スピンオフ デュインズ
新たな世界へ
「ばあば~!」
「はーい、クリンゲル」
ばたばたと元気な足音を立てて走ってくるのは、以前対峙した勇者の面影が残る少年。キラキラと輝く金髪は、その恋人によく似ている。瞳は彼の母――ミライアにそっくりで、ブラウンの色を受け継いでいる。
彼はクリンゲル・ヴェル・トレラント。
この六年の間で生まれた、リーベの息子であり、アリスの孫だ。
「あのね、今日の剣の〝けーこ〟で、ウーアに勝った!」
「おぉ、本当に。そりゃすごいね。よしよし」
「うへへっ」
「こらぁっ、クリンゲル!」
クリンゲルを追ってきて怒りを含んだ声で叫ぶのは、ウーア・ヴェル・トレラント。
クリンゲルの双子の妹であり、父に似て聡明な少女だ。兄と共にユリアナから継いだ金髪は同じく、瞳だけが異なりブラウンではなく黒色である。
「御祖母様っ、彼の言う事を真に受けないでください!」
「どうしたの?」
「あの子、〝力〟を使ったんです! じゃなかったら、わたしが勝っていました……」
「そっかぁ。稽古でズルはだめだなぁ」
何をしてでも勝つというその考えは、魔王的には尊重すべきことだ。
アリス達は〝悪〟であるため、手段を選ばないという場面が幾つも出てくるだろう。まだ幼いクリンゲル達も、いつかはそういう場面に出会うこともあるはずだ。
だがアリスの庇護下で、まだ教育も始まったばかりの段階。アリスも現役で、リーベもまだ幹部候補に上がりたて。そう急ぐこともないのだ。
「おい、言うなよ! ばかウーア! せっかくばあばにジマンしたのにっ」
「はあ!? というか、御祖母様のことをばあばなんて、馴れ馴れしく呼ばないでくれるかしら!?」
「まあまあ、落ち着いて。ウーアもばあばって呼んでいいよ?」
「そんな〝ふけい〟極まりないこと出来ませんわ!」
無邪気で元気なクリンゲルに比べて、ウーアは父の性格――忠誠心をよく受け継いだ。
クリンゲルが純粋な孫であるというのに、ウーアは可愛らしくも他人行儀なところがある。もっと年相応に甘えて欲しいものだが、幼い頃のリーベを思い出して早々に諦めた。
二人に遅れて両親であるリーベとミライアがやって来た。剣の稽古はリーベが行っていることもあって、一緒にいたのだ。
ミライアは眠っている子供を抱き抱えてやって来ていた。微かに目元が赤らんでおり、泣き腫らしたようだ。
彼女は次女であるリーラである。三ヶ月前に産まれたばかりだ。紫色の頭髪から、アリスは「リーラ」と名付けた。瞳はリーベとユリアナによく似た碧眼である。
リーベ同様、アリスが子を取り上げてすぐに成長を促したため、五歳ほどまで肉体年齢は成長している。流石にそこまで急がなくてもいいのではないか、とアリスが提案したものの、次の子を作るために急ぎたいのだという。
だがウーアはまだまだミライアから離れられておらず、非常に泣き虫だ。特に兄があんな性格であるため、しょっちゅう泣かされている。
「おや、ふたりとも」
「子供達が申し訳ありません、お義母様」
「いいのいいの。リーラは寝ちゃった?」
「剣の稽古に負けて、泣き疲れてしまいました」
「あらあら」
リーラが泣いた理由も、いつもの通りだ。きっと負けた悔しさと、勝利したクリンゲルが執拗に自慢したからだろう。
本当にリーベの子とは思えぬほど、子供らしい子供だ。ユリアナやミライアの血が濃いのだろうか、とアリスはぼんやり思う。
「母上、今お時間よろしいですか?」
「ん? いいよ」
「先日に報告を上げさせて頂いた、母上の名を騙る詐欺団体ですが――組織からの報告によりますと、あと三日ほどで殲滅可能とのことです」
「そっか。そのまま進めていいよ」
「ありがとうございます」
六年間で、アリスのことやトレラント教は世界中に広がっていった。
アリスにつく人間も増え、信仰心や忠誠心が増えれば、それに乗じた犯罪も増える。
アリスの名を騙った組織がチラホラと出始めたのだ。そしてそれを主に対処しているのは、リーベ率いる組織である。
「それと新たに入会した組員が、謁見を望んでおります」
「そっかー。歓迎会も兼ねて会いに行こうかな〜」
「おれも! おれもいきたい!」
「ああ、構わない。だが僕に勝ってからだ」
「げー! 父上に勝てるわけないじゃん!」
――なんて話していたのは昼間の出来事だ。
クリンゲル達と昼寝をした記憶はないが、いつの間にか夢の中に落ちていた。睡眠が不要なアリスには、突然寝落ちるなんてことはあり得ない。
見覚えのある草原が目の前に広がっていれば、これが〝呼ばれた〟のだと分かるだろう。草原にはフルスが微笑んで佇んでいる。
「久しぶりですね」
「えぇ。貴女がこの世界にやって来て、もう六年が経過するようです」
「短いようで長かったですねぇ」
「はい、色々ありました。それはそうと、お孫様――ご出産おめでとうございます」
「あ、どうも。もうだいぶ前ですけど……」
クリンゲルとウーアの出産時には何もなかった。直近は次女のリーラだが、この世界を支配しているのだからもう少し早く祝いの言葉があってもいいのでは……とアリスは思う。
そんなこと気にもとめず、フルスは手際よく東屋を生成した。椅子とテーブル、そしてその上には紅茶と茶菓子も用意した。
「どうぞ、おかけください」
「では遠慮なく」
アリスは遠慮なくドカリと座る。そして茶菓子に手を伸ばすと、パクパクと口へ運んでいった。
彼がアリスを呼んだということは、少々面倒な仕事を押し付けられるということだ。これくらいの無礼は許してほしいものである。
フルスも分かっているのか、アリスの態度を咎めるつもりもない。
「もう園様はお分かりでしょうが、新たな依頼が御座いましてお呼びしました」
「でしょうね」
「此度は少々……」
「強い勇者なんですか?」
「……いえ、勇者ではありません」
「?」
フルスはアリスの前に、一枚の世界地図を渡した。どう見てもアリスの知っている場所ではない。
トラッシュも全てを把握しているわけではないが、それでも自身の住んでいる世界ではないと理解できる。
南北に大陸がわかれ、中央には海か川らしきものが存在する。トラッシュはもっと陸地が細かくわかれているため、これは完全に別世界の地図だ。
「デュインズという世界の地図です」
「デュインズ……」
「この世界を元々管理していた神が別の仕事を始めることとなり、私フルスが引き継いだのですが……。以前の神が作った魔王が存在すると、都合が悪いのです」
「なんとまぁ……自己都合な理由で……」
「神とはそういうものですよ、園様。死に際に縋ったところで、慈悲の手を差し伸べたことはないでしょう?」
「……そうですね」
〝麻子〟が死亡した時に神頼みをしたわけじゃないが、奇跡が起きて助かるとは思わなかった。心の何処かで神はいない、いたとしても都合よく現れたりなんてしないと分かっていたからだ。
デュインズは、既に魔王が支配を済ませた世界だ。
存在していた勇者は、魔王との戦争で命を落とし、人間の国は戦争に敗北した。
武力が全てである〝黒国〟ブラック・シリルと、人間らしさや知力を最もとする〝白国〟ホワイト・リィトの二カ国で成り立つ。そしてその両国の地下深くには、魔王が統治する場所が存在する。
「なるほど……。で、私は勇者にでもなれと?」
「いえ。魔王として動いて頂き、魔王を殺し、その座についてください」
「それだけでいいんですか?」
「はい。貴女が支配してくれれば、こちらも動きやすいので」
「既に鎮座する古株は邪魔、と」
「その通りです」
そうとなればアリスも動きやすい。下手に正義を演じるのは、もうこりごりだ。
一度、正義の味方を演じたことがあるが、それは本当に演劇のような仰々しさと胡散臭さがあった。
正義になるとしても、人々の常識を捻じ曲げ、洗脳するように立ち回ったほうがまだましだ。
「貴女の城に、その世界に繋がる門を生成します。目が覚めたら生成が完了しているはずですので、デュインズへの出入りはそこからお願いします」
「はーい。……あ、子供が簡単に出入り出来ないようにしてください」
「えぇ、もちろんです。――門は両国を挟む小さな島に繋がります。無人島で、徒歩三十分程度でひと周りできる島です」
「ほう」
「ですので、誰も気にしていません。例え異世界との、玄関口になろうと」
「それはどうも」
◆
「そんなわけで、神から新しい仕事を貰ったよー」
「チッ、神たる分際でアリス様に面倒を押し付けるだなんて……!」
「エンプティ、神たる分際だからこそだよ……」
アリスは玉座に座ったまま、怒り狂うエンプティを落ち着けさせた。
神から新たに受けた依頼ということもあり、玉座の間には幹部を全員集めていた。六年という歳月は確かなもので、監視のために置いていた幹部が国を離れても、十二分に機能するようになっている。
玉座の間は、普段から魔王城の転移先として設定されている。だが今ここに生成されている門は、〈転移門〉や他の転移系魔術とは異なる門だった。
これこそ、神・フルスが生成した〝デュインズ〟への橋。アリスだけの力では、向こうとの転移は不可能なので、この門を通るしか無いのだ。
「それで、敵の情報はッ!?」
「貰ってないよ。知らない世界だし、旅もしてみたい。どうせ私よりも弱いんだから、情報全部知ってたら楽しくないじゃん」
「左様ですかッッ!」
「では母上、どういうご計画を予定しておられますか?」
「そうだねぇ」
まず、アリスの選定した人員を連れて、先に足を踏み入れる。
アリスが直接〈転移門〉などの魔術やスキルを用いても、デュインズへ行き来できないものの、あちら側では力を使うことが出来る。
そのため、十分な戦力を引き連れて、情報集めに向かうのだ。
首都などに訪れ、情報を手に入れながら、転移先を増やしていく。ある程度の情報が集まれば、一旦〝
強固にしたメンバーではなくてもやり繰りできるというのであれば、更に人を減らして探索を進めるつもりだ。
「一度向こうに入ったら、そう簡単に戻ってこれないからね。こちらの世界が手薄になるけど、安定しているから大丈夫でしょう?」
「どの幹部が残されても、アリス様が無事にお帰りになるまで守り通します」
「ありがと。まぁ出来るだけ人は絞るよ……」
六年で安定したとはいえ、それでも最高責任者らが一気に不在になるのは、どうしても避けたい。
幹部たちは誰もが各地でトップとして君臨しており、長期間の出張は下々の運営にも関わるのだ。
もちろん、何度も行き来するのは一朝一夕で終わると思っていないからだ。
もう既に出来上がっている異世界で、足を踏み入れたばかりの余所者が、たった一晩で世界を覆せるわけがない。
全ての戦力をぶつければ可能だろうが、それは世界の形をも変えてしまう。
「でー、アリス様。人員のセンテーって、どうするんですか?」
「私は固定だとして、防御と攻撃の最も高い者、知識人一人かな」
「となるとエキドナは必須でしょーか」
「そうなるね。パルドウィンには代わりの者を送って。ブライアンがいるなら大丈夫だと思うけど……」
アリスとルーシーの会話中に、一人が手を挙げる。
何も言わずに静かに手を挙げたものの、視線はそちらへと集中した。それは手を挙げた人物が、リーベだったからということもあった。
「母上。恐れ多くも、その人員への加入を希望致します」
「え?」
「学院を経て、以前よりも足を引っ張ることはありません。もちろん、幹部に比べれば弱い人間風情ですが……是非、前向きにお考えください」
「んー」
アリスの脳内で選んでいた人員には、リーベは入っていない。
六年間でリーベは人間と呼ぶには異常なほど成長した。英雄を超えているといっても、過言ではないほどだ。
だから連れて行っても問題はないし、幹部と並べても十分に強い。
だが母であるアリスとしては、魔術も使えない我が子を未知なる世界に連れて行く気にはなれなかった。
それに母であることと、彼は父でもある。子供が三人もいるなかで、長期不在はいただけない。
アリスもリーベがいながら東奔西走していたため、はっきりと口に出して言うのははばかられるが。
もちろん戦力においても、あちらの世界では常に集団行動を強いられるだろう。だからアリスが常にそばにいる。守ってやることは可能だが、それでも不測の事態を想像してしまう。
アリスは頭を抱えながら、暫く思案する。
きっと彼女が強く言えば、リーベは渋々了承するだろう。
しかし、この六年の彼の頑張りを思い出してみる。アリスのために学院へ行き、子孫のために妻をとった。彼が育てている反勇者団体だった組織は、順調にその強さを増している。
ここは一つ、新たな学びとして連れて行くのもいいのかもしれない。
一瞬だけアリスの脳内でその考えが出る。そう考えてしまえば、もう否定する意味はなかった。
「いいよ。じゃあリーベも固定で」
「! あ、ありがとうございます!」
(ミライア周りを手厚くしてあげないとなぁ。戻った時にはもう、「ばあば」って言ってくれないかもなぁ……)
メキメキと成長していった息子・リーベの幼少期を思い出せば、孫たちも早めの反抗期が来るのはそう遠くない未来だ。
不在期間でどれくらい成長するのか楽しみである反面、少々寂しいアリスであった。
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