置き去られし花

yui-yui

置き去られし花

 置き去られし花


 トゥール六王国暦二八〇年


 人々は第二次トゥール六王国大戦という、トゥール大陸過去最大の戦争を生き延びた。

 遥か太古に勃発した『魔竜戦争』の諸悪の権化、半ば伝説化され、実在すらも危ぶまれていた『魔竜ブレイズ・ウェラー』が伝承の四戦士に討たれ、第二次トゥール六王国大戦の終戦が公表されたのはつい一月前のことである。

 ブレイズ・ウェラーの断末魔に生じた『瘴気の嵐』はトゥール各地で吹き荒れ、その嵐に巻かれた者は魔竜の瘴気に冒され、不治の病となり、命を奪われた。

 『瘴気の嵐』は荒野に吹き荒れ、城塞や防壁で囲まれた街などに発生することはなく、それゆえに人々は街から出ることを恐れ、細々と暮らしていた。


 第二次トゥール六王国大戦での最大の功労者である者達『十四爪牙』には高位の魔導師や神官等も存在たが、彼らの力をもってしても『瘴気の嵐』は収めることは出来なかった。

 月日が経つにつれ、瘴気の嵐は次第にその勢いを失って行く。死に至った魔竜の断末魔は、そう長くは続かなかったのである。

 それでも瘴気の嵐はそれとほぼ同時に何者かによって引き起こされた『精霊開放』と相まって、各地に大規模な地殻変動などを巻き起こし、一時はトゥール大陸そのものが崩壊するのではないかと思われるほどの天変地異をも引き起こした。

 疲弊しきった各王国の政治の回復も未だ目処が立っておらず、今、トゥール大陸は混迷の時代を迎えていた。


 マーカス王国 セリファクルスの村


 マーカス王国北部、ナイトクォリー王国との国境である『王神の山脈』に程近い、地図に依っては描かれることもない、森に囲まれた小さな村だ。王神の山脈を囲う王神の森は防風、防砂の役割を果たし、瘴気の嵐もここまでは届かないようだった。

 そんなセリファクルスの村に一人の旅人が訪れた。

 旅人の名はエッジ・フェイマーといった。

 エッジは第二次トゥール六王国大戦において、マーカス王国に雇われていた傭兵だった。第二次トゥール六王国大戦の最大の功労者である十四爪牙にこそ選抜されはしなかったものの、その腕を見込まれ、王国連合軍の最前線に身を置き、時には伝承の四戦士とも肩を並べて戦った。

 伝承の四戦士がブレイズ・ウェラーに止めを刺した時、魔竜が発した断末魔の瘴気を浴び、体は侵された。もはやいくばくかの命になってしまったが、戦う必要のない世界がこれから訪れる。その世界に傭兵はきっと要らなくなるだろう。

 だから、魔竜は自らの断末魔に、瘴気の嵐を発したのかもしれない。


 エッジはその功績によりマーカス王より多額の報奨金と領地を与えられたが、領主、騎士の地位には何の興味もなかったため、丁重に断り、自由気ままに、最期の旅に出ることにした。

 そしてここ、リーンの村に訪れたのだが、村の門をくぐる直前に瘴気の嵐の発作に見舞われ、意識を失った。


「……」

 気付き、目を開くと、エッジはまず周囲を見回した。簡素な造りのベッドの上に寝かされていたらしい。宿屋などの洗濯してあるシーツの匂いではなく、微かに甘い香りの残るベッドであることから、このベッドは普段から誰かが使用しているものなのだろうという想像はついた。

 鎧や上着などはベッドの脇に几帳面に整理されて置かれている。

 ふと気がつくと、肌着なども綺麗なものに変えられていた。

 エッジは慌てて下半身までもが新しい肌着に変えられているのかどうかを確かめたが、下半身の方は手付かずのままであった。

 内心ほっとして、エッジは辺りを見回した。

 大きな窓と小さな窓がある。陽当りも良く、窓辺には小さな鉢植えが置かれ、儚げな白い花をつけている。

 それだけではなく、辺りには観葉植物があちこちに置かれ、部屋を彩っていた。その植物や淡い空色のカーテンなどを見れば、この部屋の主が女性、しかもまだ若い女性だ、ということが判る。

 上半身だけを起こしたエッジは軽く頭を振ると、ベッドから降りようとした。すると、ノックもなしに若い女性が部屋に入ってきた。エッジは慌てて下半身をかけられていた毛布で隠し、もう一度ベッドに腰をおろした。

「あ、起きていらしたんですね」

 女性は可愛らしい声でそう言った。笑顔が似合う、二十代前半の、美貌の中にまだ幼さを残す女性だった。深緑の美しい髪をリボンでまとめている。途端に部屋の空気が華やいだような錯覚に捕らわれた。

 今年で三五歳になるエッジには、まだ若いとしか思えないが、この女性と同年代の若者であれば放っては置けないだろう程の美貌の持ち主だ。

「助けてくれたのか……?」

 エッジは言って毛布をかけ直した。

「えぇ、森に薬草を取りに行こうとしたら、貴方が倒れていたので」

 少女はそうはきはきとした声音でエッジに答えた。

「それは済まないことをした。薬草は取れたのか?……いや、この場合礼が先だな。ありがとう、助かった」

 エッジは一気にそこまで言うと頭を下げた。もともと女は苦手な方であり、口下手でもある。礼が言えただけでもエッジとしては上出来だった。

「いえ、御礼には及びません。こんな時期ですし、困った時はお互い様です。私はエリーって言います。貴方は?」

 そんなエッジを見てか、エリーと名乗った少女はくすくすと笑いながら言った。

「俺はエッジ・フェイマーと言う」

「エッジさんですね。もうすぐ食事の準備が出来ますので、苦でなければ起きて下さいますか?」

「あぁ、すまない」

 エリーの笑顔に不器用な笑顔を返すと、エッジは立ち上がり、もう一度頭を下げた。同時に下半身今いていたシーツがするリ、と落ちる。

「あ、い、いえ……」

 エッジが慌ててシーツを上げると、エリーは恥ずかしそうに顔を赤らめ、部屋を出て行った。


 エリーの住む家は五部屋ほどある、ごく一般的な家の大きさだったが、住んでいるのはエリー独りのようだった。

「家族は……?」

 エッジはエリーの作ってくれたスープを飲みながら訊いてみた。一人で暮らすには部屋の数が多い。

「両親は先月死にました。ナイトクォリーに行っていたのですが、瘴気の嵐に飲まれてしまって……」

「済まない。悪いことを訊いた」

 エッジは慌てて謝罪した。一瞬言葉をなくす。エリーの両親のことではない。このご時世だ。家族を亡くし、独りで生きている人間が珍しい訳ではない。ただ、エリーの両親は先月に瘴気の嵐の冒され死んだ、という事実だ。実際瘴気の嵐が吹き始めたのは二ヶ月ほど前のことだ。その二ヶ月前にもしもエリーの両親が嵐に飲まれたとしたら、長くとも一ヶ月で、その命は失われるということになる。

(俺の命もあと一月足らずか……)

 エッジは自嘲めいた笑みを浮かべた。不思議と恐怖感はない。大戦中の方が恐怖感は強かった。何か一つを間違えれば命を落とすほどの激しい戦いを幾度も乗り越え、終戦となった今、エッジは生きる目的を奪われたような感覚にずっと陥っていたせいでもあるのだろう。

 自分がもっとも生きている、と感じたのは伝承の四戦士ともに肩を並べて戦ったあの瞬間だったのかもしれない。

「……いえ」

 エリーは短く答え、少しだけ寂しそうに笑った。

「こんな食事ですみません。場合が場合なので……」

「いや、助かる」

 瘴気の嵐は収まったとの知らせは広まったが、国力が回復しないままでは食料品の物流や配給処置も整えられない。それでもエリーは少ない食料を自分に分けてくれている。それだけでも本当にありがたかったし、事実エリーのスープは今まで飲んだどのスープよりも美味かった。

 エッジはそのスープを平らげると、御馳走様、と礼を述べた。

「エッジさん、お医者様に見ていただいた方がよろしいかと思って呼んでおいたのです。もうすぐ来ると思いますので、出て行かれるのはもう少し待っていただけますか?」

 エリーの気遣いには感服するばかりだ。幸い金はある。医者に診てもらったところで何が変わる訳ではないが、エリーの気持ちを折るような真似はしたくなかった。

「何から何まで、本当にすまない。ありがとう、エリー」

 エッジはスープの皿をエリーに渡すとそう言った。


「……瘴気に巻かれたか」

 訪れた医者は初老の白髪交じりの男だった。医者はどうやら神聖魔導ホーリーランゲージの使い手であるらしく、エッジの胸に手を当てて、何事かを唱えた後にそう言った。少し呼吸が楽になったような気がする。

「あぁ。これは感染するのか?それと俺の命はあとどれくらい持つ?」

 エッジはとりあえず疑問に思ったことをその医者に訊いてみた。

「瘴気にあてられたのなら何とも言えんな。一週間で逝く者がいれば、未だに永らえている者もいる。人から人への感染はないようだが」

 ひとつひとつエッジに医者は答えた。

 なるほど、とエッジは一つ頷く。寿命のことは覚悟している。となればその短い時間をどう使うのが最善だろう、と今後のことだけを考える。

「……お前さん、エリーに気に入られたようだの。どうだ、しばらく一緒にいてやってくれんか。あの娘は先月両親をなくして身寄りがないんだ」

 医者の言葉にエッジは目を丸くする。

「気に入られている?……ついさっき会ったばかりだというのに、随分物知りなんだな」

 エッジは医者の意外な言葉を聞いて、そう返した。

「あの子を乳飲み子の頃から知っている。もともとあの娘は献身的な子に育ったがね、お前さんを看病している時の顔は女の顔だったよ」

 どことなく我が娘の幸せを祈っているような、優しい顔つきになって医者は言う。エッジには理解すらできない機微もあるのだろう。

「それなら尚更いられない。死期も近い。仮にあんたの言うことが当たってるとしよう。あの娘が本当に俺を気に入っているのだとしたら、また彼女は親しい者を亡くす悲しみを味わわなければならない」

 それならば傷浅い内に離れた方が、エリーの為だ。エリーは若い。瘴気の嵐が収まり、国力が回復すれば流通も回復する。この村に人が訪れることは、そう頻繁にあることではないとは思うが、出かけることもできるようになる。

 そう考えた矢先。

「……あの娘の命もそう長くはない」

「なんだって?」

 思わず聞き返していた。あの笑顔は死期の近い者が見せる笑顔だろうか。自らの死を悟りながらも、あんなにも屈託のない笑顔が、できるものだろうか。

「あの娘は胸を患っててな。地下植物の花がなければ薬は作れんのだ。しかしこの状況だ。瘴気の嵐のせいで依頼する冒険者の往来もなく、わしらのような戦う術を持たぬ者ではとてもじゃないが地下植物の採取などできん。あの娘は自分の死期が近いことを知っている。その僅かな間だけでも一緒にいてやってはくれんか」

 悲痛な面持ちで医者は言う。それならばエッジにできることがある。自分を見てくれたこの医者にも、介抱してくれて、食料まで分けてくれたエリーにも、恩を返せる。

「冒険者ならいる」

「あんた……」

「幸いここは王神の洞窟も近い。封印の地下道へ行けばあるんじゃないのか?その植物とやらが」

「封印の地下道だと?無茶を言うな、瘴気の影響は酷くないとはいえ、一人では無理だ。何人あそこへ行って戻ってこなかったか……。あんたも冒険稼業をしているなら噂くらい知っているだろう」

 封印の地下道とは王神の洞窟の丁度中心部にある地下へ降りる階段のことだ。昔から、何者かによって封印の結界がなされていたが、大戦中にその封印が解けたのだと言う。そしてそこへ挑んだ冒険者は誰一人として帰ってこなかった、という話も必ずついてくる噂だった。

「俺はこれでも王国連合軍の最前線を張って生きて帰ってきた。その辺の冒険者よりも腕は立つつもりだ」

 微笑してエッジは言った。自分を救ってくれた娘の命を今度は自分が救う。

 最期の仕事にしては上出来すぎる。

 エッジは今すぐにでも王神の洞窟に向かおうと考えていた。


 翌日、エリーは旅立とうとするエッジに声をかけた。

「もう出て行かれるんですか?」

 寂しげな表情は思っていたよりも、エッジの決心を鈍らせた。だからこそ、エッジはまっすぐにエリーに向き直る。

「あぁ、ちょっとやり残したことがあってな。昨日突然思い出したんだ。それが済んだら、もう一度スープを御馳走になりに来たいんだが……」

 エッジは笑顔になってそう言った。本当の目的はエリーには言わない。あの医者に目的の植物を渡した後、エッジはこの村を去るつもりだ。

「はい、約束です。必ず帰ってきてください」

 エリーは笑顔になってエッジを見送った。そこに疑いの眼差しなど一切なかったことは、エッジにも判った。


 どれくらい時間が経ったのだろう。洞窟に入ると良くあることだが、この洞窟は特別なようだった。時間の感覚が全く判らない。医者に渡された植物の特徴が描かれた図鑑と、走り書きを見比べ、洞窟に巣食う魔物と戦いながらエッジはついに目的の植物らしきものを見つけることができた。

 それは白色の、か弱い花だった。

「!」

 急激に激しい頭痛と吐き気に見舞われる。耐えろ、と思う間もなく胃液を吐き出し、立っていられなくなる。呼吸も上手くできず、このまま死に至るのではないかと思うほどの苦痛のおかげで、気を失うこともできない。


 ただただ、苦痛に耐えることしかできないまま、どのくらいの時間が過ぎたのかは判らない。自覚がないだけで気を失っていた可能性もある。とにかく時間の感覚が狂いっぱなしで、どれほどの時間が経過したのかが判らなくなっていた。


 覚醒した時に思ったのは、どうやらまだ自分の命は繋ぎ止められているということだった。

 この王神の洞窟自体が特殊な結界に囲われていることや、封印の地下道の禍々しい雰囲気などが、あらゆる感覚を狂わせている。瘴気の嵐の発作は起こる度にその苦痛が増している。何とかこの命が尽き果てるまでに、リーンの村まで辿り着かなければならない。


 エッジは地上を目指した。

 それほど深部に潜らなくとも花が見つかったのは僥倖だった。この地下道は、名前こそ地下道であるが、大規模な迷宮になっている。深部へ進むほど、魔竜ブレイズ・ウェラーの忘れ形見である魔物どもが蠢いているという。

 この洞窟の封印を解いたのは恐らく四戦士だろう。いくら四戦士といえど魔物の巣窟であるこの地下道の魔物全てを駆逐できた訳ではなく、魔竜ブレイズ・ウェラーが死ぬと同時に完全に消え去るはずだった魔族も未だに残っている。自分の手でも充分に倒せる程度の魔物のみの相手で良いかったのもまた好都合だった。あとは地上に上がるだけだ。この命が尽きる前に。


 地上に出ることができたエッジは再び発作にみまわれた。薬草となる花は必要な量を訊いてはいなかったので、背負い袋に入れられるだけ入れてきた。何種か似たような花もあったので、それらはできるだけ入れてきた。あの医者ならば正しいものを選別してくれるだろう。

 ここで終わるわけには行かない。それに医者の話では症状が出るのが早い者でも一週間は生きていられるとのことだったのだ。王神の洞窟を出れば、リーンの村はもう目と鼻の先だ。

「よぉ兄さん、そんなに荷物抱えてどこ行くんだい?」

 そしてそこでエッジは最悪の敵に出会ってしまった。

 人間。四人の、野盗。

「……」

 選りにも選って発作が起こっている時に、野盗と出会うなど最悪だ。いくらか症状は治まってきているとはいえ、とても戦える状態ではない。エッジは視線だけを野盗に向けた。

「こいつ、瘴気にやられちまってるぜ」

「好都合じゃねぇか。じゃ、この兄さんの命とブツはいただいていくとするか」

 野盗のリーダーらしき男の言葉に反応し、エッジは立ち上がった。物盗りだけではない。人の命を奪うことに歓喜する狂人。食うために殺す獣よりも質が悪い。

「悪いが、こ、この荷物は、あんたらには得のないものだ。このまま、見逃しては、くれんか」

 途切れ途切れにやっとその言葉を口にすると、エッジは背負い袋に手を入れ、花を一輪出した。

「こ、こんなものが金になる時代じゃ、な、ないだろう」

「それだけか?見ればあんたが装備しているもんは中々上等だぜ。それだけでも構わないさ」

 そう言った野盗の一人がエッジに斬りかかってきた。

「!」

 身体が重い。エッジは野盗の剣を不用意に左肩で受けてしまった。肩が外れたかもしれない。初めから肩当てで受けようとしていればそうはならなかったかもしれないが、エッジは発作が起きているにもかかわらず相手の剣をかわせると思ってしまった。背負い袋の左のベルトが切れる。

「たの、む……」

 左肩を押さえ、エッジは言った。野盗に頭を下げるなど、戦士としてあるまじき行為だ。しかしそれよりも今は守りたい生命がある。ここで死んでしまっては何もならない。自分の努力が無駄になるのは構わないが、あの笑顔を亡くしてしまうことはできない。今は剣を抜く力さえない。鎧で剣を受けるのが精一杯になっていた。生涯、今ほど自分の身体を呪ったことはない。

「死ね!」

「!」

 野盗の剣がエッジの腹部を捕らえた。

(くそ……!こんな時にまで……)

 腹に熱を感じ、エッジは倒れる。これまでもこのようなことが何度もあった。その時、エッジの周りには必ず仲間がいた。だが、今のエッジは一人で、死に至る病に侵されている。流石にここからの復活は絶望だ。

「うがっ!」

「ぎゃああっ!」

 エッジが倒れると同時に野盗の断末魔の声が聞こえてきた。何が起こっているのか判らない。発作のせいなのか、刺され、失血したせいなのか、視界も既に失われつつある。

「終戦したってのにまだこんなごみ野郎どもがいるってのも悲しい現実だな」

(こ、この声)

 聞いたことがある。確かに聞き覚えのある声だ。

「よ、久しぶりに会ったと思った途端にオサラバとはな」

「あ、あんた……」

 まさかこんなことで再会するとは思ってもみなかった男だ。

「なん、で、こんな、ところに」

「言えよ。あんたがやろうとしてたこと。おれがやってやる。時間がないんだろ?」

 男は淡々と言ったが、その声は僅かに震えているようにも聞こえた。エッジがどういう状態なのかを、正確に理解している。

「アカ……」

「待った。その名前は捨てようと思ってな。そうだな……アインスとでも名乗ろうか」

 男はそう言って笑ったようだった。

「この荷物を、リ、リーンの村の医者に……」

 もう動かない身体では荷物を指し示すこともできなかったが、それでも背負い袋から覗いて見えるはずの荷物で、何を医者に渡すべきなのかは判ってくれるはずだ。

「判った。……とどめ、いるか?」

 男の、アインスの声が優しく響く。

(この男なら、大丈夫だ……)

 エッジはアインスと名乗り変えた男の顔をぼんやりと思い浮かべてみた。人懐こい笑みを見せる子供のような男だったが、いざ戦いともなればこの男に勝てる人間などいないのではないかと思うほどの強さを持っていた。

 この男に命を救われたのはこれで確か三度目のはずだ。

 そして救われたと同時に、自分の命を絶つ男でもあったという訳だ。

 それも悪くない、とエッジは頷いたが、アインスにそう見えたかどうかは判らなかった。


 リーンの村に一人の傭兵が訪れた。

 自分のものとは別の、ぼろぼろになった背負い袋を肩にかけ、その男は村の入口にいた少女に話しかけた。

「ども、この村に医者がいると思うんだけどさ、会わせてくれないか?」

「お医者様ですか?判りました」

 少女はそう言って、医者のところまで傭兵を案内した。

「すまない。おれはアインス・ゼル・ディヴァインだ」

「あ、私、エリー・グリーンウッドって言います。アインスさん、良かったら食事を少しお分けできますので、後でうちに寄ってください」

「あぁ、そいつはありがたい。そうさせてもらうよ」

 アインスは笑顔になって、エリーと名乗った少女にそう答えた。


 トゥール歴六王国二八〇年


 六王国の歴史には終止符が打たれ、トゥール公国の歴史が新たに綴られることになる。


 置き去られし花 終り

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

置き去られし花 yui-yui @yuilizz

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ