草枕
夏目漱石/カクヨム近代文学館
一
知に働けば
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらする
越すことのならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか
住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、
世に住むこと二十年にして、住むに
立ち上がる時に向うを見ると、
土をならすだけならさほど手間もいるまいが、土の中には大きな石がある。土は平らにしても石は平らにならぬ。石は切り砕いても、岩は始末がつかぬ。
たちまち足の下で
春は眠くなる。
たちまちシェレーの雲雀の詩を思い出して、口のうえで覚えたところだけ暗唱してみたが、覚えているところは二、三句しかなかった。その二、三句のなかにこんなのがある。
We look before and after
And pine for what is not:
Our sincerest laughter
With some pain is fraught;
Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.
「前を見ては、
なるほどいくら詩人が幸福でも、あの雲雀のように思い切って、一心不乱に、前後を忘却して、わが喜びを歌うわけにはゆくまい。西洋の詩はむろんの事、
しばらくは路が
詩人に
しかし苦しみのないのはなぜだろう。ただこの景色を一幅の
恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。しかし自身がその局に当れば利害の
これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は観て面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害は
それすら、普通の芝居や小説では人情を免かれぬ。苦しんだり、
苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年のあいだそれを仕通して、
うれしいことに東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。採ルレ菊ヲ
二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味はたいせつである。惜しいことに今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ吞気な
もちろん人間の一分子だから、いくら好きでも、非人情はそう長く続くわけにはいかぬ。淵明だって
ただ、物は見ようでどうでもなる。レオナルド・ダ・ヴィンチが
しばらくこの旅中に起る出来事と、旅中に
ここまで決心をした時、空があやしくなってきた。煮え切れない雲が、頭の上へ
路は存外広くなって、かつ平だから、あるくに骨は折れんが、雨具の用意がないので急ぐ。帽子から雨垂れがぽたりぽたりと落つるころ、五、六間さきから、鈴の音がして、黒いなかから、
「ここらに休む所はないかね」
「もう十五丁行くと茶屋がありますよ。だいぶ
まだ十五丁かと、振り向いているうちに、馬子の姿は影画のように雨につつまれて、またふうと消えた。
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