置き去られし花

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置き去られし花

 トゥール六王国暦二八〇年


 トゥール大陸過去最大の戦争、第二次トゥール六王国大戦が終結した。


 全ての争い、全ての禍の元凶であった最も古き邪竜、ブレイズ・ウェラーが伝承の四戦士に討たれ、第二次トゥール六王国大戦の終戦が公表されたのはつい三ヶ月前のことである。近々フィデス王国では大々的に終戦式典が行われることになっている。

 

 伝承の四戦士に討たれた最も古き邪竜、ブレイズ・ウェラーが断末魔に発したの呪いの竜の吐息ドラゴンブレスは禍々しい瘴気を孕み、たちまち嵐となってトゥール全土を一ヶ月もの間、蝕み続けた。


 ブレイズ・ウェラーが討たれた日、セルディシア王国各地に封印されていた精霊が一気に解放された。この、何者かに依る精霊解放の影響でセルディシア王国に留まらず、トゥール大陸の各地に大規模な地殻変動が起こった。吹き荒ぶ瘴気の嵐と相まって、一時期はトゥール大陸全土が崩壊するのではないかと思われるほどの天変地異が起こった。

 だが、解放された精霊達は疲弊したトゥール大陸の大地に活力を蘇らせ、それにより力を、あるべき姿を取り戻したトゥール大陸全土の自然の力は、地殻変動や瘴気の嵐を徐々に沈静化させて行った。



 マーカス王国 セリファクルスの村



 マーカス王国南東部、ナイトクォリー王国との国境でもある王神の山脈にほど近い、地図にも描かれていない森に囲まれた小さな村。

 森は防風、防砂の役割を果たし、幾度か発生した瘴気の嵐もこの村までは届かない。

 そんなセリファクルスの村に一人の旅人が訪れた。

 旅人の名はエッジ・フェイマー。

 エッジは第二次トゥール六王国大戦に於いて、マーカス王国の傭兵部隊に所属していた。

 第二次トゥール六王国大戦最大の功労者であるトゥール十四爪牙にこそ選抜されはしなかったものの、その腕を見込まれ、セルディシア王国を除く、五王国連合軍の最前線に身を置き、時には伝承の四戦士とも肩を並べて戦った。マーカス王国国王直々に騎士の誘いを受けたが、エッジは領地にも騎士という地位にも興味はなく、その誘いを丁重に断り、最期の、自由気ままな旅に出ることにした。

 エッジは終戦直後、セルディシア王国の城下町を出て、突如発生した瘴気の嵐に巻き込まれた。身体は瘴気に侵され、発作が起きるようになり、全身に耐えがたい激痛が走るようになった。瘴気の嵐に巻き込まれて三ヶ月、その発作に耐えかねて幾度か意識を失ったこともある。

 エッジと同じように終戦直後に瘴気の嵐に巻き込まれた者は、ほぼ死んでしまった。エッジも自身の命がそう長くは続かないことは理解していた。一人きりでいる所を襲われたとしても、発作で倒れているところを襲われたとしても、それで構わないと思っていた。

 伝承の四戦士や、各国の英雄王、屈強な騎士や傭兵と共に大戦を戦い抜き、終戦に導くことができた。

 エッジは心のどこかで自分はすべてをやりきった、という充実感のようなものを感じていた。


 セルディシア王国からナイトクォリー王国を経て、マーカス王国にあるセリファクルスの村に訪れたのだが、村の入り口で発作に見舞われ、意識を失ってしまった。



「ここは……」

 エッジは目を開くと、見慣れない部屋に思わず呟いた。どうやら誰かに拾われて、ベッドに寝かされていたらしい。

 宿屋などの洗濯をしてあるシーツの匂いではなく、微かに甘い香りの残るベッドであることから、このベッドは普段から誰か、それも女性が使用しているものなのだろうという想像はついた。

 辺りを見回す。すぐに鎧や上着、背負い袋などがベッドの脇に几帳面に整理されて置かれている様が目に入った。

 大きな出窓と小さな窓がある。森の中の村にしては陽当りも良く、窓辺には小さな鉢植えが置かれていた。美しくも儚げな、小さな白い花をつけている。

 部屋の出入口であろう扉の脇には観葉植物までもが置かれ、部屋を彩っている。

 几帳面に並べられた鉢植えや淡い空色のカーテンなどを見れば、この部屋の主の性格も伺える。

 上半身だけを起こし、軽く頭を振ると、ベッドから降りようとした。すると、ノックもなしに若い女性が部屋に入ってきた。

 一旦ベッドから降りるのを止め、恐らくは部屋の主であろう女性に目を向ける。

「あ、起きていらしたんですね」

 女性は可愛らしい声でそう微笑んだ。笑顔が良く似合う、二十代中頃の、美貌の中に若干の幼さを残す女性だった。一度だけ訪れたことがある、エルフの森を思い起こすような、深い森色の美しい髪をリボンでまとめている。途端に部屋の空気が華やいだような感覚を覚える。

「助けてくれたのか……?」

 エッジは言ってベッドから降りた。

「えぇ、森に薬草を取りに行こうとしたら、貴方が倒れていたので」

 女性ははっきりとした明るい声音でエッジに答えた。

「それは済まないことをした。薬草は取れたのか?……いや、この場合礼が先だな。ありがとう、助かった」

 エッジは一気にそこまで言うと頭を下げる。生来の口下手で、女性どころか人と話すことも得意ではない。礼が言えただけでもエッジとしては上出来だった。

「いえ、御礼には及びません。こんな時期ですし、困った時にはお互い様です。私はエリーって言います。貴方は?」

 そんなエッジを見て、エリーと名乗った女性はくすくすと笑いながら言った。

「俺はエッジ・フェイマーと言う」

 一瞬だがエリーの笑顔に見とれそうになってしまった。戦友には恵まれたが、女性には縁がなかった。大戦が勃発する前も傭兵稼業で、隊商の護衛や冒険者達に付き添って各地を転々としてきた。

「エッジさんですね。もうすぐ食事の準備が整いますので、苦でなければお持ちします」

「あぁ、済まない」

 エリーの笑顔にエッジも笑顔を返すと、もう一度頭を下げた。

「大したものではありませんが、空腹よりましだと思いますので」

 自給自足が成り立っているとしても、この御時世だ。足りないものは幾らでもあるだろう。見ず知らずの傭兵に食事まで振る舞う余裕があるとは思えなかった。それでもエリーの笑顔には屈託など欠片もなかった。


 エリーの住む家は五部屋ほどある、ごく普通の家であったが、住んでいるのはエリー一人のようだった。

「家族は……?」

 エッジはエリーの作ってくれたスープとパンを食べながら訊いてみた。

「両親は先月に亡くなりました。二ヶ月ほど前にナイトクォリーに行っていたのですが、瘴気の嵐に飲まれて……」

「済まない。悪いことを訊いた」

 エッジは慌てて謝罪した。一瞬言葉をなくす。この御時世だ。家族を亡くすことは珍しいことではない。たが、先月に家族を亡くしたばかりのエリーにとっては当たり前のことでもなんでもないはずだ。

「でも、姉がフィデスで司祭をしています」

「フィデスというとファーミュルの司祭か」

 姉は元々村を離れていたのだろう。今はどの国の神殿も怪我人や病人で溢れている。フィデス王国の国教、ファーミュル教の神殿も恐らくは同じ状況だろう。

「はい。つい先日手紙が届きました。戦後なのと瘴気の嵐で怪我人や病人が多くて休む暇もないみたいで……。一度帰ってきたいとは書いてあったのですが、今は私情よりも一人でも多くの人を助けたいって」

 両親ことなどはその手紙でやり取りしたのだろう。エリーの笑顔が少し陰ったようだった。

「立派な姉なのだな。俺もファーミュル神の神官達には随分と世話になった。もしかしたら会っているかもしれないな」

 とはいえ、エッジが神官達と出会ったのは戦時中、最後の遠征先、セルディシア王国内でのことだ。遠征軍にはファーミュル教徒だけではなく、スランヴェルン教徒やクレアファリス教徒など、様々な神官達がいた。

「そうかもしれませんね」

 寂しげに微笑するエリーの表情に、思うところがあった。エリーの両親が死に至るまでの期間。瘴気の嵐に巻き込まれ、命を落としたのは先月だという。長く見積もっても二ヶ月ほど。エッジは既に三ヶ月を過ぎようとしている。つまり。

(俺の命もあと幾ばくか……)

 エッジは自嘲めいた笑みを浮かべた。不思議と穏やかな気持ちで、死への恐怖感はない。恐怖感というならば、大戦中の方が大きかった。

 毎日が死と隣り合わせで、絶望的な激戦を幾度も乗り越え、終戦となった今、エッジはやりきった充足感があった。だが、それは裏を返せば生きる目的を失ってしまったということなのかもしれない。

 思い返せば自分が最も生きていると実感できていたのは、伝承の四戦士と肩を並べて戦ったあの瞬間だった。

「不躾なことを訊いて済まなかった」

「……いえ」

 もう一度謝罪を告げたエッジにエリーは短く答え、少しだけ寂しそうに笑った。

「こんな食事で済みません。場合が場合なので……」

「いや、助かる。それにお世辞ではなく、旨い」

 外に出れば瘴気の嵐、国力が回復しないままでは、まともな配給処置も整えられない。瘴気の嵐の影響で街は荒れ、市場なども正常には稼働していない。

 それでもエリーは少ない食料を自分に分けてくれているのだ。それだけでも本当にありがたかったし、事実エリーが作ってくれたパンもスープも、今まで食してきたどんな食事よりも美味しいと感じられた。

「それは良かったです」

 エッジはエリーが用意してくれた食事を平らげると、御馳走様、と礼を述べた。

「エッジさん、お医者様に見ていただいた方がよろしいかと思って呼んであります。もうすぐ来ると思いますので、出て行かれるのはもう少し待っていただけませんか?」

 なるほど、恐らくはその医者がエッジを運んでくれたのかもしれない。

「……何から何まで、本当に済まない。ありがとうエリー。食器は俺が洗おう」

 エッジは席を立つと、スープ皿を手に取ってそう言った。

「また倒れてしまっては大変です。エッジさんはお休みになって下さい」

 エッジからスープ皿を取り上げてエリーは笑顔になった。



「……瘴気に巻かれたか」

 訪れた医者は初老の、白髪交じりの男だった。

 医者はどうやら神聖魔導の使い手でもあるらしく、エッジの胸に手を当てて、何事かを唱えた後にそう言った。

「あぁ。これは感染するのか?それと俺の命はあとどれくらい持つ?」

 エッジはとりあえず疑問に思ったことをその医者に訊いてみた。

「瘴気にあてられたのなら何とも言えんな。未だに生きている者もいれば、一週間で逝く者もいる。人から人への感染はないようだが、確実に言えるのは、今の段階では治す手立てがない、ということだ」

 ひとつひとつ医者は答えた。

 しかしエッジはそれを聞いても特に何も感じられなかった。となればどうするのが最善だろうか、と今後のことだけを考えてしまっているほどだ。

「……お前さん、エリーに気に入られたようだの。どうだ、しばらく一緒にいてやってくれんか。あの娘は先月両親をなくして身寄りがないんだ」

「気に入られている?……ついさっき会ったばかりだというのに、随分物知りなんだな」

 エッジは医者の意外な言葉を聞いて、そう返した。

「もともとあの娘は献身的な子だったがね、お前さんを看病している時のあの顔は、どことなく女の顔をしておったよ」

 我が娘の幸せを祈っているような、優しい顔つきになって医者は言う。

「それなら尚更いられないだろう。死期も近い。あんたの言葉を信じる訳じゃないが、あの娘が本当に俺を気に入っているのだとしたら、また彼女は親しい者を亡くす悲しみを味わわなければならない」

 それはきっと、絶望にも繋がる思いだ。先ほど姉の話をしていたが、その姉だけが心の支えになっているのかもしれない。

「……あの娘の命もそう長くはない」

「なんだって?」

 驚愕に目を見開いてエッジは聞き返していた。あの笑顔は死期の近い者が見せる笑顔だろうか。

「あの娘は胸を患っててな。地下植物の花がなければ薬は作れんのだ。しかしこの状況だ。瘴気の嵐のせいで依頼する冒険者の往来もなく、わしらのような戦う術を持たぬ者ではとてもじゃないが地下植物の採取などできん。薬が作れないとこも、自分の死期が近いことも知っている。その僅かな間だけでも一緒にいてやってくれんか」

 悲痛な表情となった医者を見て、エッジは案を一つ思い浮かべた。

「冒険者ならいる」

「あんた……」

「幸いここは王神の洞窟も近い。封印の地下道へ行けばあるんじゃないのか?」

「封印の地下道だと?無茶を言うな、発作だって起こしているんだ。一人では無理だろう。何人あそこへ行って戻ってこなかったか……あんたも冒険稼業をしている者なら噂くらい知っているだろう?」

 封印の地下道とは王神の洞窟の丁度中心部にある地下洞窟のことだ。かつては最も古き邪竜、ブレイズ・ウェラーが封印されていたと言われ、凶悪な眷属も共に封印されていたとも言われている。

 戦時中、何者かの手に依って、封印の結界が消されたらしいことはエッジも聞いていた。

 そしてそこへ挑んだ冒険者は誰一人として帰ってこなかった、という話も必ずついてくる噂だった。

「俺はこれでも王国連合軍の最前線を張って生きて帰ってきた。その辺の冒険者よりも腕は立つつもりだよ」

 微笑してエッジは言う。自分を救ってくれた娘の命を、今度は自分が救う。

 最期の仕事にしては上出来すぎる。

 エッジは今すぐにでも王神の洞窟に向かおうと考えていた。



 翌日エリーは旅立とうとするエッジに声をかけた。

「もう出て行かれるんですか?」

「あぁ、ちょっとやり残したことがあってね。昨日突然思い出したんだ。それが済んだら、もう一度スープを御馳走になりに来たいんだが……」

 エッジは笑顔になってそう言った。本当の目的はエリーには言わない。

 あの医者に目的の花を渡した後、エッジはこの村を去るつもりだ。

「はい。約束ですよ、必ず帰ってきてください」

 エリーは笑顔になってエッジを見送った。そこに疑いの余地など一欠片もなかったことが、エッジの胸に痛みを覚えさせた。



 どれくらい時間が経ったのだろう。洞窟や迷宮に入ると良くあることなのだが、この洞窟は特別なようだった。

 時間の感覚が全く判らない。医者に渡された地下植物の特徴が描かれた図鑑と、走り書きを見比べ、洞窟に巣食う魔物と戦いながらエッジはついに目的の植物らしきものを見つけることができたのだが、そこで瘴気の嵐の発作が起きてしまった。

 激しい頭痛と吐き気に見舞われ、立っていられなくなり、このまま死に至るのではないかと思うほどの苦痛の中、気を失ってしまった。



 目が覚めた時にはいかほどに時間が経過したのかも判らなかった。が、どうやらまだ自分の命は繋ぎ止められているようだった。

 気を失っていたせいもあるが、それにしても時間の経過具合がここまで判らなくなるのは、若い頃に初めて洞窟に入った時以来だった。

 この王神の洞窟自体が特殊な結界に囲われていることや、封印の地下道の禍々しい雰囲気などが、それらを狂わせているのだろう。

 瘴気の嵐の発作は起こる度にその苦痛が増して行く。何とかこの命が尽き果てるまでに、セリファクルスの村まで辿り着かなくてはならない。

 動けるようになるまで休んでから、地上を目指した。

 それほど深部に潜らなくとも目的の植物が見つかったのは僥倖だった。この封印の地下道は、名前こそ地下道であるが、大規模な迷宮になっている。

 深部へ進むほどにブレイズ・ウェラーの忘れ形見である魔物どもが頻繁に出てくるという噂だ。

 この洞窟の封印を解いたのは恐らく蒼の賢者と呼ばれる魔導師だろう。彼は第二次六王国大戦の元凶ともいえる、最も古き邪竜、ブレイズ・ウェラーにも深く関わっていたと言われていた。

 その真偽は判らないが、戦時中にはナイトクォリー王国、マーカス王国、フィデス王国の三国からこの地下洞窟の探索の依頼が出ていたため、危険度は相当に高かったのだろう。

 伝承の四戦士と呼ばれた彼等もここに訪れ、相当数の魔族を屠ったらしいことは聞いていた。そして、魔族の長であるブレイズ・ウェラーが討ち倒されれば、魔族達は力を失う筈だった。しかしブレイズ・ウェラーが討ち倒されて三ヶ月経った今も、魔族は猛威を振るっている。

 四戦士も万能ではない。その結果だけで彼等を責めることはできない。彼等は大戦の最大の功労者でもある。彼らがいなければ終戦を迎えるどころか今頃人類は滅亡していたはずだ。

 ブレイズ・ウェラーがいなくなり、魔族が力を失ったせいなのか、エッジは自分の手でも充分に倒せる程度の魔物のみを相手にするだけで済んだ。

 あとは地上に上がるだけだ。

 この命が尽きる前に。



 地上に上がることができたエッジは再び発作に襲われた。

 薬草となる地下植物は必要な量を訊いてはいなかったので、背負い袋に入れられるだけ入れてきた。何種か似たような物もあったので、それらはできるだけ入れてきた。あの医者ならば正しいものを選別してくれるだろう。

 ここで終わる訳には行かない。王神の洞窟を出れば、セリファクルスの村はもう目と鼻の先だ。

「よぉ兄さん、そんなに荷物抱えてどこ行くんだい?」

 そこでエッジは最悪の敵に出会ってしまった。

 人間。三人の、野盗。

「……」

 選りにも選って発作が起こっている時に野盗と出会うなど最悪だ。いくらか症状は治まってきているとはいえ、とても戦える状態ではない。エッジは視線だけを野盗に向けた。

「こいつ、瘴気にやられちまってるぜ」

「好都合じゃねぇか。じゃ、この兄さんのタマとブツはいただいていくとするか」

 野盗のリーダーらしき男の言葉に反応し、エッジは立ち上がった。物盗りだけではない。人の命を奪うことですら喜びになる狂人。

「悪いが、こ、この荷物は、あんたらには得のないものだ。このまま、見逃しては、くれんか」

 途切れ途切れにやっとその言葉を口にすると、エッジは背負い袋に手を入れ、地下植物を取って見せた。

「こ、こんなものが金になる時代じゃ、な、ないだろう」

 見る者が見れば薬草としての利用価値があると判るものなのだろうが、こんな連中にそれが理解できるとも思えなかった。

「それだけか?見ればあんたが装備してるもんは中々上等だぜ。それだけでも構わないさ」

 そう言った野盗の一人がエッジに斬りかかってきた。

「!」

 身体が重い。エッジは野盗の剣を不用意に左肩で受けてしまった。肩が外れたかもしれない。初めから肩で受けようとしていればそうはならなかったが、エッジは発作が起きているにもかかわらず相手の剣をかわせると思ってしまったのだ。背負い袋の左のベルトが切れる。

「たの、む……」

 左肩を押さえ、エッジは言った。

 野盗に頭を下げるなど戦士としてあるまじき行為だ。

 しかしそれよりも今は守りたい生命がある。ここで死んでしまっては何もならない。自分の努力が無駄になるのは構わないが、あの笑顔を亡くしてしまうことはできない。

 しかし今は剣を抜く力さえない。鎧で剣を受けるのが精一杯になっていた。

 生涯、今ほど自分の身体を呪ったことはない。

「死ね!」

「!」

 野盗の剣がエッジの腹部を捕らえた。

(くそ!こんな時にまで……)

 腹に熱を感じ、エッジは倒れた。

「うがっ!」

「ぎゃああっ!」

 エッジが倒れると同時に野盗の断末魔の声が聞こえてきた。何が起こっているのか判らない。発作のせいなのか、刺されたせいなのか、視界も既に失われつつある。

「随分とせこいやつらだな」

(……この声)

 聞いたことがある。確かに聞き覚えのある声だ。

「よ、久しぶりに会ったと思った途端にオサラバとはな」

「あんた……」

 まさかこんなことで再会するとは思ってもみなかった男だ。

「なん、で、こんなところに」

「用件を言えよ。あんたがやろうとしてたこと、おれがやってやる。時間は、ないんだろ?」

 男は淡々と言ったが、その声は僅かに震えているようにも聞こえた。自分の命がもうないことを判っているのだ。

「……」

「待った。その名前は捨てようと思ってな。そうだな……アインスとでも名乗ろうか」

 エッジが微かに声にした名を遮って、男は笑ったようだった。

「この荷物を、セリファクルスの村の医者に……」

「判った。……とどめ、いるか?」

 男の、アインスの声が優しく響く。

(この男なら、大丈夫だ……)

 エッジはアインスと名乗り変えた男の顔をぼんやりと思い浮かべてみた。

 人懐こい笑みを見せる少年のような男であったが、いざ戦いともなれば、この男に勝てる人間など、この世に存在しないのではないかと思わせるほどの、鬼神の如き強さを持つ。

 この男に命を救われたのはこれで確か三度目のはずだ。

 そして救われたと同時に、自分の命を絶つ男でもあったという訳だ。

 それも悪くない、とエッジは頷いたが、アインスにそう見えたかどうかは判らなかった。

 エッジはそこで意識を手放した。



 セリファクルスの村に一人の傭兵が訪れた。

 自分の物とは別の、ぼろぼろになった背負い袋を肩にかけ、その男は村の入口にいた女性に話しかけた。

「この村に医者がいると思うんだけど会わせてくれないか?」

「お医者様ですか?判りました」

 二十代も中頃か、少しだけあどけなさを残す女性は、屈託のない笑顔で頷いた。

「済まない。おれはアインス・ゼル・ディヴァインだ」

「あ、私、エリー・グリーンウッドと言います、後でお宿にもお連れ致しますね」

「あぁ、そいつはありがたい」

 アインスは笑顔になって、エリーと名乗った少女にそう答えた。



 トゥール歴六王国二八〇年。



 フィデス王国で行われた終戦式典にて、六王国の歴史には終止符が打たれた。

 王国は解体、統一され、新たにトゥール公国として、一つの国として、歴史が綴られて行くことになる。



 置き去られし花 終り

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