契約とは、悪魔になるための手段として用いるものではない。欲深い人間が、悪魔と魂の契約をすることで、死後、契約者の魂を悪魔に食われて、未来永劫、人間として復活できなくてもいいから今生こんじょうの願いを成就させるという、実にハイリスク、ハイリターンな、悪魔に優位な契約なのだ。騙されていかん!」


「すみません。存じ上げませんでした」


悪魔なのにアスタロト様は、お父様なみに心配しすぎではないだろうか。


公爵の位まで有するほどの悪魔なのに、悪魔家業に異議を唱えるなんて。


なんだか、可笑おかしい。


「でも、シンシアは、アスタロト様と魂の契約を結んだのですか?」


だとしたら、なんだかシンシアがうらやましい。


「シンシアは、違う。悪魔に転身させたのだ」


「転身?」


「人間界の転職みたいなものだ」


「ならば、わたしもそれをしてください」


「マリー、シンシアをみたろう、見紛みまごうことなき悪魔だったろう」


可愛らしい尻尾がついていただけだ。


恐ろし気な感じは一切なかった。


あの程度では、ハロウィンの扮装コスプレだ。


シンシアに似合っていて、かわいいだけだった。


「よく考えるんだ、今は、命の危機を乗り越えたばかりで、単に気持ちがたかぶっているだけかもしれない」


わたしの決心を信じてもらえていない。


単なる思い付きと思われている?


「いいえ、今、おねがいします」


「どうしてそう焦る必要がある?」


「わたしは、いつ殺されるかわかりません。この城の警備を疑っているわけではありませんが、今までのことを考えると悠長ゆうちょうに、構えているわけにはいきません!」


「この城で、そのようなことはおきない。いや、起こさせはしない、マリー。我は、お前を守ってみせる」


「でもアスタロト様、わたしは、何度あなたの前で殺されましたか?」


一瞬でアスタロト様の表情が曇った。


「……それは、そうだが」


「安全と思われた場所で、わたしは何度命をおとしましたか?」


「気は変わらないのか?途中で人間に戻りたいといっても無理だぞ。シンシアにも十分説明したが、悪魔に転身するということは、二度とは、人間には戻れないということだ。悪魔に魂を売ることより簡単だと勘違いしてはいないか?」


「はい。わかっています。シンシアだってそうではありませんか」


「マリー、わたしは君を悪魔にしたくはないし、魂の契約をするために、ここに連れてきた訳ではない。ただ、助けたかったのだ。素直で、頑張り屋の君を守りたかっただけなのだ」


「ありがとうございます。アスタロト様」


彼の想いは、強く伝わってくる。


それでも、わたしは、自由になりたい。


それには、このままでは、無理なのだ。


わたしたちの間に、初めての重苦しい空気がながれた。


決意の固いわたしの雰囲気にねをあげたのは、アスタロト様の方だった。


「わかった。マリー君の気持ちは。城の地下へ案内する。転身の儀式をり行う」


アスタロト様は、わたしの心が読めるんだった。


「ありがとうございます」


「地下室の準備には時間がかかる。マリーにも儀式にむけて準備をしてもらおう」


「わかりました。どのような準備をすればよろしいですか?」


「リスクについての説明を聞かなくてもいいのか?」


「不要ですわ。自分の運命を決めたのは、わたしですから。後悔はいたしません」


なにがあったも、後悔はしない。


オイジュス王太子と結婚したこと以外は。


「では、部屋で身を清めてきなさい」




 

 シンシアの案内で部屋に戻り、支度をはじめた。


部屋に備え付けられていた、猫足のバスタブで身を清めた。


シャンパンのような芳醇ほうじゅんな甘い香りのふわふわの泡で、体を洗い清めた。


バスルームから出ると、へスぺリデス家同様に、シンシアがフッカフカのバスタオルで優しく拭いてくれた。


ただし、この後に身に着けたものが違った。


素肌の上に黒いフード付きローブを着たのだ。


バスローブではなかった。


やっぱり、それらしい雰囲気に胸が高まる。


後ろに立つシンシアから暗い雰囲気を察した。


「シンシア、なにかあった?」


「マリーお嬢様、わたしは、反対です」


「シンシア、心配してくれているのね」


「ここにいれば、安心です。お強いですよアスタロト様。だから、お嬢様が悪魔に転身する必要なんてないです!」


「そうかもね」


「なら!」


シンシアの黒い尻尾は、ビビッと先端にむかって振動した。


「わたしは、ただ守られたいわけではないの。わたしは、自分の意思で選択して行動したい。でも、今のままでは、ダメなの。わかるでしょう?自由になりたい。世間からのしがらみや視線なんか気にしない、そんな風になりたいの」


「でも、お嬢様人間ではなくなるんですよ!!」


わたしは、クルリとシンシアに向き直った。


「シンシア、悪魔になった私は怖い?」


「それは……いいえ」


「それはどうして?」


「マリーお嬢様には、かわりないからです!!」


「そうよ。わたしはわたし。人間でも悪魔でも、なにも変わらない。でもね、世の中には、わたしのことを知っているシンシアのような人ばかりではないわ。そのときに、わたしは、わたしを貫く強さを手にいれたいの。子供じみた発想かもしれないけれど、悪魔になったら、人間より強くなれそうな気がする。その気持ちがあるだけで、わたしは、わたしを貫ける気がするの」


見えないプレッシャーにつぶされない、心がほしい。


「マリー・へスぺリデス様といえどもやっぱりご不自由な人生だったのですね」


シンシアの尻尾は、うなだれててしまった。


「誰もがそうよ。自分のかせからを解き放なたれたい。悪魔への転身は、良いきっかけになる気がするの」





 アスタロト様が、直々に部屋を訪ねてきた。


わたしの準備は、整っていた。


言葉少なに城の地下室に案内された。


そのようすから、アスタロト様の緊張感が伝わってくる。


アスタロト様の後に続き部屋に入る。


地下室は、三方を石に覆われている。


石壁に窓はない。


天井から、燭台をたくさん取り付けたようなつくりの照明が下がっている。


特質すべきは、床だった。


床は透明なつくりをしている。


このため、床下に見事な柱状水晶ちゅうじょうすいしょうが何本も乱立しているのが見て取れる。


この透明な床に円を基調とした、文様がえがかれている。


わたしと同じ格好をしたアスタロト様が、壁際のテーブルに儀式につかうの何かの道具を手に取りながら、


わたしに背を向けたままバリトンボイスで確認した。


「今一度だけ確認する」


「はい」


「マリー・へスぺリデス、悪魔への転身を希望するか」


「はい」


「人には戻れないぞ」


「構いません」


「人の世の生をすてるのだな」


「はい」


「なにを望む」


「強さを」


「分かった。タロウ・アスタロトの名の元に、マリー・へスぺリデスを悪魔に転身させる」



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