第91話 とある婆娑羅会メンバーの経験《後》

「……先輩!」


「おう、遅れて悪かったな」


 そこにいたのは、私、小鳥遊たかなしひじりと同じく婆娑羅会のメンバーである、日下部仁くさかべじんだった。

 年齢は三十五で、苦み走った顔立ちの男性である。

 新人として入った私の教育係を務めてくれている人で、尊敬すべき気術士の一人でもあった。

 そんな彼が、殺される直前の私を助けてくれたのだ。

 安心すると同時に、嬉しかった。


「助かりました……! でも私、情けなくて」


「いや、あんなもんが出てきたら流石にお前みたいな新人にゃあ、厳しいだろう。おっと、もう少し下がるぞ」


「きゃっ!」


 先輩は私をお姫様抱っこしたまま、飛び上がって、鬼から距離を取った。


「す、すみません。私、足手纏いで……ここに下がっていますから、仁先輩はどうかあの鬼を!」


 自分が足手纏いにならなければ、この人なら十分にあの鬼を倒せる。

 そう確信しての台詞だった。

 けれど、そんな私に対して、仁先輩は意外なことを言う。


「いやぁ……それはちょっとな。俺にもあいつは厳しい」


 ポリポリと頭を掻きながらそんなことを言う仁先輩の表情は、見たことないもので、意外だった。

 だから私は驚いて言った。


「え!? で、でも仁先輩なら、中位鬼だって問題は…。」


 事実、それだけの実力がある人だ。

 場合によっては上位の鬼相手でも戦える。

 実際、試験の時にあった実技において、受験者十人を同時に相手して無傷で終わるくらいのレベルの人なのだから。

 けれど……。


「普通の中位鬼ならな。だがあれは違う。そもそも、あれは中位じゃなくて下位鬼だぞ」


「え、ですけど下位鬼なら……」


「わかる。もっと体軀も小さいし、力も弱く、妖気も小さいってんだろ?」


「は、はい……」


「それはその通りだ。だが、あいつは違う……あれは禁術によって作られた、化物よ。だから、気術の類も一定以下の威力のものは何も効かねぇんだ」


「あ……」


 言われて、さっき打ち出した符術が全て無効に終わってしまったことを思い出す。

 金棒で払われての結果だったが、もしかしたらそんなことをせずとも一切通用しなかったのかもしれない。

 考えてみれば、払われたとはいえ、岩の破片や炎の熱くらい伝わってるはずだ。

 それなのに、一切無傷というのはおかしかった。

 けれどそういうことなら……。


「ですけど、それならどうやって倒せばいいんですか!? このままではあれが市街地に……」


「俺もさっきまで同じやつと戦ってた。で、なんとか倒せはしたから、倒せないってわけじゃねぇ。だが、もうそこで真気をほとんど使いきっちまってよ……気導具を出せねぇからなぁ……」


「それでは打つ手は……」


「ははっ。俺にはねぇな」


 呑気な声でそんな風に笑う仁先輩に、私は少しばかりの怒りが湧いてきた。

 それでは、ダメではないか。

 そうなってしまっては、あれが人々に仇をなして……。


「私、行きます!」


「お、おい! やめとけ! お前じゃ無理だ!」


「ですけど、少しくらい時間を稼げます! 一秒でも稼げば、それだけ避難だって出来るでしょうし、それくらいのことは……それに、私、先輩を見損ないました! そんな諦めたような……!!」


「お前なぁ……まぁそう聞こえるように言ったのは悪かったよ。だが、そんなつもりはねぇって」


「……え?」


「よく考えてみろ。そこまでわかってて何の手立てもなく、ここまでやってきたりはしねぇよ」


「でも、さっき打つ手はないって」


「“俺には”無いっつったんだよ。そもそもおかしいと思わないのか? こんなに俺たちが話し込んでるのに、鬼の野郎は追撃してこねぇのをよ」


「……言われてみると……全然動いてない……?」


「どうやら、お嬢が来たらしい。もう安心だろう」


「お嬢……?」


 言われてみれば、鬼は完全に静止していて、しかも何か焦っているように視線をギョロギョロと動かしていた。

 どうにか動こうと体に力を入れているようにも思えるが、一切動けないようだ。

 何かが、誰かがその動きを止めていることは明らかだった。

 そして、とさりとさりと、向こう側から小さな人影がやってくる。

 その人影は、鬼を前にして言った。


「……全く。今日は本当にこき使われる日です」


 優雅で、高貴で、高慢ですらある声だった。

 けれどその声音が決して似合わないというわけでもない。

 存在感が、この場にいる誰よりも大きい。

 その瞬間、黒雲に遮られていた月がゆっくりと顔を出す。

 そして一条の月光が、舞台の主役のみを照らすが如く、その彼女の顔を露わにさせた。

 一見すると、幼気いたいけな顔立ちだった、

 ぱつんと切り揃えられた、烏の濡れ羽色の艶やかな髪。

 市松人形に似つかわしい紬の着物。

 子供特有の陶器のような素肌に、薔薇のようなほっぺた、小さな鼻と唇はビスクドールかのようで。

 だが、その表情は違った。

 不敵な笑みをその口元に浮かべ、意味ありげに歪むまなじり、眉には妖艶さすら宿っている。

 全体として……そう。

 目の前に鬼を置いてすら、彼女の方が余程に、あやかしのようで……。

 そんな彼女が呟く。


「……ともあれ、さっさと済ませてしまいましょうか。クマちゃん、やっておしまいなさい」


 そして、そんな彼女の胸元からモゾモゾと何かが出てきて、ジャンプした瞬間、巨大化する。

 見ればそれは、


「……熊の、人形……?」


「ははっ。おもしれぇよな」


 悪ふざけのように見える光景。

 けれど、そこに込められた巨大な真気を感じ取れないわけがなかった。

 それは鬼も同様で、震え出す。


「では、さようなら」


 熊の手が振り上げられ、そしてザンッ、と軽く振り下ろされる。

 それだけで鬼は粉々に叩き潰され、消えてしまった。

 さらにその人は浄化をさらりとこなした後、霊石を拾い、


「お二人とも! ここはもう安全ですので、私は行きますね!」


 優しげな声でそう言って、消えていく。


「……あの子は、一体」


 呆然として呟く私に、仁先輩は言った。


「あれこそが俺たち北御門一門のご令嬢、北御門咲耶様だよ。今年、小三になられた」


「……小、三……!?」


 つまり、九歳ということだ。

 それであの実力……。


「天才って、いるんですね……」


「あぁ、俺も今はそう思うよ。ただ、婆娑羅にはあれだけの化け物があと二人いるからな。それも覚えとけ」


「えぇ……」

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