霊園の者達

 魔王城に、一人の獣人が静かに足を踏み入れた。

 音もなく隣を通る魔王の仲間を、魔王城にいる下級魔族達はビクリとふるえながら見つめる。

 彼女の足音が至極静かであるのは、最早癖のようなものだ。誰もがいずれは慣れると思っていたが、突然隣をレベル199の女が歩いていれば恐れないわけにはいかず。

 彼女は魔王が誇る仲間の一人。ソルヴェイだ。猫の靭やかさと俊敏さを兼ね備えた彼女は、己の愛するナイフで相手を一瞬で切り裂く。

 魔王――ヴァルナル・バックストームは、ソルヴェイにとっての恩人でありビジネスパートナーである。


「やっほー、ヴァルナル……」


 ソルヴェイはヴァルナルのいる部屋へとやってきていた。薄暗い室内は完全にカーテンすら締め切ってあり、ふと足を止めた。

 これでは誰かが眠っているように見えるのだ。それに気付いた時点で引き返すべきだったのだが、ソルヴェイとしては仕事の報告に立ち寄ったのだ。

 とっとと終わらせて遊びたかったし、ナイフの手入れもしたかった。

 ヴァルナルを起こすことに対しての抵抗はあまりなかったが、ベッドサイドでゆらりと揺れた霊体を見た時に、ようやっと「しまった」と思った。


 ベッドサイドから現れたのは、ボロボロの白いドレスを纏った女の幽霊レイス。不気味な乳白色の両目が、ぎょろりとソルヴェイを睨みつけた。

 ふわふわと浮遊する彼女こそ、ヴァルナルの愛する女――マージュだ。

 ヴァルナルがいるならばマージュもいる。長年の付き合いだというのに、ソルヴェイは失念していた。


「チッ。汚い雌猫、なんの用? ヴァルナルは今眠っているわ」

「えー……。ヴァルナルに領内を見てくるよう言われたのが終わったから、報告に来たんだけど……」

「後になさい。そうね、一時間後くらいにまた来なさい」

「はいはーい……。もう一周してくるよ」


 ここで逆らってしまえば、マージュの面倒なお小言やらヒステリーやらを、耳にタコが出来るくらい聞かされる。彼女の存在を忘れていたソルヴェイだったが、それは絶対に忘れない。

 マージュに一度捕まると、一時間は確実に拘束される。ネチネチと陰湿な言葉を浴びせられるのだ。

 ソルヴェイは大人しく、マージュに従って部屋を出ていった。

 いなくなるのを確認すると、マージュは再びベッドサイドへと戻っていく。


「あぁ、ヴァルナル、ヴァルナル。愛しいヴァルナル」


 キングサイズのベッドで眠る、魔王。愛する男を見つめる。先ほど、仲間であるソルヴェイに送っていたような、殺意のこもった目ではなかった。

 マージュの声に応えたのか、ヴァルナルは薄っすらと目を開けた。目覚めたばかりなのか、眠そうにしている。しかし目線はしっかりとマージュを捉えていた。


「……あぁ、マージュ。可愛い恋人」

「おはよう。そろそろあの人間が貢物を持ってくる時期よ」

「そうだったな」


 ヴァルナルは気だるそうに体を起こす。待ってましたと言わんばかりに、マージュが腕の中へと滑り込んだ。

 昔は怨霊として世界に漂っていたマージュだったが、ヴァルナルとの出会いでここまで変わっていった。マージュにとって愛というものは、ただの悪霊から魔王の仲間とも言える最強のレイスへと変えてくれた。

 腕の中にやってきたマージュを、ヴァルナルは愛おしく思う。

 手に魔力を込めれば、実体のないマージュにも触れられるようになる。ヴァルナルは魔力を手指に集中させると、マージュの髪を梳き、頬をなでた。

 マージュも嬉しそうに頬を寄せている。


「さて、転移の門を作るか」


 マージュを撫でている傍らで、ヴァルナルは意識を霊園の外れへと集中させる。いつも人間がやってくるのに使う建物だ。

 頻繁に転移の門を開けているため、その近くにおらずとも生成することが出来るようになっていた。これが魔王たる才能ゆえだろう。

 目の前にいないため実感こそわかないものの、確かに狙った場所へ転移の門の生成を確認する。暫くもすれば人間が降りてくるはずだ。


「これでいいだろう」

「うふふ。今回は何を持ってくるのかしら」


 嬉しそうに言うマージュを見て、ヴァルナルは少しだけ驚いた。

 まさかマージュが興味を示すとは思わなかった。いつも自分のことを考えている女が、あろうことか弱者である人間に目を向けたのだ。

 一瞬だけでも、妬んでしまったとも言える。


「……気になるのか?」

「愛しい人へ人間が媚びへつらっている様子が、面白可笑しくてたまらないのよ」

「……ふ、可愛いマージュめ」


 結局は自分のための興味だと思うと、ヴァルナルはすぐに機嫌を取り戻した。

 マージュの頭に触れながら、きょろきょろと周りを見渡す。誰かを探していた。

 それもそのはず。ヴァルナルが目覚める少し前。微かに見知った獣人の気配を感じ取っていた。魔力ありきで動いているわけではないので、完全な感知は難しいが――間違いなく仲間であるソルヴェイのものであった。

 仕事を頼んでいたこともあって、気になっていたのだ。


「ところでソルヴェイはどうした」

「私がいるのに……あの雌猫が気になるというの?」

「そんなはずあるものか。城の警戒を頼んでいたんだ。報告は上がっていないかと思ってな」

「領地も広いでしょう。もう少しかかるんじゃないかしら」

「それもそうか」


 ヴァルナルはマージュの肩に触れ、優しく引き離した。マージュは少し不満そうにしていたものの、これからヴァルナルが人間を迎え入れる準備をするのだと知っていた。だから文句も言わずに受け入れる。

 マージュもマージュで、ヴァルナルの隣に立つのならば少しは身なりを整えましょうか、と動く。


「とびきり綺麗にしてこい」

「ええ、もちろん」

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