第1話 フレンドリーとプロ(1)

 ティアラを乗せた車がビルの入り口で停まるとまもなくドアが開いた。

 降り立った彼女は執事に労いの言葉をかけようとして、顔を上げたまま動きを止めた。


(ち、近っ!)


 見上げた先に美しい顔があって、釘付けになった目が離せない。

 ドアを押さえて立つ青年のその瞳が彼女を映している。そうわかるほど近くで見つめられてティアラの心臓が騒いだ。

 今までこの距離が近いと感じたことはない。執事が変わっただけで、執事が青年の姿をしているというだけで距離感がこうも変わるものなのか。まごつく自分が恥ずかしかった。


「あ、ありがとう」


 耳が熱くなるのを感じて落ち着かない。

 冷静に冷静にとティアラは自分に言い聞かせた。けれど、頭の中で言った声が掻き消されるくらい鼓動がうるさい。


(執事よ? アンドロイドよ? 落ち着きなさいティアラッ)


 緩みそうになる頬を強張らせる。そして、ティアラはなにげないふりを装って服を直した。

 ほんの数十分前に受け取った執事は、ティアラの希望通りのハンサムな青年に仕上がっていた。


「あなたも来る?」


 ティアラは視線を外してそっけなくそう言った。


「私は・・・・・・ちょっと」


 穏やかに微笑む青年執事にやんわりと断られたティアラは「そうよね」と言って歩き出す。

 ここは彼の製造元とは別の会社のビルだ。


(アンドロイドでもライバル会社に入るのは躊躇するものよね)


 ほんの少しのばつの悪さに唇を噛む。そんな彼女の横から聞き慣れた声が言った。


「これから先が思いやられます」


 そう言ったのは老執事だった。

 少ししわがれた声に呆れが混ざっている。自分でも恥ずかしいと思っていた所をつつかれてティアラの声が尖った。


「何が言いたいのッ?」


 にらむ彼女の隣を老執事が付いて歩く。


「執事に鼻の下を伸ばすお嬢様は見ていられません」

「伸ばしてなんかいないしッ」

「指が3本入るかと思うほど伸びてましたよ」


 そう言って老執事は口ひげに指を当てて見せた。


「そんなことないわよッ」


 むきになる彼女を見て老執事は笑う。


「あ、少し戻りました」

「もうッ、爺ったらそんな事ばっかり。返品するわよ!?」


 いつもの台詞せりふが口を突いて出て足が止まった。


「嗚呼、お嬢様からその言葉を聞けるのがこれで最後かと思うと涙が出ます」


 わざとらしくハンカチを目頭に当てる老執事を見て、ティアラは眉間にしわを寄せた。


 アンドロイド執事の買い換え。

 ここへ来たのはこの老執事を引き取ってもらうためだった。だから、いつもなら軽いはずのジョークが重く感じた。

 売り言葉に買い言葉、「返品する」は口喧嘩の切り札に言ってきた。けれど、この台詞はたぶん、きっと、あの青年には言えないだろう。


「涙なんて・・・・・・出ないくせに」


 ぼそりと言ったティアラに老執事は笑った。


「そうでした」


 細めた目と口ひげの端を上げた微笑み。執事がおどけた表情を作るまでがワンセット。子供の頃からの掛け合いもこれが最後か。


「子供じゃないんだから・・・・・・笑えない」


 ティアラは鼻をつんと上に向けて歩き出す。

 老執事がどんな顔で着いてくるか見なくても彼女にはわかった。困った様でいて楽しそうななつっこい顔だ。きっと、そう。


 ティアラが生まれた頃、彼女のために用意された老人姿の執事。親の決めた子供用の執事から卒業したかった。

 やっと約束を取り付けて、16歳になった今オーダーメイドの執事を手に入れた。もう引き返せない。


「口うるさいお爺ちゃんとはさようなら」

「嗚呼、爺はそんな冷たい事をおっしゃるお嬢さんに育てたつもりはありませんのに」


 と、また泣き真似を始める執事から目をそらす。

 ほんの少しの罪悪感から気をそらすために振り返る。黒塗りの車の側に青年執事はまだ立って見送っていた。その横に人間の運転手も並んで立っていた。


「いまどき人を雇うなんて、お父様は何を」

「お嬢様、そのような事をおっしゃるものではありませんよ。旦那様にもお考えが」

「爺! ・・・・・・最後まで説教するつもり?」


 老執事が「しまった」という顔をする。そんな彼をティアラは呆れ顔で睨んだ。





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