第20話
「ひとつだけ条件がある。女装だけは勘弁だ」――女性である小夜子の霊を、男の美月の体にのりうつらせるにあたって美月が出した条件は、「絶対に女の格好はさせない」であった。
かつての恋人に会いにいくのだから綺麗に装いたいという女性の気持ちはわからないでもないが、自分の女装姿なんて想像しただけでも気持ちが悪いのでそれだけは勘弁してくれという美月のたっての願いで、外見だけは普段の美月のまま、小夜子の霊は美月の体を借りて、かつての恋人、柏木孝雄=吉田健二の働く映画館、世界座へとむかった。
女装はさせなかったものの、小夜子の霊がのりうつった美月は、やはり美月ではなかった。普段着の着物姿ではなく、見慣れないラフなジーパン姿のせいばかりではない。スメラギの愛車、ビートルの助手席に座る美月、いや小夜子は、両手をきちんと、これまたきちんと閉じた両足の膝の上に置き、仕草は女そのものである。
(女装させたほうがマシだったか……)
なまじか外見が美月なだけに、かえってスメラギは居心地が悪かった。
美月自身は気持ち悪いといったが、案外と美人になったのではないかと、スメラギは今さらながらにおもった。
神社の禰宜をつとめながら、その笑顔は三度以上の仏顔。笑うと目のなくなる人懐っこい笑顔の美月は、きっと亡くなった母親そっくりの美人になっただろう。
(ただし、デカい女になるけどな)
美月は、180センチのスメラギよりさらに数センチ背が高い。
世界座に着き、いよいよかつての恋人の生まれ変わりである吉田健二と対面という前に、スメラギはいくつか注意すべき点を小夜子に告げた。
・吉田健二が前世の記憶をもっているとは限らない。むしろもっていないとおもったほうがいい
・あくまでも美月龍一郎という「男」として吉田健二に接触すること
・男の体にのりうつっているのだということを忘れないこと
スメラギの注意にいちいちうなずくと、小夜子はそそくさと館内のロビーへと姿を消した。
ロビーには、開館から最近にいたるまで世界座で上映してきた映画のポスターがところ狭しと貼られ、それぞれのポスターの前には人だかりがあった。その映画に関する思い出を互いに語り合っている映画ファンたちなのだろう、その中に世界座のスタッフとして働く吉田健二の姿があった。
美月の体にのりうつった小夜子は、吉田を取り巻く他の人々にまじって、しきりと話しかけていた。対する吉田の反応は、他の人への反応と変わりなく、美月の体に宿る魂がかつての恋人のものだとは気付いていない様子だった。
「前世の記憶がないんだろうなあ……」
「ある人間のほうが珍しい」
いつのまに来たのやら、呼び出しをかけた死神が隣に立っていた。小夜子との約束では、吉田と話ができたらおとなしく死神に連れられてあの世へ行くことになっていた。
死神の言うとおり、生まれ変わった人間で前世の記憶をもっている人間は少ない。ほとんどの人間が生まれ変わると同時に過去の記憶を失う。覚えているという人間は少なく、多くの場合、何かのきっかけで思い出しただけで、はじめから覚えているということはない。
「彼は思い出すかなあ……」
小夜子の魂をもつ人間と話すことが、前世での記憶を取り戻すきっかけになるだろうか。
「思い出しても、思い出さなくても、どちらにしても、やっかいだ」
死神の予言はあたった。
小夜子は明らかに吉田を独占したがっていた。吉田が他の人間と話をしているのに割り込むように会話に入ってくる。相手の言葉をさえぎって自分の言葉をたたみかける。周囲の人間は、様子のおかしい小夜子(外見は若い青年の美月)に、次第に吉田のもとを離れていき始めた。
「まずいな……」
前世での記憶をもたない吉田に、小夜子はいらいらし始めていた。おそらく、過去のふたりの思い出でも話しだしたのだろう。あれは覚えていないのか、これはどうだとか。
遠めにも吉田が困惑しているのが見えたので、スメラギはここらで引き上げたほうがいいと、小夜子のもとへとむかった。
「おーい、美月じゃないか」
友人にばったり会ったようなふりで小夜子に近づいていったその瞬間、美月の体が崩れ落ち、とっさに抱きとめられた吉田の腕の中でぐったりと意識を失っていた。
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