第6話
東京駅地下構内。地下の奥底へと貪欲に張り巡らされたエスカレーターを降りていった先に、閻魔庁のある地獄への入口がある。
霊視を妨げる紫水晶のレンズの丸メガネをかけていなかったら、スメラギの目には地獄への入口からエスカレーターをさかのぼって地上まで延々と伸びる死者たちの霊が見えただろう。
死者は生前の行いによって、地獄行き、天上界行き、輪廻転生と3つの行く末が決まっている。死後の行き先を決定するのは閻魔大王だが、その裁定に不服のあるものは最大49日まで不服申し立てができる。死者の列は何とかして地獄行きを回避しようと閻魔大王に訴え出ているものたちの行列だった。
エスカレーターをひたすら降りていくと、一番深い場所にあるプラットホームにたどりつく。スメラギはエスカレーターを降り、くるりと身をひるがえし、エスカレーターのちょうど真下にあたる窪みに身を寄せた。エスカレーター下のスペースを利用したその場所はドアを備えつけて何かの部屋があつらえてあった。
ドアには艶やかな赤いペンキで「関係者以外立入禁止」とあり、カードリーダー式のドアノブで固く閉じられている。ためらうことなくスメラギはドアノブに手をかけ、下におろした。ドアは少し力を入れると簡単に開き、スメラギは壁とドアの隙間に体を滑りこませた。カードリーダーなど見せかけに過ぎない。カードを持っていなければ入れないとあれば、誰も入ろうとしないし、職員ですら入ってこようとはしない。もっとも、地獄のほうでは誰でも歓迎ではあったが。
ここが閻魔庁のある地獄への入口だった。
ドアの向こうには一本の長い廊下があるきり、壁にかかげられた篝火が等間隔に光を投げかけるだけの仄暗い廊下の両脇にはドアが立ち並んでいる。
それぞれのドアの上には、「康広王」「変成王」「泰山王」などと十王たちの名前が掲げられてあり、中では、十王たちが死者の生前の行いを吟味している。十王たちの部屋の前を通り過ぎ、スメラギはひたすら廊下の突き当たりの部屋を目指した。ドアの上には「閻魔王」とあった。
泣く子も黙る閻魔王の部屋は、天井から壁から絨毯に至るまで、目が散りそうな赤一色で、机などの家具は黒で統一されている。その上で殺人が行われ、床に染み出した血が階下に染み出したような天井の中央からは、水晶の豪奢なシャンデリアが吊り下がって妖しげな光を部屋に乱れ飛ばしている。
スメラギを迎えた閻魔王こと夜摩もまた、その体を真紅のボディスーツに包んでいた。豊満な胸を強調し、ほっそりした腰をあらわにする光沢のある素材は人の皮をなめしたもの、高く鋭く尖った踵のハイヒールブーツもまた同じ素材のものだ。豪華な黄金(ブロンド)の巻き毛に覆われた顔の化粧は濃く、燃え立つ炎の瞳は紫色のアイシャドーで彩られ、ふっくらと色っぽい唇は艶やかに赤めいている。
「地獄(こっち)来んなら、連絡ぐらいせーや」
妖艶な姿を裏切る低い声だ。夜摩は男である。豊満な胸はある女の罪人から切り取ったもので、以来おもしろがって夜摩は女装を続けている。女装した夜摩は双子の妹、夜美にそっくりだという噂だった。夜美は地獄にはめったに姿を現さないのでスメラギは事の真偽を確かめようがないが、噂が本当であれば美男美女の兄妹ということになる。
「調べてもらいたいことがあってな」
スメラギは、宮崎老人から預かった手紙を取り出してみせた。夜摩は人差し指をのばし、真っ赤に染めた爪先で手紙を手元に引き寄せた。
「ずいぶん念のこもった手紙やな」
「60年分の思いだからな」
「年数の問題ではないわ。念のこもったものなんぞ、やっかいやで」
「その手紙を渡してくれと頼まれただけだ」
「ふん」
夜摩は爪先で手紙を弾き飛ばした。
「彼女、宮内小夜子のデータが欲しい」
すべての生命、虫ケラから人間、生きたものも死んだものもすべて閻魔庁のデータベース、鬼籍(きせき)に記載されている。すべての過去世から現在のステータス、カルマ、それによって死後、地獄へ落ちるか、天上界へ行くか、はたまた生まれ変わるか――地獄の行き先も細かく分かれてその行き先や生まれ変わりの来世まで、何もかもが記録されている。
この鬼籍上で宮内小夜子を探せば、うるさい役所の戸籍よりよっぽど手っ取り早く行方が知れる。死んだのならその先、地獄か天上界か、何に生まれ変わっているのかも知ることができる。
「死んでんおもうとんのか」
「少なくとも80は超えている」
「わからんぞ。女はしぶといんや。生きとるかもしれん」
と言いながら、夜摩は、長い爪先を器用に操ってキーボードを叩いた。
天井から壁から絨毯まで赤一色、天井からは水晶の巨大なシャンデリアが吊り下がるという地獄趣味をのぞけば、閻魔王の部屋は、地上のオフィスとさほど変わらない設備を整えている。フラットスクリーンのPCモニター、かたわらにはラップトップPC、黒塗りのデスクに無造作に置かれたスマートフォン、電話…機械らしいものといったら、ダイヤル式の黒電話しかないスメラギの事務所とは、まるで違う。
「あかん」
夜摩が素っ頓狂な声をあげた。
「何が“あかん”なんだ」
「宮内小夜子なんておらんで」
「そんなはずないだろ?」
「せやから、“あかん”のや」
すべての生命のすべての記録が記載されているはずの鬼籍に載っていないはずはないと言い、夜摩は、はっと口をつぐんだ。
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