天は二物を与えて

吾妻栄子

第一章:マドンナの憂鬱

「ごめんね」

 赤や黄色の落ち葉が音もなく舞い落ちる公園で、降りて引く自転車のハンドルを掴んで支えたまま、心から済まなそうに見える笑顔で告げる。

「私はそういう意味では好きになれないから」

 下校途中の私を近くのこの公園まで誘導した相手はショックよりも“ああ、やっぱりな”という諦めの強く現れた顔になる。

 これは記念受験的な告白をしてきた人にありがちな反応だ。

「鈴木君が悪いんじゃなくてね」

 出来るだけ励ます風に語る。

「私は元からそういう意味で好きになった人がいないから」

 むしろ、良く話したこともない私にそんな気持ちが持てるこのクラスメイトみたいな人こそ素直に凄いと思えるけれど、そんなことまでここで伝える必要はない。

「いいんだよ」

 相手は諦めからどこか見透かす風な皮肉な笑いに転じた。

桜庭さくらばさんは俺らとはレベルが違うから」

 どこか醒めた目付きで“俺ら”と複数形を強調して告げるとクルリと学生服の上に纏った茶色いダッフルコートの背を見せて足早に立ち去っていく。

 ああ、こいつも捨て台詞型か。自分はせいぜいが普通程度の顔と頭のくせにクラスで「可愛い」扱いの女の子以外には露骨に無視したりするから変なプライドがありそうな気はしていたけど。

 月に二、三度、私はこんな風に男の子、時には女の子からも告白される。

 相手の容姿や人となり、能力や性別に関わらず、こちらの答えは同じだ。

 だが、どれだけ穏便に断っても、こんな風にこちらに嫌な爪跡を残そうと当て擦りを言い捨てていく人は少なくない。

 その場で吐き捨てるだけならまだしも後々嫌な噂を流す人もいる。

“あの子は性格が良くない”

“本当はヤリマンだ”

 イソップの「酸っぱい葡萄」の狐は相手のことを良く知りもせずに告白して振られる男の行動の寓意なのだろうか。

 むろんそんな男は大抵「身の程知らずが負け惜しみを言うな」と突き放されるが、「美人は性格が悪い、品行が良くない」式の噂話を好む人は一定数いるので、根も葉もない話でもこちらに関する風聞として残り続ける。

“あの子は金持ちの大学生と付き合っているから同い年の男とは付き合わない”

 こんな風に私自身が耳にして一体誰の話かと驚くようなものもある。

 むろん、成績が良いので男性の教師からは大抵可愛がられるし、今まで告白してきた中には年上の男性もいる。

 しかし、私はその誰とも付き合ったことはないし(高校生と付き合いたがる大人なんかその時点でろくでもないし、そもそもそういう男は『女子高生』という記号に興奮しているだけだ。私が告白を断った男子大学生などはそれから程なくして違う制服の女子高生と手を繋いで歩く姿を見掛けた)、お金や物を貰ったこともない。

 良く知らない相手から高い物をプレゼントされてもまず受け取らない。

 だが、喜々としてそんな噂をしている人らにそんな抗弁をしても恐らく彼らは見方を変えないだろう。

 「美人は性格が悪い」説信者でも「美人は性格が良い」教徒でも結局のところ、「美人」とラベリングされた当事者の見たい面しか見ないのだ。

 ふっと息を吐くと、自転車のバックミラーからハーフアップに結った真っ直ぐな黒髪に小さく肌白い、日本人にしては彫り深い顔をした、セーラー服の上にエメラルド色のチェスターコートを纏った少女が大きな切れ長い目で見返した。

 これが私、桜庭青葉さくらばあおば、十七歳、高校二年生の顔だ。

“モデルさんみたい”

“女優にいそう”

 身長一六九センチ、体重五十三キロの私を目にした人の多くがそんな風に評する。

“クラスのマドンナ”

 学校のクラスではそう扱われるし、先程告白してきたクラスメイトの鈴木君もそんなスクールカースト(『井の中の蛙』みたいなみみっちくて嫌な言葉だけど)上位のブランドに憧れて寄ってきた一人だ。

“北川先輩より桜庭さんの方が綺麗だしスタイルいいよね”

 これは一級上のモデルをしている先輩と比べての評言だ。

“橋本さんより桜庭さんの方が美少女”

 これも隣の組でご当地アイドルの一番人気メンバーだとかいう同級生との比較だ。

 北川先輩とも橋本さんとも校内ですれ違うだけで話したこともないこちらとしては苦笑いするしかない。

 実際のところ、彼女らには逆の評価を聞かせる人も多いはずだし、学校以外にも仕事の場を持つ二人にとっては所詮は無名の一般人の私などより同業のモデル仲間とか同じグループのメンバーとかいった人たちの方が現実的な競合の対象として強く意識されているだろうとも思う。

 ただ、単に同じ学校で目立つ美人扱いされているというだけでまるでゲームの対戦相手キャラか何かのように引き合いに出されていちいち比べられるのは私としては愉快でないし、二人にとっても決して心楽しくはないだろうとも察せられる。

 バックミラーの中の眼差しがどんどん虚ろになる。

“冷たそうで可愛くないじゃん”

 これは高校に入ったばかりの頃、わざわざ他のクラスから見にやってきた男子生徒の誰かが聞えよがしに言った言葉だ。

 こういう男はわざと貶して振り向かそう、気を引こうという意図がある場合が殆どだし、本当に貶している場合でも相手にするメリットは全く無いので聞こえないフリをして読んでいた本のページをめくってやり過ごした。

 しかし、言葉だけは突き刺さって残っている。

 私の姿形は世間でいうところの「美人」に該当するし、“クール”“理知的”と好意的に形容されることも少なからずある。

 だが、これは明るさや朗らかさ、優しさといったものが本質的に欠けた顔だ。

 鏡をいくら眺めても望む変化など起きはしないので自転車に乗ってペダルを漕ぎ出す。

 秋も深まった路地を駆け出せば、吹き抜ける風はいっそう冷たくなった。

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