第2話

 「おい、ハリネズミ」と、聞こえた声は夢にしては、はっきりしすぎていた。

 けだるげに目を開けると、男と目があった。ソファーに横たわるスメラギの顔を見降ろしている男の目もスメラギの薄目に負けず劣らず細い。

「ハリネズミって何だよ」

「お前のことだ」

「何でハリネズミよ」

「見たままだ」

 男の視線は、スメラギの頭部にそそがれていた。短く刈り込まれた髪の毛先はツンと尖り、今にも針となって飛び出しそうな勢いだ。その上、毛先から根元まで、見事な白髪である。

「じゃあ、お前は葬儀屋だ」

 スメラギはソファーの上に起き上がった。

 男は、黒のスーツに全身を包み、黒いネクタイを締めている。

「私は死神だ」

「その格好はどう見ても葬儀屋だ」

「それはそうだ。葬儀屋の格好をしているからな。しかし、私は葬儀屋ではない。人の死に目に立ち会うにはこの格好が一番目立たなくて都合がいいのだ。別に、赤白爺さんの格好でも私は一向に構わないが」

「じゃあ、俺の死に目にはぜひとも赤白爺さんの格好で頼むわ」

 サンタクロースの格好で死に枕に立つ死神の姿を想像し、スメラギは声を殺して笑った。スメラギの冗談が通じていない死神は憮然とした表情を崩さない。

 死神との付き合いは長い。初めてあったのは母親の死に目の時だ。首筋に冷たいものを感じ、夜中にふと目が覚めた。隣に目をやると寝ている母の枕元に黒服の男が立っていた。その男が死神だった。死神のとなりにはパジャマ姿の母がいた。しかし、スメラギのとなりには布団にくるまって寝ている(実際には死んでいるのだが)母がいるのだった。

 死神の姿は当時と変わらない。しみ、しわ一つないつるんとした顔に、ハサミで切りこみを入れたような薄い目、尖った鼻、薄い口。親しみのわく顔立ちではないが、かといって取って食われるような恐怖を感じさせるわけでもない。クールを売りにする俳優にいそうな容貌だ。

「せっかく気持ちよく寝てたのに、邪魔しやがって。今日は何の用だよ、死神。まさか、迎えに来たっていうんじゃねえだろうな」

 死神がスメラギのもとを訪れる時は必ず人を、死んだ人間を伴っている。その同伴者が今日はいない。スメラギはふと不安にかられた。昼寝のつもりでいたが、涅槃に足を踏み入れていたとでもいうのか。

「お前の迎えならまだ先――」

「あーっ!」

 声をあげ、さらには両耳を塞いでスメラギは死神の言葉をさえぎった。

「なんだ、お前は自分が死ぬ時を知りたくないのか?」

「知りたくねえよ」

「迎えにいくと、いつ死ぬかわかっていたらもっと有効に人生を過ごしたのにという人間が多いが?」

「明日だっていうんなら、何かをするには時間が足りないし、五十年後だっていわれたら先すぎてピンとこねえし。五十年もあったら、やりたいことは先延ばししちまって、結局、時間を有効に使えねえんだから、知らなくていいんだよ」

「確かに」

 死神は腕を組んでスメラギの顔を凝視した。感情のこもっていない瞳に見つめられるのは気持ちのいいものではない。

「何だよ?」

「あんな死に方をするとは知りたくはないな」

「まあ、畳の上では死なないだろうってのはわかってるさ……」

 スメラギは、ふうとため息をついた。人の裏の顔を暴く仕事をしているせいか、ろくな死に方をしないと捨て台詞を吐かれた経験なら何度もある。体は丈夫な方だが、霊が見える体質のせいか、生まれつき髪が白い。年老いて穏やかに死んでいく未来はどうしたって想像できない。

「畳の上ではないな。お前の死に場所は――」

「あーっ!」

「うるさいぞ、ハリセンボン」

 叫ぶスメラギにむかって死神が冷たい視線を投げかけた。

「畳の上では死なないってのは、穏やかには死なないっていう喩えなんだよ。ってか、ハリセンボンって何だよ。ハリネズミじゃなかったのか?」

「指きりげんまん、ウソついたら~」

 針千本飲ーます、と、死神は低い声で調子をつけ、約束の仕草の小指をたててスメラギの目の前に差し出してみせた。

「知らないのか?」

「知ってるって。てか、それをいうなら魚のハリセンボンだろ」

「針千本なんていう名の魚がいるのか?」

「危険が迫ると、体を膨らませて立たせる棘で身を守るんだ」

 スメラギは頭に手をやった。短い髪の先端が手のひらに突き刺さる。

「お前に似ている魚がいるのか。それは魚が気の毒だな」

「どういう意味だよ」

 スメラギは力まかせに死神の小指を折った。

「死神よぉ、昼寝の邪魔しに来たってだけならもう帰れよ。せっかく気持ちよく寝てたってのにさぁ」

 ソファーの上に再び寝転がろうとしたその時だった。

 死神が「依頼人だ」と言った。

 腹筋に力を入れ、スメラギは倒しかけた体を元に戻した。そして、死神の背後をさぐった。死神の背は二メートル近くある。死神に隠れて見えないだけかと思ったら、人はもちろん、霊の姿も見当たらない。

「はあ? 依頼人ってどこよ?」

「お前の目は節穴か、ハリセンボン」

「依頼人なんていねえじゃねえかよ」

 スメラギは、いまだ立ったままの死神の小指を折った。

「お前の目は針で突かれて穴だらけなのか? お前の目の前にいるだろう、ハリネズミ」

「だからさ、ハリネズミでもハリセンボンでもねっての。俺の目の前にいるのはお前だけだ、葬儀屋」

「葬儀屋ではない。依頼人だ、節穴ハリセンボン」

「お前が依頼人?」

 声が思わず裏返った。

「死神のお前が探偵の俺に何の仕事を頼むってんだよ」

「裏稼業の依頼ではない。お前の表稼業の仕事の依頼だ」

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