ミリの感情

惣山沙樹

前編

 冬が好きだ。まず汗をかかないし、日に焼けないで済む。肌の白いあたしにとって、夏の太陽というものは耐えがたき試練である。そいつがいない。それだけで冬が好き。

 あたしには、腹違いの兄が三人居る。一番上は五十を超えていて、兄というより父のような関係なのだけれど、そいつが何かにつけて嫌味を言うので我慢ならない。


美里みさとが大学まで出してもらえたんは、お前が女やからや。祥子しょうこさんが唯一女の子を産んだ。だからお父ちゃんに大事にされたんや」


 何度も何度も聞いた言葉。夏の太陽のように暑苦しい。それが何だと言うのだろうか。女だから。女の子だから。そんなの自分で選べなかったのだから、八つ当たりはやめて欲しい。

 あと、外国にもあたしの弟が居るらしく、それは去年になって分かったことだが、もうあと何人きょうだいが増えたところであたしには関係の無いことだった。

 あたしが興味があるのは、退屈なこと。つまりは男の人のことだ。あたしは自分の容姿をよく知っている。ヤリマンだとか、手癖が悪いとか、そう言われているのも知っている。あちらから近寄ってくるのだもの、これもまた、自分では選べなかったことなのだから、勘弁して欲しい。


「ミリは素直やな」


 そう言ってあたしを肯定してくれるのは、陽平ようへいただ一人だ。彼とのセックスはとりわけ楽しいものでは無かったけれど、無駄が無い分、サッパリとしていて良かった。


「素直なんはええことやで」


 あたしの頭を撫でる陽平の手は、父や兄たちと違い大きくは無かったが、安心感を与えてくれるのには充分だった。あたしは彼に甘えた。同じ大学の同級生だから、時間も合ったし、よくホテルで一夜を明かした。

 陽平もまた、一人の女性だけでは満足できない質の男性だった。あたし以外に遊び相手が何人も居るのを知っていた。どれが誰だかよく知らないし、興味も無いから聞くことは無かった。


「陽平。明日何時に起きるん?」

「一限あるし、七時くらいかな。ミリ、アラームかけてもええ?」

「うん」


 あたしはその日、翌日の講義を入れていなかった。七時はちょっと早いなと思ったが、一人で置いていかれるのは虚しい。陽平に合わせて、さっさと眠ってしまおうと、彼の背におでこを押し付けて寝ようとした。

 しばらくして、陽平はすうすうと寝息を立て始めた。彼は眠るのが早い。その、すうすう、に合わせてあたしも呼吸した。そうすれば寝れると思ったのだ。しかし、一向に眠りは訪れてこなかった。

 仕方なく、あたしはベッドを降りて、陽平のタバコを一本拝借した。自分の分なら持っていたが、なんとなくそういう気分だったのである。陽平の香りが、場を満たした。


「なんやコラぁ! どこ見てんねや!」


 窓の外から怒号が聞こえた。スマホで時刻を確認した。夜二時だった。それから、何やら揉め合う声がぽつりぽつりと聞こえてきた。早くやめてくれ、とあたしは思った。

 ああいう言い争う声なら、兄たちの間でよく聞いていた。父が亡くなり、遺産相続が問題となったのだ。父は遺言状で、あたしとあたしの母に多めの金銭を残してくれた。それが発端だった。

 あたしは父と暮らしたことは無い。母は宝石商のお嬢さんで、未婚のままあたしを産んだ。経済的には何不自由無く生きてきたし、大学の学費は父が出してくれたのだと聞いていた。


「……ミリ? 起きたん?」


 陽平が目を覚ました。外の喧騒はもう止んでいた。その代わりに、パトカーのサイレンが鳴り響いていた。


「うん、眠れんかってん」

「それ、俺のタバコやん」

「そうやで」


 陽平はベッドから起き上がり、あたしのタバコを掴んで一本取り出した。あたしはライターを持ち、火をつけてあげた。


「不味いなぁ、これ」

「そう思うんやったら吸わんかったらええのに」

「せやな」


 あたしは知らない。陽平の誕生日も、好きなものも。嫌いなものならいくつか知っていた。その一つがこのハイライトだ。

 相手のことをもっとよく知りたくならないのか、と聞かれたことがあった。雪子ゆきこにだ。彼女はあたしの数少ない大学での女友達だった。かといって、あたしがフラフラと色んな男性と付き合うことを良しとはしていなかった。


「ミリちゃんはもっと自分のこと大事にした方がええよ」


 それが雪子の口癖だった。あたしはそれを言われる度にうんざり、黙って唇を突き出すのだけれど、雪子は続けた。


「妊娠したらどうするん? 誰の子かわからへんやろ?」

「そしたら、そのときや」

「ミリちゃん。ほんまに、私は心配してるんやで」


 雪子は陽平のことも知っていた。そして、彼のことを慕っていることもあたしにはお見通しだった。だからお返しに、こう言ってやることもあった。


「雪子。いっぺん、陽平に抱いてもらったらええやん」

「そんなん、嫌」

「陽平が他の子とも遊んでるから?」

「それもやけど、陽平くん、私のことなんか好きやないやろ? だから、嫌」


 セックスだなんて、ただの交わりなのに、なぜ雪子がそこまで嫌がるのか、あたしには分からなかった。好きかどうかなんてセックスには関係ない。あたしはずっと、そうやって過ごしてきた。

 初めての相手とのことを、あたしはよく覚えていない。当時あたしは高校二年生で、誘ってきたのは一つ上の先輩だった。彼の部屋で、あたしは処女を消失した。しかし、一体どんなやり取りが交わされたのか、思い出そうと思ってもできないのだった。彼の名前も、もう忘れた。

 兄の内、三番目はあたしより三つだけ上だった。彼ともあたしはセックスをした。兄妹の関係ですら、あたしにとってはどうでも良かった。


「美里、ほんまにええんか?」


 兄は一応、そう聞いた。


「別にええよ。こんなんいくらやっても、退屈なだけやし」

「退屈やのに、やるんか」

「うん。あたし、退屈なことは好きなんよ」


 兄は丁寧にあたしにキスをした。慣れているな、とあたしは思った。けれど、わざと焦らしたり、あれこれ手管を尽くしたり、回りくどいことをするので、あたしは集中できなかった。

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