第13話
「親父さんとふたりしてカップ麺やコンビニの弁当ばかりじゃ、健康によろしくないだとよ」
「わかってるけど、父さんも僕も料理は苦手なんだよ」
「だから、お前が嫁をもらえばいいんだとさ。彼女はいないのか?だってよ」
「いやだなあ、母さん。そんな話、スギさんの前で……」
身長180cmを超える長身で細身、笑うと目のなくなる仏顔の美月は、もてた。スメラギの知る限り、中学・高校と、彼女がいなかった時期がない。そのくせ、長続きせず、たいていは数ヶ月で終ってしまう。
身長が高いというだけで美月と同じバスケ部に入らされたスメラギとはえらい違いだ。かたやバスケ部のエースでキャプテン、かたや、生まれながらの白髪のせいでいじめられてばかりで性格がひねくれてしまった劣等生。加えて霊がみえるとあっては、人付き合いを避けてしまいがちだというのに、彼女をつくるなどもってのほかだった。半分でいいからよこせ、と冗談を言ったことがあるが、美月は照れたように笑うだけで、スメラギの前では女性の話をしたがらなかった。
それはいい大人になった今も変わらない。時々、近所で見かける美月はそのたびに違う女性と連れ立って歩いているが、彼女なのか、ただの女友達なのか、スメラギは知らない。聞いたところで、答える美月ではない。
「お前のことが心配なんだな、お袋さん」
「子どもじゃないんだから」
「靴ひももちゃんと結べないのに?だってさ。なんだ、お前、靴ひも結べないのか」
美月は、母親がいると思われる方に向き直り、
「母さん! そういうことは言わない!」
と言うが、美月の母親は平然と聞き流している。
霊気にあてられて弱っていたのもなんのその、今はすっかり調子を取り戻して腹を抱えて大声で笑っているスメラギに、美月は、禰宜は着物姿で過ごすことが多くて靴を履く機会があまりないからうんぬんと言い訳をしていた。
「ああ、ったく。僕だってみえたら、スギさんのお袋さんからスギさんの秘密なり、弱点なりを聞きだしてやるのに」
「残念だったな」
美月の母親は、スメラギの口を通して美月の好物のサバの味噌煮の作り方とコツを教え、美月より一足先に愛する夫、美月の父親のいる富士宮神社へと戻っていた。
「何だか不思議な感じだよ。母さんがまだ生きているみたいだ。スギさんには生きている時と同じように見えているのかい?」
「まあな」
「スギさんのお袋さんも、盆には戻ってくるのかい?」
「ああ。でも親父のところだ…」
「そう」
スメラギは嘘をついた。
スメラギの母親の霊はスメラギにもみえない。天上界にいったものだろうと地獄に落ちたものだろうと地上に残るものだろうと、霊なら幽鬼でも何でも見えるスメラギだが、存在しないものはいかにスメラギの霊視をもってしても見えない。
スメラギが6歳のときに死んだ母親は、この世から消滅した。消滅させたのはスメラギ自身である。
スメラギの母親が死んでこの世からその存在を消してしまって以来、もともとうまくいっていなかった父と子の関係はさらにぎくしゃくし、数年前にスメラギが二十歳の成人式をむかえると、スメラギの父、皇慎也は、親の責任は果たしたとばかりに家を出て行った。
今は、この世にとどまり続ける幽鬼たちを説得、成仏させる全国放浪の旅に出て、たまの連絡は美月の父親あてにくる。スメラギと美月がそうであるように、父・慎也と美月の父親とは親友同士だった。
代々にわたって富士宮神社の宮司をつとめる美月家と皇家との付き合いは長く、スメラギが美月龍之介に出会ったのは、霊視防止用のメガネを作ってもらうよう、父親に連れられて美月家をたずねたのが最初だった。
スメラギの霊感体質は父親ゆずり、皇家は魂守人(たまもりびと)として代々、霊を鎮め、霊が生きている人間の世界に干渉しないよう、務めてきた。皇家のものとして、スメラギもまた例外なく、霊と関わる仕事をしている。
スメラギが幼いとき、父親と母親は離婚し、スメラギは母親に引き取られた。離婚の理由は、皇家の特殊な血にあったのだろう。普通の人間と同じように霊が見えているスメラギにむかって、母は、あそこに人がいるとかそういうことは、人の前では言っちゃダメよと諭した。母は、「普通の子」としてスメラギを育てたかったのかもしれない。
母親が事故死した後は、父・慎也に引き取られたが、母親はまだ幼いスメラギを心配してこの世にとどまり続ける幽鬼になった。
母親は生きていた時と変わらずにスメラギの面倒をみた。死んだはずの母親の姿が常にそばにあるので、スメラギは母親が死んだとはおもっていなかった。父に隠れての母との生活は5年続いた。終止符を打ったのはスメラギ自身だった。
ああするほかに、母親を救う方法はなかった。怨霊となった母を永遠の責め苦から救うには、母親を消滅させるよりほかに仕方がなかった。母が怨霊となったのはスメラギのせいだったから、母を救うのはスメラギの責任だった。生まれつきの白い髪のせいでスメラギはよくいじめられていた。スメラギを愛するあまり、母は、スメラギをいじめていた子どもたちに祟った。
怨霊となった母をスメラギは覚えていない。覚えているのは、何かと世話を焼きたがる母の、ダメねえという口癖と、口調と裏腹の笑顔だけだ。
「ハックション!」
くしゃみをしたスメラギの耳に、母のダメねえという声が聞こえた気がした。
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