扉を閉めて、鍵をかけて。[三折]

扉を閉めて、鍵をかけて。[三折]


 死神には残りの生命がロウソクに灯る火として見えていると、多くの物語に記されている。しかし、物語のように火を消す権利などはないのだ。ただ、生命の側に行き、火が消えるまで寄り添って、話を聞く。それがわたしのお仕事だ。


 一度にたくさんの所蔵室の本が増える時がある。大地震や大噴火、洪水などの天災に、飢饉や流行病など間接的に自然が由来のもの。それと人間が起こす戦争だ。


 三方を山が囲み、渓谷の二方から流れてくる川がひとつになる。川縁に四、五軒の家が幾つかのかたまりとなっているのだが、人気はない。集落を見て歩き、放たれた牛や羊の間を抜けて、丘を登っていく。雪解けの風が追い抜き、青いリンドウと真っ白なエーデルワイス、わたしの真っ黒な帽子と服が揺れた。所々、板の剥がれた小屋、窓枠に割れたガラスがぶら下がり、そこから顔を出した兵士が小さく叫ぶ。


 はやく、こっちにこい。


「こんにちは」

「ふざけるな!ここは戦場のど真ん………」


 小屋の中に案内してくれた兵士の言葉が止まる。真っ白な光が入る土嚢が積まれた窓の前に、彼と同じ顔をした兵士が立っていたからだ。動かない兵士に近付き、まじまじと観察したと思うと左眼の前に浮かぶ、十二ミリメートル程の弾丸が浮かんでいるのを見付け、息を止めた。


「どうして……俺が……いる!?」

「人が“生命”として認識出来る一番短い時間です」

「どういう……意味…だ?」

「その弾丸が貴方の頭を抜き、亡くなります」


 初めまして、こんにちは、と、スカートの裾を人間風に摘み傾げづいてみた。終業時間三分前に生命の灯が酷く揺れたので、ここに行くよう上司に言われ、お話をしに来たのだ。


「死神……ッ!?嘘だ、嘘だ、嘘だ!!!この弾だって!!!」

「いけません、火傷します」


 自らの左眼に迫る弾丸に手を触れた瞬間に大きく仰け反る。弾丸は発射時の熱を持っている上に、回転しながら音速で飛ぶのだから摩擦で熱い。土埃の溜まった床に倒れ、頭を抱えて小さく丸まった貴方の隣にいき、床を軽く払うと膝を三角に立てて座った。


 かちかちと音がする。かたかたと腐って割れた床が鳴る。死を受け入れられない人間の呟きが聞こえる。恐怖で歯が鳴り、受け入れ難い事に身体が震える、音。しばらくすると、わたしの膝がほんのり光ったので見上げた天井に穴が空き、満天の星の光が注いでいた。


「……お嬢さんは……怖く…………無いのか」

「何が怖いのでしょう?」

「…………………………いや、何でもない」

「貴方はそのような事をしない方です」


 戦場の男は分からないよ、この目でも見てきたし、と、立ち上がり左腕を払う。ガラスの無い窓から青く輝く草原を見て「本当だ。こんなに大きな的なのに、誰も撃ってこない」と呟いて、小さく銀色で凸凹の鍋でお湯を沸かし始めた。その前に行き、またわたしは脚を三角に折り座る。金属で出来たマグカップを丁寧に洗い、三分の一程のコーヒーを注いで渡してくれ、貴方は鍋から直接コーヒーを飲もうとし「最近の死神は挨拶をするんだな」と言葉と液体が、ぽたぽたと落ちていく。わたしも熱いコーヒーに唇を尖らせて、ふーふーと冷ましながら「はい。そう言って……ふー……皆、驚かれます……ふー」としていると笑われた。死神が“猫舌”だというのも知らなかった、と。


「どうして戦場へ?」

「小さな国だ。戦う以外の選択肢が無かったんだよ」


 蟻と象が遊ぶような小競り合いに隣国二国と同盟を結び、国を守り切った。しかし、僅かに手に入れた土地を巡って協力国同士で揉める。ざり、と、胡座を組んだブーツの側面が床の上の土を擦った。


「元々、大国はこれが目的だったんだよ」

「人間は悪い事程、勘案に長けます」

「まんまと日に日に国力が削られる。指を咥えて我々の屍の数を数えているんだ」

「もう一度、手を取り合わないのですか」


 一度、わたしの目を見て呆れたようにため息を吐く。ある事、無い事を噂してまわり、焚き付けた偽物の憎悪と正義で始めた争いが、簡単に冷める程の鉄ではない。民に謝れば、それこそ体制転覆が引き金となり、誰かが笑いながら火薬を装填する。この戦いは何が入っているのかも分からない、小さな、小さな宝箱に目が眩んだ時点で負けていた。


「貴方がここにいる理由は何ですか」

「焚き付けられた“愛国心”だよ。情けない」


 国を出て八ヶ月程。この小屋に独り置いていかれ、二ヶ月近く。四日に一度来る補給と連絡は、貴方が持ち場から逃げ出していないかの確認でやさしさなどでは無かった。国は軍隊を機械の塊にしか思っていないし、軍隊は兵士を武器が作動する部品としか思っていないんだ、と、星明りに浮かんだ草原を見下ろした。彼の隣に行き、悲しい時は悲しむものです。貴方の心に見張りを置くのは今じゃない。心の赴くままに感情を塀の外に逃がしてあげて下さい。それは貴方の尊厳を傷つける事は無く、輝かせる。そんな事を言葉にしたと思う。

 感情は見張りのいない心の塀から逃げ出し、ふたつの目から大きな川を流すと、それを渡って、わたしの胸にすがりついて輝いた。やさしく貴方の伸びた後ろ髪を撫でていると「もう大丈夫だ」と胸に埋めた顔を上げる。被っていたぼろぼろの帽子を取り「歳頃のお嬢さんに非礼をした。許して欲しい」と片膝を付き詫びる。ぼさぼさの髪を撫でながら「わたしの見た目は少女のそれですが、その前に死神です」と言うと彼は笑った。


「あなたはとても心のある方です」

「どうかな………心ある奴が焚き付けられて人を殺しに来るものか」


 ロウソクの灯が弱く小さくなり、やがて、何度も燃え上がっては小さくなるを繰り返し始めた。うとうととする貴女が、わたしの三角に折り揃え立てた膝を見ながら「やはり、淑女なのだからその座り方ははしたないよ」と言ってくれる。だから「わたしは死神です」と答えたのだが、頭を抱えて「君が良くても男には毒だ。君は君が思うより魅力的なのだから」なんて言ってくれたのだから、膝を寝かせた座り方に変えた。ははっ、と、笑い、やがて無言になると、口から噛み殺した嗚咽と頬に星空が写るほどの涙の川が幾つも出来ていく。震える身体、歯が鳴り、最期に、


「ありがとう。死神のお嬢さま」


 パチュッ!!ゴトン。小屋の窓、その反対側の壁に血飛沫が飛び、土埃の浮かんだ床に頭の一部が散る。しばらくして、三方の山にこだまする銃声。欠けた顔を見ながら、


「貴方はよく生きたと思…」

「ルチ……ア………………」


 死んだ貴方の口から誰かの名前が溢れる。


 就業時間、二十分前。上司は機嫌良く鼻歌を歌っている。今日こそは残業を告げられる事はなさそうな雰囲気だ。ここ最近、すぐに本の頁が埋ま理、本を入れる棚に隙間無く本が収められていく。小屋に独り留まっていた狙撃手の“生命”は即死だったのに、確かに名前を呼んだのだ。


 本来、彼の“生命”を書くはずの本に“生命”を記さず、修復用の紙に記していく。そうする事で指定された頁に永遠という時間で留まり、補完されなくともいい。本棚に収められた本の背を撫でながら歩き、目当てを見付けると、ぱらぱらと彼より少し過去に終えた“生命”を探した。


「ルチア……」


 彼も彼女も、生きた時間と場所、死んだ時間と場所が違っただけだ。共に最期は自分の為にでは無く、最愛の人を表す言葉で終えた。わたしは人間が持つ“想い”という感情に、“思い”以上の何かがあるのではないかと考えている。またこれを同僚に話すと笑われるのだろう。


 彼女の頁に修復用の紙で書いた“彼の生命”と、押し花にしたリンドウとエーデルワイスを挟んだ。これで本を閉じれば、少なくとも人間の定義する永遠という時間で抱き合える。もう終えた“生命”だ、わたしの勝手な思い込み。でも、少なくとも二人が寂しい思いをする事は無いはずだ。……これも勝手な思い込み。本を閉じた瞬間、愛する人が再会する時の歓喜の声が聞こえた気がした。


「あなたたちは人生をよく生きたと思います」


 この気持ちは心の底、誰にも覗けやしない仄暗く、深い場所から込み上げてくる気持ちだ。わたしがいつも魂から離れた生命に贈る言葉。


 収蔵室から出て、扉を閉めて、鍵をかけた。


おわり。

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