重たい霞

月井 忠

第1話

 その村は山奥にあった。


 めったに人が来ない僻地と呼ばれる場所にあった。


 百年ほど昔のこと。


 その村では流行り病が蔓延した。


 村人たちは熱を出し、次々に倒れていく。

 最後には看病する者もなく、死を待つだけとなった。


 村外れの一角に、とある一家が住んでいた。

 その一家は、たまたま流行り病から逃れることができた。


 その家の夫婦は、年老いた父と幼い我が子を家に残し、村へ出向いて看病をしたという。

 献身的な看病のかいもあって、何人かは生き延びることができた。


 しかし、夫婦は看病するなかで病にかかると村外れの家へと帰っていった。

 生き残った村人たちが、感謝のために家を訪れると一家は全員、病死していたという。


 夫婦への感謝の印として、村人たちは祠を建て祀った。


 それからというもの、その村で夜な夜な夫婦の姿が目撃されるようになる。

 自分たちが死んだと理解していないのか、村の近くにあった池の周りをぐるぐると歩き回るという。


 ぼそぼそと何か言っているようだが声は聞こえない。


 夫婦が現れる日は決まって霞がかかる。


 最後に夫婦は霞の向こうに消えていく。




「面白そうじゃない?」

 妻は興味津々で言う。


「まあ、そうかな」

 私は見ていたページを閉じて、携帯をテーブルに置く。


「早速、行きましょうよ」

「今から?」

「今から」


 妻はこの噂話を以前聞いたことがあり、現地にも一度足を運んだという。


 再び携帯を取って、マップで確認する。

 車だと二時間はかかりそうだ。


 壁にかけられた時計を見る。


「向こうに着く頃には日が暮れてるよ?」

「だから、いいんじゃない」


 そう言うと、ウィンクをした。

 どうせ、明日も休日だ。


 妻には強引なところがある。


 小遣い稼ぎに動画配信を始めようと言い出したのも妻だった。

 怪談の現場に行って、証拠となる動画を取るのだと張り切っている。


 私はそれにつきあわされている格好だ。


 仕方なく着替える。


 どこの新婚家庭もこんなものだろう。

 コロナ禍のため式は挙げていないが、恋人気分が抜けていない。


 私たちは特にその傾向が強いと言っていい。


 妻とは学生時代に同じクラスだった。


 最近、ばったり再会した後、妻からの猛アプローチが始まった。

 私はその勢いに押され付き合い始め、すぐに結婚となった。


 妻には強引なところがある。


 反対に私はおとなしい。


 夕食は出先で食べようということになって車を出した。




 冬ではあるが道路に雪はない。


 確認した所、現地も雪が積もるということはないようだった。

 車の中では暖房をガンガン効かせて、快適な小旅行といった趣だ。


 妻はずっと喋っていて、私はそれに応えている。


 都会を離れ、徐々に道路沿いの風景が寂しくなっていく。

 ぽつりぽつりと一軒家があるような状況になった。


 カーナビは道なりを示している。


 何もない林道を奥へ奥へと進む。

 特に目印になる建物があるわけではない。


「この辺でよくない?」

 これでは終わりがないので聞いた。


「でも、何か建物は欲しいかな」

 妻は自分の携帯で外を撮っている。


 動画に使えそうな素材を探しているのだろう。


 木々を映していても見栄えがしない。

 わかりやすい廃屋でもあれば、すぐに帰れそうだ。


 車のスピードを落とし、だらだらと進む。

 後続車も対向車も来ない。


 行く先に車を停められるスペースを見つけた。


 とりあえず、そこに車を寄せる。


 ちょうど木が少なくなっていて、少し開けた感じがする。

 よく見ると、森の奥へと続く舗装されていない道があるようだ。


 けもの道よりはマシだが、車では入れそうにない。


「あれ道かな?」

 車を停めて聞く。


「あ、ここかも」

 妻は一度ここを訪れている。

 記憶にある場所なのかもしれない。


 正直、私はこういうことが苦手だ。

 あの奥へ行こうと言われたら、さすがに拒否するかもしれない。


 妻が車を降りようとする。


「まさか、行くつもり?」

「もちろん」


 私はハンドルを握ったままだった。


「怖いの?」

「うん」


 ごまかしたところで意味がないので正直に言う。


「私がついてるから」

 妻はウィンクをする。


 私はハンドルから手をおろしながら道の方を見る。

 すると、その向こうから霞が流れてきた。


「あれ」

 私は指をさす。


「あ、なんか幻想的」

 妻は携帯を向ける。


 なんだか、おかしい。


 まるで、スモークを炊いているかのように、モクモクと地面を這うようにこちらに向かってくる。


 なぜか寒気を感じた。


 次に肩が重くなったような気がする。

 肩こりとは違う。


 大きな力で押されている感じだ。


 妻の方を見る。

 何も感じていないのか、携帯を向けたままだった。


 ここを離れた方がいい。

 口に出そうとするが、声が出ない。


 その気力がないという方が正しい。


 全身が重くて、それどころではない。


 どうやら、妻の方にも異変が現れたらしい。

 持っていた携帯をおろし、シートにもたれ、こちらにゆっくり顔を向ける。


 同じく口が開かないのか、目で必死に恐怖を語ってくる。


 私はその顔を見ると、気分がふっと軽くなった。


 これでもいいかなと思った。

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