忠実さ

 数日後――


「よ、ようこそおいでくださいました!」


 国王と大臣たちは、妻と子を連れてきたリーベ、そして付き添いのアリスにひれ伏していた。

 一人一人が小刻みに震えており、決して綺麗とも言えない床に頭をこすり付けている。無許可では上げられない頭は、まさに接着剤で取り付けたように離れない。

 貴族のような位の高い連中が、このような姿を見るのは久々だ。

 家であるトラッシュでは、殆どが統治に成功している。稀に来る勇者を処理するだけの、単調な日々だった。

 アリスを嫌っている連中は多くいるが、慕っている人間も多い。

 心を入れ替え――狂ってしまった上の人間達は、幹部のように敬意を持って接してくるのだ。


「妻のミライア、子供のクリンゲルとウーア、リーラだ」

「で、では、お子様はメイド達に任せま――」

「けっこうです。お父様が管理される土地であれば、わたしもいずれかかわることですから。おはなしは、お父様といっしょにききます」

「あ、あはは……かしこまりました……」


 子供らしからぬウーアの返答に、誰もが苦笑いを零した。

 まだまだ発音のたどたどしい幼い喋り方だが、芯はしっかりとしている。虚勢などではなく、この小さな子供は大人の話をきちんと理解できる。

 そしてウーアの言う通り、兄妹の中でリーベの補佐や代わりをするとなれば、ウーアがもっとも適している。

 クリンゲルは執政が出来るような性格ではなく、外で動き回るのが好きなタイプだ。リーラは未だにオドオドとしており、ちょっとしたことで泣いてしまう。

 だから三人のうちリーベを継ぐとなれば、ウーアが最有力候補だろう。彼女はアリスへの忠義も厚く、リーベとしても任せやすい。


「えー、おれはつまんない」

「ふざけないで、クリンゲル!」

「リーラもやだあ」

「なっ……」


 文句を言い始める双子の兄に、ぐずり始める末妹。

 ウーアは、二人とこれからの方針を共に聞くと思っていたため、いつも通りにマイペースを貫こうとする姿勢に驚いて声が出ないでいる。

 わなわなと震えながら『お祖母様に対する忠義などはないの!?』とでも叫びそうな表情だ。

 しかしリーベもアリスも、それを咎めることはなかった。


「ではクリンゲルとリーラは、私が外に連れていきます。構わない?」

「ああ」

「じゃあほら、お散歩に行きましょ」

「わーい!」


 ミライアが二人を連れて出ていけば、兄妹喧嘩が始まりそうだった空気が一気に落ち着いた。

 ウーアは納得がいかないという様子で、離れていく三人を見送っている。

 彼女にとっては、兄妹、そしてアリスに仕える誰もが自分と同じ価値観でいるものだと、そう思っていた。

 忠誠心が強すぎるあまり、すべての存在にそれを望んでいたのだ。

 決してクリンゲルとリーラに、忠誠心や敬愛がないわけではない。二人はアリスのことが好きだし、アリスを阻むものであればその対処に回るだろう。

 しかしそれには、得手不得手がある。


「ウーア」

「はい、おばあ様」

「クリンゲルは戦いに優れているから、その足りない政などの知恵が必要なことを、君が補いなさいな」

「おぎなう……」

「みんなそれぞれの忠義の尽くし方がある。誰も、私を蔑ろにしてるわけじゃない」

「……」


 ウーアにはまだ難しいようで、口先を尖らせていた。

 父親譲りのこの性格は嬉しくあるものの、リーベの頃よりも少々厄介な性格になってしまった。

 リーベであってももう少し融通が効いたものを、とアリスは苦笑いした。


「ウーア。その気持ちを説くのは、身内に対してではない」

「ではどこへです、お父様」

「目の前に居る愚かな人間共のような存在だ」


 リーベが説明をすると、不満そうだったウーアは途端に笑顔を取り戻した。彼女の中で、納得のいく答えが得られたのだろう。


「そうか……わたしは、間違っていた……。クリンゲルも、ウーアも、お祖母様がだいすきだから……そっか……」


 ウーアはぶつぶつと呟きながら、自分の頭の中を整理している。

 兄と妹のやりたいこと、出来ることは自分とは違うが、祖母を愛している気持ちは変わらない。

 そこには確かな敬意があって、間違いなく忠を尽くす心が存在している。

 ――だが目の前の人間達はどうだろう。

 聞けば、最初はアリスのことを現地の魔王の手下だと思ったという。

 そんな頭の悪い連中が、果たしてアリスの、父の部下を務まるのか。


 ウーアは理解が及ぶと、頭を伏せている重鎮達を冷たい目で見据えた。

 今回の話に関して、注意深く観察することを決意した。


 ウーアの決意とは別に、廊下から騒がしい声が近づいてくる。アリスはいち早くその気配を掴み取っており、音の方向へ視線を向けた。

 声はどんどんとこの部屋へ近づいていた。人数は一人ではなく、複数人。ガチャガチャと鎧の擦れる音も耳に届く。

 王達はまだ伏せており、人間の耳には遠い範囲だ。


「……ん?」

「何か来ます」

「だねえ。――おい、人間。平民にはなんと通達した」


 突然聞かれた大臣は、大きく肩を揺らしてから叫ぶような声で返事をした。

 一瞬で頭が真っ白になったが、返答をしなければその場で殺されると思った彼は、咄嗟に返事をするしかなかった。


「は、ははは、はい! 陛下のお名前と、国は従属を申し出たことを、兵士などを用いて国に知らせました!」

「それだけか。今日の話し合いについてのことは」

「い、一切……。どうかなさいましたか?」

「母上、事実のようです」

「はあ……」


 説明を頼まれた人間は、ぎこちなく笑いながらアリスへの返答をした。

 ではなぜ、敵意を持った人間がわざわざ乗り込んできたのか。不満を持っている連中がいたとしても、リーベたちが到着する日付までは不明確なはず。

 わざわざ首都の真ん中を通ってここまで来たわけじゃない。

 リーラのような小さな子もいたことだから、〈転移門〉にてこの城の中に入った。

 目撃した衛兵が市民に触れ回ったとも考えられるが、たった今到着したばかりで、すぐに戦闘準備を整えて突入して来るだろうか。

 つまるところ、この床に突っ伏している人間の中に、本当に頭の悪い人間が混じっているということだ。


 知恵が尊重される国だと聞いていたが、想像よりも遥かに愚かな連中だった。


「リーベ。魔眼を用いて調べろ」

「はい」

「お祖母様。おそれながら、外の〝おろかもの〟は、このウーアにおまかせいただけませんか?」

「ではばあばに、訓練の成果を見せてくれ」

「おまかせください」


 ウーアは小さな体を動かして、とてとてと走り出した。

 廊下に出ると、遠方に鎧を纏った連中がこちらへ向かってやってきているのが見えた。

 まだ表情すら伺えないが、一瞬だけ体が強張ったように見えた。

 この部屋から、ウーアのような幼子が出てくるとは思わなかったのだろう。


「子供に〝どうよう〟するとは、その程度の人間ということね」


 ウーアは魔術で生み出していた空間から、一本の剣を取り出した。

 魔術もなにも付与されていない、何の変哲もない剣。そのあたりの鍛冶屋でも普通に売っていそうなほどの、普通でありきたりなものだ。


「数は……十、いいえ、二十ほど。たかが人間程度の弱い〝しゅぞく〟のくせに、それだけの数でお祖母様を倒そうと? まさか鎧を着て〝とうろん〟でもするつもり? わらえるわね」


 なんて悠長なことを言っていれば、その団体はもう目の前に来ていた。

 廊下に一人で立っているウーアを見て、不思議そうな表情を浮かべる。

 ウーアはまだ魔人化しておらず、ただの人間の少女だ。魔術で肉体の年齢操作などをしているものの、そのへんの少女と何も変わりはない。

 そんな少女が彼らの前に立ちはだかっているだなんて、疑問でしかないだろう。

 少女――ウーアに向けて、戦闘にいる男が声をかけた。

 一番上等な鎧であり、最も頼れそうな風貌は、この団体のリーダーだとわかりやすい。


「ここから立ち去りなさい。君が見ていいものはない」

「なぜ? 家族で来ているのだから、別にみてもかまわないでしょう」

「……まさか、この子供は……」

「そのようです。あの悪魔の子供かと」

「なんてひどいことを……」


 リーダーの男は、根っからの正義漢なのか、ウーアの立場に同情し嘆いた。

 そして同時に、あんな人間を弄ぶような恐ろしく無慈悲な悪魔のもとに、生まれ落ちてしまったということを悲しんだ。

 もっともウーアは、男がどれだけ嘆き悲しもうとも、彼の正しいと思える幸せを幸せと感じられない少女だ。


 ――それに死亡していないのに、どうしてひどい悪魔だと言えるのだろう。

 ウーアには、純粋な疑問だった。

 アリスは人々を従わせるために、地獄の門を開いては閉じた。最終的に人間たちと首都を元通りにして、己の力を理解させた。

 前代の魔王との戦争で死者はでているだろうが、アリスは一人とて殺していないのだ。

 そんな慈悲深い魔王を、なぜ忌み嫌うのか。

 倫理という人間において大切な感情が抜け落ちているウーアにとって、それを理解するのはまだまだ先の話だ。


「ここは通せません。これから〝じゅうよう〟な話をするのです」

「悪いが、お嬢ちゃん。通してもらうよ」

「でしたら、わたしを倒してとおりなさい」

「はあ?」

「まじかよ」


 冗談だろう、と笑う連中。魔王は子供に盾役をさせているのか、と絶望する連中。

 意見は様々だが、ウーアが足止めになるはずもないと思っているのが大半だった。

 リーダー格の男も同じで、乾いた笑いを漏らしている。


「あのな、お嬢ちゃ――」

「〈壊れた秒針ブロークン・タイム〉」


 リーダーの男が諭すように言葉を紡いだ。しかしそれを遮断するように、ウーアが何かを発する。

 すると世界がぴたりと動きを止めた。

 〈壊れた秒針ブロークン・タイム〉とは、ウーアの能力。スキルでも魔術でもない、どちらかといえば両者の複合技のようなもの。

 生まれが特殊なリーベの遺伝子を持った兄妹は、それぞれ特殊な力を持っていた。様々な事柄が混ざり合い、この能力が生まれたのだ。

 ウーアはその〝時計〟を意味する名前の通り、一定期間の時間停止を可能とする。


 〈壊れた秒針ブロークン・タイム〉を発動したことで、世界の時間が止まった。

 部屋にいるアリスも、リーベも、皆が止まっている。世界の頂点であるアリスは、意識だけは有している。しかし身動きは一切取れない。

 ウーアを裏切らせたら、アリスの命は一瞬で消えてしまうのだ。

 つくづく、ウーアが父親譲りの狂信者でよかったと思っている。


「はあ……。クリンゲルが残っていれば、この無駄な時間が無かったのに」


 ウーアはゆっくりと動き出した。

 持っていた剣を、リーダーの男の心臓に深々と突き刺す。そして作業のように、隣りにいる男にも、後ろの男にも、全員分。

 ゆっくりと胸元に突き立てて、背中まで貫通するほど間違いなく突き刺した。


 ウーアが焦ることなく元の位置に戻ると、数秒経過してから、力が解除される。

 目の前に立っていた鎧の男たちは、それぞれ口から血を吐き出した。


「な……ん、だ……?」

「ゲホッ!」

「胸、が……」


 心の臓を突き刺されて、無事でいられる人間はいない。

 その場にいた誰もが抵抗も出来ないまま倒れていった。恨み辛みを込めながら睨みつける男たちを、ウーアはつまらなそうに見下ろしていた。


「ウーア、終わった?」

「はい、無事に。そちらはどうなりましたか?」

「情報を流していた者がいた。始末してあるよ」

「頭の悪い人間もいたものですね」


 アリスがウーアを連れて戻ると、部屋には首のない死体が転がっていた。

 頭部はどう探しても見当たらず、アリスかリーベが頭を吹き飛ばしてしまったのだ。血肉は部屋中に飛び散っており、大臣らの頬にも付着している。

 他の人間は相変わらず黙ったままだ。

 本当ならば体や頬、服についた同僚の血と肉に怯えて、拭いたいところだろう。

 だがそんな態度を見せてしまえば、リーベの不満を買うのは目に見えている。

 怯えた表情ではあるものの、必死にこの状況を耐えているのだ。


「さて、改めて――私が魔王。アリス・ヴェル・トレラントだ。君達とは、友好的な関係を結べると嬉しいのだがね」


 デュインズの征服は始まったばかりである。

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