第9話
“宮内小夜子”と札のかかった病室を訪れ、スメラギはがっかりせずにはいられなかった。
死人の最期の頼みをきく仕事をしているスメラギは、宮崎老人のこの世での心残り、戦友・柏木孝雄から託された恋人・宮内小夜子への手紙を渡す依頼を受けた。
何しろ60年以上もの年月を経ているので、手紙の住所はあてにならない。生きているかすらもあやしいところだ。そうおもったスメラギは、死人の側から”宮内小夜子“捜しを始めた。
生きとし生けるもの、死んだもの、この世とあの世のすべての魂を記録した、地獄の鬼籍データによれば、“宮内小夜子”と名乗る人物は3人。地獄に落ちた1人目は、スメラギの捜す“宮内小夜子”ではなかった。
2人目の宮内小夜子は一週間後に老衰で88歳で死ぬ予定になっていたが、ベッドに寝かされた状態の宮内小夜子は生きているとは名ばかりの状態だった。
すでに意識はないのだろう、人工呼吸器を取り付けられ、見舞いの花に隠れた心電計がくりだす規則正しい機械音だけが、かろうじて宮内小夜子の肉体が生きていることを告げていた。
生きていれば、かつての恋人、柏木孝雄からの手紙を渡してそれで終わり、のはずの仕事だった。
死んでいれば、これまた、柏木孝雄からの手紙を預かっていると言って渡して任務完了、のはずの仕事だった。
死んだ人間とならば話のできるスメラギだが、生きている人間とはその肉体が機能していない限り、話ができない。
死ぬのを待つか―
病室を後にするスメラギと入れ違いに若い男が病室へと入っていった。男は宮内小夜子のベッドのかたわらに腰をおろし、意識のない宮内小夜子に話しかけていた。家族なのだろう、年のころからいうと孫だろうか。
待てよ―
家族なら、柏木孝雄につながる何かを聞きだせるかもしれない。宮内小夜子から何かを聞いているかもしれない。
廊下の角を曲がりかけたところでスメラギは、病室へと引き返した。
と、スメラギよりも先に病室へと走っていく2、3人の人があった。看護師と医者だ。彼らは慌てた様子で宮内小夜子の病室へと駆け込んでいった。スメラギも後を追った。
心電計の甲高い音が病室中に響きわたるなか、宮内小夜子は蘇生処置を受けていた。寿命が尽きるまであと1週間はあるはずだが?と、スメラギはあやしみながらベッドへと近寄っていった。
霊視防止のための紫水晶のメガネを鼻頭に少しずらすと、医者や看護師たちの間に立っているパジャマ姿の老女がみえた。肉体を離れた宮内小夜子の魂が死んだ自分をベッドに見下ろしていた。
「あなた、お迎えの方?」
宮内小夜子はスメラギの見事な白髪をじっとみつめた。天使にでも間違えられたのだろうか。
スメラギは首を横に振った。
「私、死んだのかしら?」
宮内小夜子の姿は誰にも見えず、声は誰にも聞こえていない、スメラギをのぞいては。
スメラギがうなずいてみせると
「何だか変な感じねえ」
老婦人は少女のように軽やかに笑った。ベッドでは必死の蘇生処置が続いている。
「寿命はまだあるから、助かるぜ」
「そうなの……」
喜ぶかとおもったら、老婦人は少しがっかりした様子だった。
「あれはものすごく気持ちが悪いの」
老婦人は人工呼吸器を指さした。
「無理やり空気を送りこんできて、苦しいったらありゃしない」
「1週間の我慢。1週間したら死神が迎えにくる」
「私、はじめ、あなたが死神だとおもったのよ」
老婦人の視線がふたたびスメラギの白髪の頭にむいた。
「これは生まれつき、死神は葬儀屋みたいな恰好の無愛想なやつ」
「あなたは、生きた人間?」
スメラギはうなずいた。
「見えないはずのものが見える特異体質」
「少し前にも来ていたわね。死神でないなら、私に何か用があったの?」
「柏木孝雄という人を知っていますか?」
老婦人は、ほんの少しの間、考えをめぐらし、いいえと答えた。
「不思議ねえ。物忘れがあんなにひどかったのに、今はいろんな事がはっきり思い出せるわ。体も何だか軽くなって楽になった気がする」
老婦人は透き通った手足を軽やかに動かしてみせた。足がわずかに地面から浮いて、両手を羽ばたかせたらそのまま空へと飛んでいきそうなくらいだ。
「もう戻ったほうが。家族が呼んでる」
「あの機械、気持ち悪いんだけれど……」
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