詩人というふしぎな言葉

純文学同人 上陸

詩人というふしぎな言葉

著:張 文經


 詩人という言葉はふしぎだ。詩という言葉と人という言葉がぴったりとくっついて、離れない。詩=人みたいな感じがする。なんとなくそのふしぎさに圧倒されて、僕はずっと「詩人です」と名乗れずにいた。「詩と小説を書いています」と言ってごまかしたりしていた。どこかで、自分の人格と詩がいったいかするほど、自分は突き詰められないと思ってたのかもしれない。

 他にこういう言葉には、何があるだろうか? 俳句をつくる俳人、歌をつくる歌人。これは詩人と性質が似てるから納得感がある。他に浮かんだのはたとえば「軍人」というものだ。

 「軍人」。軍の人。重い響きだけれどどこかで納得感がある。たぶん軍人は、寝ている間も、食事をしているときも、旅行をしていても軍人なのだ。軍に呼び出されたらいつでも飛び出していって、軍のために体を投げ出さなければいけない。「〜〜人」にはそういう、人と職業がくっついているみたいな感覚がつきまとう。


 職業を指す「〜〜人」は、残念ながらほかには浮かばなかった。自分の乏しい発想力に呆れるものである。似たような性質があるものとして、何があるだろうか。

 「凡人」。平凡な人。よくいう言葉だし、尖った意味などないのにずっと見てると不安になってくる文字面をしている。「凡」の真ん中の点が、実に不安定にみえる。凡人の対義語は、「天才」だといえるだろう。これもまた人を指す語だけれど、正確にお互いが対比になっていない。だって凡「人」と天「才」なのだから。平凡さというのは、常に「人」に宿っているけれど、突き抜けた力とか鋭さとかは「才」のほうに宿っている、ということなのかもしれない。

 だとしたら「天才」は孤独だ。人は優れた人をみるとき、その人自身ではなく、その人の才能を見てしまう、ということになってしまうから。そしてそれが枯れ尽くしたとき、天才は凡人に戻る。人になる。才を使い果たして、あるいは誰かに利用され尽くして、疲れ果てる。もうこれまでのようには高く飛べなくて、場末の居酒屋で酒に飲まれているとき、彼のもとに彼をずっと「人」として見てくれた友人が現れる。きっとその友人は本物だ。一生大事にしたほうがいい。

 空想が過ぎた。けれど、そうやっていつでも「凡人」は救われることができる。人同士として向き合うことができる。それは救いでもあるし、自分たちの不安定な「天才」性にかけてる僕とか、僕の友人たちからしてみたら、ちょっとずるくも見えてしまう。「天人」って言葉あれば、そういうもやもやは解決するだろうか。


 そう思うと、詩人という言葉はやっぱりいいものに思える。

 一度、詩人になってしまったら、ずっと詩人なんだ。朝起きるときも、電車に揺られているときも、いろいろな手続きで頭がいっぱいのときも、サッカーを見ているときも、銭湯で牛乳を飲んでいるときも、やはり詩人なのだ。それは枷ではなくて、もっと優しいやるせなさと一緒に、詩人なんだ。そして詩を通して、僕という人を見てもらっていいんだ。


 「上陸」編集部の名刺を作った。恥ずかしながら、名刺を作らずに二十代の半ばまできたので、僕はちょっと緊張しながら自分の肩書きを入力した。「詩人・小説家」。そう打ち込んで、僕は詩人だな、と思った。もうそろそろこの肩書きを気に入って、そして気にせずに、いいものを書いていいころだと思った。

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