隣に立つもの2

 マージュに光の精霊はよく効いていた。召喚しただけだというのに、吐き気がして、脳みそがぐらぐらと揺れる。

 あの精霊が少しでも近づけば、自分の意識を保てない。現世に留まることも出来ず、そのまま消滅してしまうかもしれない。

 だがマージュには、消えることなど許されない。

 愛するヴァルナルが世界を掌握し続けて、マージュはその隣にい続けなければならない。

 それこそがマージュの愛。永遠にそばにいて、ずっと尽くし続ける。

 こんな小娘程度で終わっていい人生ではない。


「――――――ッ!!!」


 マージュが取った行動は、叫ぶことだった。

 しかしその発せられたものは、声というよりも音だった。耳をつんざくような高音が廊下中に響き渡り、窓ガラスを全て割っていく。

 叫びによる攻撃は、城全体が揺れているような衝撃波だった。

 アリスもなんとか防御が間に合い、部下の全員を守りきった。少しでも遅れていれば、レベルの低いユータリスは危険な状態にあったかもしれない。


 真正面に立っていたルーシーはその衝撃を直に受けた。アリスもルーシーまで守り切る余裕はなく、そこまで手を回せなかった。

 ダメージを負っていたようだが、なんとも無いという様子で自身へ治癒魔術を施す。攻撃を受ける前と同じ状態に戻れば、マージュは不機嫌そうに舌打ちをした。

 ルーシーを取り囲むように立っていた光の精霊は、跡形もなく消え去っていた。


「マジ!? やばいっしょ!」


 流石にルーシーも焦ったのか、急いで次の精霊を召喚する。〝普通の人間〟であれば、こんな速度で精霊を召喚できるものではない。

 マージュもその違和感に気づくべきだったが、正気を失いつつある彼女には難しいことだった。

 とっとと目の前の厄介な客人を処理して、愛するヴァルナルのもとへと向かいたかったのだ。


「そう何体も出したところで、私には通用しないわ」

「そっかー。あーし、召喚の練習中だったから、付き合って欲しかったんだケド……。じゃあこうするし!」


 詠唱も何もなく、ルーシーは杖を振るだけだった。

 どこからか金色の美しい糸が飛び出して、マージュの体と床や壁とを繋ぎ止めた。ぐるぐると腕や足に巻きつけば、マージュが完全に拘束されて動きを封じられた。

 レイスのマージュが、糸で捕縛されたのだ。

 実際に今、捕まえられているマージュ自身が、そのことを信じられないでいる。


「なっ!? 霊体の私を、どうして……!」

「やった! 成功だし!」

「ぐ……しかも、これ……」

「そーそー。光魔術だから、レイスには苦しいっしょ」


 ただの糸であれば抜けられたものを。その糸に込められている光属性は、マージュやアンデッドなどには憎たらしいほど通用する。

 動けないどころか、苦手な光属性によってじわりじわりと体力も奪われている。

 このまま放置されて誰も助けなければ、いずれマージュはこの世界から消え去るだろう。


「くっ、う、アアアアア゛ア゛ッ!」

「な、なんだし!?」


 光の糸で苦しいはずのマージュは、無理矢理抜け出すために己の魔力をわざと暴発させた。

 先程の叫び声とは比べ物にならない威力だった。実際に城が揺れていた。窓ガラスだけでなく、壁や天井が崩れている。城ごと破壊するつもりか、と思わせるほど。

 霊障やポルターガイストが可愛らしく思えてしまうほどの、迫力。

 咄嗟に動いたリーレイが、アリスに降りかからないようにと落ちてくるものを全て防ぎきっていた。

 ルーシーも防御魔術を使用して、瓦礫から身を守っている。


 暴発が収まると、光の糸は全て消えていた。

 アリス達がいる場所は最早廊下などとは呼べず、非常に風通しの良い通路になっていた。

 屋根は全て消え去り、崩れた部屋には死亡している魔族が横たわっている。今の暴発で死んだのか、先程の叫び声にやられたのか。


「……はぁ、はぁ……。やられてばかりでいられると思う?」

「だってあーしより弱いし……」

「は……? 冗談も程々になさい。私よりも強い存在なんて、いるはずがない。私のレベルは世界最高の、レベル199よ……!」

「ふーん」

「チッ、気に食わない! とっとと終わらせてあげるわ――〈透き通る囁き〉」


 〈透き通る囁き〉とは、マージュの持つスキルだ。冬の凍てつく風のようで、かつ少女のように儚い。

 人を惑わせる幻惑スキルにおいて、最上位とされているスキルだ。この声を聞いたものは、理性や思考すら忘れて、その囁きの通りに動く傀儡に成り下がってしまう。


『……あの女を……攻撃……するの……』


 風に混じって、囁く声がする。それは対象であるルーシーにしか聞こえず、アリス達には届いていない。


「行きなさい、貴女の主を攻撃するのよ」

「ハア? なんであーしがそんなことしなくちゃならないワケ? アリス様に歯向かうなんてするわけないじゃん」

「………………は?」

「だからぁ、あーしよりも頭ワルいの?」


 ルーシーはつまらなそうにポリポリと頭をかいた。気だるそうに嘆息までして。

 スキルが不発を起こすはずなんてない。今の今まで、このスキルを受けて歯向かった相手なんて一人としていないからだ。

 少々腕の立つ冒険者パーティーも、囁き声を聞かせればあっという間に仲間割れ。自我を失って殺し合う様は、いつ思い出しても滑稽だった。

 だがこの少女は、それをしない。まるで本当に――風が頬を撫でただけのように。


 ――〈透き通る囁き〉は、幻惑スキルにおいて最上位のスキルである。

 しかしそれが適用されるのは、〝対象者が使用者のレベルを下回っている場合にのみ〟だ。

 最高レベルであるということに慢心をしていたマージュは、今対峙している相手が〝レベル200〟であることを知らない。聞いたところで、信じるはずもない。

 この世の理、常識を覆す存在なのだ。


「アリス様ぁ、殺して良いですか?」

「ちょっと頭を覗きたいから、瀕死で」

「はい!」


 ルーシーは光の矢を生成する。何の変哲もない、ただの矢に見えた。

 だがそれには、濃縮された高密度の光属性がふんだんに組み込まれており、レベル190を越えていなければ耐えきれない代物。

 低レベルであれば肉体すら残らずに、浄化されて消えてしまうだろう。

 光属性であれど、アンデッドなどからすれば〝呪物〟といっても差し支えないだろう。


 〝呪物〟である光の矢は、ヒュと風を切る音を残したと思えば、次の瞬間にはマージュの腹部に深々と突き刺さっていた。

 この矢の軌道を視認できたのは、アリスとその幹部だけ。ペールですら目で追うことは出来なかった。

 霊体であるマージュには血を流すことは出来ないが、腹部に矢を――光属性を感じてじわじわと熱を帯びる。生きていた頃の〝痛む感覚〟を少しだけ思い出した。


「ぁ、ウ……、い……いたい……!? なん、なにこれ……いやっ、こんな光属性……消えてしまう!」

「はいはい、動かないでね」


 ルーシーとは違う声の主に気付いて、マージュは傷口を見ていた視線を上げる。

 いつの間にか目の前には、アリスがやって来ていた。動けないでいるマージュに、アリスの手が伸びる。

 がしり、と頭を掴まれて動揺が隠せない。未だにヴァルナルしか触れられたことのない体に、アリスがいとも簡単に触れたのだ。

 どうして触れたのか。いつもヴァルナルは、手に魔力を宿してから触っていた。霊体である自分には、そうやって魔力を完璧に操らねば触れないはずなのに――と。


「ふん、ふんふん。めぼしい魔術は習得していなさそうだね」

「いや……いやぁ……ヴァルナル……」

「大丈夫大丈夫、怖がらないで。大好きな魔王様もあとで〝そっち〟に行くから」

「いやぁ……!」

「あーしがやりましょーか?」

「ん? これくらいはいいよ」


 軽く光を流し込めば、すでに腹部の傷で致命傷を負っていたマージュへのとどめとなった。

 耐えきれる限界を超える光属性を受けた彼女は、抵抗する手段もなく消えるしか無い。


「ギャアァアアァア!!」


 悪霊らしく突き破るような悲鳴を上げて、マージュは消えていった。

 残されたのは静寂と、荒れに荒れた廊下だけ。


「レイスにしては強い方だったねえ」

「ですねー、ちょー驚きました」

「レイスの分際で、アリス様に触れて頂けるなんて……!」

「はいはい、どうどう」

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