魔物の調査

「なぜ連絡がないのだ!」


 テオフィル・ル・シャプリエ大公が焦りを乗せた怒号を飛ばす。彼は比較的温厚な男だったが、事態が事態であるがゆえに気が立っていた。

 送り出した諜報員からの、連絡が一つもないのだ。

 国を発ってから十数日。パルドウィンへ到着する時間を加味しても、とっくに国を回っていてもおかしくない時間だ。

 直々に諜報員を選んだオーレリアン侯爵も、違和感を覚えていたものの、日常的な業務に追われてすっかり失念していた。


 本来ならばもっと気を張って注意しなければならない事柄のはずなのだが、如何せんオーレリアンは魔王の存在をまだ信じられていない。

 勇者が言うのだから間違いないとは思うが、騙されて闘技場で戦っていたような幼い子だ。


「ちょ、調査には時間が掛かりますから」

「……っ、だが……」


 テオフィルは言い淀んで外を見る。天気がいいなか、手合わせに励んでいる若者三人が目に入った。

 あの情報を持ち帰ってきてから、勇者三人はより一層訓練に力を入れていた。

勇者が訓練すること自体は悪いことではない。彼らは打倒パルドウィン王国のために、さらなる力を付けて欲しいからだ。

 しかし、その表情はまるで憑き物に呪われているようだった。なんとしてでも強くならなければならないという、がむしゃらな努力が見え見えだった。


 闘技場に最後に送り出した日――例の事件の日。

 勇者であり、レベル199であり、凄腕の魔術師として頭角を現している宮松 健斗が怪我をして帰ってきた。

 聞けば、彼ですら防げなかった魔術攻撃をされたという。誰もが信じられなかった。

 しかし目の前には、足を負傷した健斗がいた。

 医療専門の魔術師が言うには、傷口には間違いなく魔術の痕跡があったという。


「あの勇者ですら、防ぎきれない攻撃をしてきた化け物がいるのだろう……?」

「信じ難いですが……」

「一刻も早く報告を上げさせろ」

「かしこまりました」


 オーレリアンはそう言うと、逃げるように部屋から出た。

 扉を閉める前に小さく、テオフィルのため息が聞こえた。普段はあんな様子ではないのは、よく知っている。

 オーレリアンの生まれたボーリュー侯爵家は、代々ル・シャプリエ家に仕えてきた。生まれてすぐにその使命を背負わされ、大公となり国を担う当主の補佐をする。

 長年、テオフィルと過ごしてきたからこそ、オーレリアンはテオフィルの焦りがよくわかった。苛立っているのも、本当の彼ではないのも分かっている。

 国を思っているからこそ、出てしまった発言なのだ。

 きっとテオフィルがもっとそれを分かっているだろう。部下であり友である、オーレリアンに対して怒鳴るなど言語道断だ――と。


 だからこそ、オーレリアンはテオフィルを恨むことも責めることもない。

 上に立つものとしての苦労を知っているのだ。


(しかし、嘘をつく存在ではないとはいえ、本当なのだろうか。信じられん……)


 聞いた話ではDランク魔術で怪我をしたのだという。

 彼らの話を深掘りしていけば、展開した防御魔術はBランク。それだというのに、Dランク程度の魔術で破壊されたのだ。


 術者のステータスで魔術の性能が変化するのは、昔から言われていることだ。

 同等の魔術であっても、魔術が苦手な剣士が扱うのと、魔術が得意な魔術師が扱うので雲泥の差があると言われている。

 しかし今回ばかりはその理論を適用するのは難しい。

 やられたのは魔術に特化した勇者、健斗。健斗が展開するBランク防御魔術は、Aランクと言っても過言ではないほどの効果を持つ。

 そんな高度な魔術を、Dランク程度で貫けるはずがない。前例がないのだ。


(魔族と言ったって……ステータスを考慮しても、せいぜい魔術攻撃力は500程度だろう? 勇者に勝てるはずがないのに……)

「ボーリュー侯爵」

「……! 報告か?」

「あ、いえ。闘技場にいた貴族との面談の時間です」

「もうそんな時間か……」


 オーレリアンは少しでも情報を掻き集めるために、あの闘技場にやってきていた生存者を呼び出して、面談を行っていた。

 どんな魔族だったのか、どんな戦い方をしたのか。小さな情報でもいいから、と出来ることはなんでもやっていた。

 とはいえ、並大抵の人間からは聞き出せない。それは当然ながら、あのときの恐怖が勝るから。

 無事に生き延びて、大した怪我がなくとも、今まで悠長に観戦してきた魔物に襲われかけたのだ。心に傷を負い、廃人状態になっているものもいる。

 会話など成り立たず、連れてくるのもやっとな貴族だっている。


 それもあって各地から批判が上がり、闘技場での競技は呆気なく終わりを告げた。

 被害が出てから文句を言い出すのは、なかなか滑稽なものである。

 一部、囚人たちからは継続を望む声が上がっていたが、罪人の要望など飲むものはいない。


 さて今日も、オーレリアンは面談の予定を入れていた。場合によってはオーレリアンが自宅へ直々に向かうこともあるのだが、今回の人間はこちらまでやって来られたらしい。

 自らの足でやってこられるならば、精神は安定しているはず。オーレリアンも、まともな情報を望んでいた。


「ただ、今回……」

「なんだ」

「相手があのコタヴォでして」

「チィ……。あのスキンヘッドか……」


 来訪者の名前を聞いた途端、オーレリアンは不快そうに顔を歪める。

 グレゴワール・ジョフロワ・コタヴォ。各貴族が手を焼いている金持ち男だ。

 都心部とは少し離れた大きい街に住み、高級な住宅に厳重な魔術防衛を張っている。人を人と思わぬ非道な男で、死んでもなお顧客から金を吸い取ろうとする悪魔だ。

 地元住民からは恐れられ、忌み嫌われている。しかしながら反発したものは二度と家に帰れぬため、毎日怯えながらの生活を強いられている。

 暫く前に、帝国の聖女と知り合ってから大人しくなったが、闘技場に出入りしている時点で根は変わっていない。


「……それで、どこにいる」

「客間で待機しております」

「はあ、仕方ない」


 正直言えば、オーレリアンも相手にしたくなかった。言葉巧みに逃げられて、彼を捕えるのを何度も逃したことがある。

 今回こそ魔物の情報を得られると思ったが、希望が一気に遠のいていく。


 オーレリアンは重い足取りで、客間に向かった。





「失礼致します」

「やあ、久しぶりだな」

「……ええ」


 やる気もないままドアをくぐれば、ふてぶてしく座るグレゴワールが目に入った。もてなしていたメイドたちもいい顔をしておらず、オーレリアンが来ない間になにかあったのではと不安にもなる。

 この男に世辞や世間話、前置きなどするつもりもなかった。

 オーレリアンもソファに座ると、単刀直入に話を切り出した。とっとと帰ってほしいという意味も込めて、急ぎ足だ。


「早速ですが、闘技場の事件についてお聞きします」

「いいぞ。他に聞くことはないはずだからなぁ?」

「…………当日はどちらに?」

「VIP席だ、分かるだろう? 俺が一般席になどいないさ」

「それはそれは……。単刀直入に聞きますが、あの時魔族を見ましたか?」

「いいや?」

「……」


 何を言っても、嫌味で返してくるグレゴワールに、心底腹を立てる。

 一応オーレリアンは〝来ていただいた〟側であるため、相手を不快にさせぬように口には出さない。

 しかし態度には少々滲み出ていたようで、グレゴワールはくつくつと笑う。それがまた余裕のなくなっているオーレリアンには、怒りの材料でしかなかった。

 ただでさえ情報が集まらず、大公も焦っているのに。この期に及んで、国の成金犯罪者予備軍に馬鹿にされているのだ。


「プッ。ああ、見たぞ? ただなぁ、VIPは闘技場が遠い。……ああ、興味のない侯爵様には分からないかな?」

「……つまり、貴方はきちんと視認していないということですね?」

「そう言っているだろう。それに避難時はVIP優先だ、余計見る時間はないさ。誰かが餌になったおかげで、生き延びられたしな」

「……大勢死んだというのに、よくもそんな……」


 平民のなかでは、自業自得だという意見がある。

 闘技場は観戦料金が高いため、見ているのはほとんどが貴族などの金を持っている連中だ。

 平民は貴族を嫌っているものも多い。動物や人間を戦わせて、殺しを見て楽しんでいる連中と聞けば、より一層身から出た錆だと言うだろう。


 しかしこの男はそうではない。

 自分が生き延びるために、人間たちが犠牲になってくれたことを喜んでいるのだ。

 オーレリアンは態度を取り繕うことなどせず、不快感を顕にした。


「とにかく、俺は化け物なんて知らないね。魔獣との戦いが見たかったのに、とんだ大損だ」

「そうですか。本日はありがとうございました」

「あぁ、どうも。侯爵様もせいぜい頑張るんだな」

「…………どうも」


 結局。大した情報を得られなかった。

 次にいつ、あの魔物が襲撃してくるか分からない。いずれ対峙するだろうと本人は言っていたらしいが、それが果たしていつなのか。

 明日なのか、来年なのか。もしかすると、つい数分後なのかもしれない。

 ――先手を打たれれば、確実に敗北する。

 敗戦国となったパルドウィンのあとには続きたくない。どうにかして明るい未来をもぎ取らねばならないのだ。

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