第362話『明日に向かって吠えろ!』


 野生動物に周囲を囲まれていた。

 数は3か、4か。


 なぜ想像しなかった? 野生動物が仲間を呼んでくる、とい可能性を。

 対峙するときは……襲われるときは1対1だと、勝手に思い込んでいた。


「判断が遅かった」


 選択の機会はあの瞬間しかなかったのだ。

 助けは来ない。ならばシークレットサービスの女性を見捨てて、自分ひとりでも助かる道を……。


「いや、どっちみち同じだな」


 思った。俺は何日経とうとも彼女を置いて行くなんてできなかっただろう。

 きっと俺は、決断を先送りにしたわけではなく……見捨てないという決断をしたのだ。


 シークレットサービスの女性は最初、VTuberのことをほとんど知らなかった。

 けれど、最近は俺がきっかけでだんだんと推しができてきた、らしい。


「そんなの見捨てられるわけないよな。先輩ファンとして。まだまだ、その先にはたくさんの楽しみが待っているのに……それを体験させずに、死なせるわけにはいかない」


 自分ひとりここで生き残っても、推しに顔向けできない。

 このままふたりとも死ぬとしても……たとえ100回繰り返したとしても、俺は同じ選択をするだろう。


 野生動物が包囲を狭めてきていた。

 今までとはあきらかにちがう。仕留めにきている。


「ほんと、もうちょっと手加減してくれてもいいのにな」


 集団で、しかも夜。

 おそらくは夜行性である彼らにとって、これほどベストのタイミングもなかろう。


 人間のように油断してくれない。

 獅子は兎を狩るにも全力を尽くすというが、まさしくそのとおりだったらしい。


「いや、この場合は獅子じゃないか」


 スマートフォンのライトがチラリと彼らの姿を映し出す。

 黄色い身体に黒いブチ模様。


 あいにく、その動物がモチーフになっているVTuberを俺は知らない。

 だから「おそらく」になるが、俺たちを襲おうとしているのは――ジャガーだった。


「はぁ、はぁ……ゆっくり、そうゆっくりだ」


 昼間の反省を活かす。

 相手を刺激しないように、まずは拳銃を取り出すんだ。


 ジャガーたちはジリジリと距離を詰めてきていた。

 大柄な個体が1頭に、それよりひと回り小さいのが3頭。


「まだ、来るな……まだ、まだ」


 襲われてからじゃ間に合わない。

 なんとかその前に、発砲して音で追い払うんだ。


 けれど、急に動けば相手に襲いかかるきっかけを与えてしまう。

 急こうとする心と手を、意思の力で必死に押さえつけた。


「……!」


 手のひらがようやく、どこか冷たさを感じる鉄の塊に届き、そのグリップを握りしめた。

 やった! そう気が緩んだ瞬間だった。



 ――ジャガーが吠えた。



「~~~~っ!」


 恐怖が一瞬で、理性をブチ破った。

 気づけば勢いよく拳銃を抜いてしまっていた。


 それが開戦の合図になってしまった。彼らが地面を蹴り、飛び出してくる。

 だが、間に合う! 俺は意を決してトリガーを引いた。



 ――カチン。



「……っ!?」


 弾は発射されなかった。

 どうやら俺はまったく冷静ではなかったらしい。


 あんなにシューティングレンジで教えてもらったのにな。

 はは……やっぱりこういうのは俺には向いてないよ、あー姉ぇ。


「こんのっ!」


 急いで安全装置を外そうとする。

 しかし、恐怖と焦りでわけがわからなくなっていた。うまく手が動かず……。


「あぁっ!?」


 唯一の頼みの綱が、俺の手をこぼれて地面へと落ちていった。

 足元の暗闇に紛れてしまう。


「そ、そんな!? いったいどこに!?」


 慌ててスマートフォンのライトを向け……。

 照らし出されたのは、視界いっぱいに広がる黄色と黒のまだらだった。


「……あ」


 次の瞬間、身体が地面をバウンドしていた。

 すさまじい衝撃。肺の中の空気が強制的にすべて吐き出される。


「かっ、はっ……!?」


 スマートフォンが手を離れ、地面を転がった。

 ライトアップするみたいに俺の頭上を照らし出す。ジャガーの顔がすぐそこにあった。


 身体が動かない。背中が痛い、肩が痛い。

 ジャガーの前足が俺の肩を押さえつけていた。爪が食い込んでいた。


「ぃ、ぎぃ……っ!?」


 ジャガーの頭が近づいてくる。

 生臭い吐息が俺の顔にかかる。その牙が俺の首元へと迫っていた。


 ――俺、ここで死ぬのか?


 あとたった数秒の命。身体の自由もきかない。

 俺だけじゃない。視界の端で、シークレットサービスの女性に小柄なジャガーたちが群がっていた。


 瞬間、プチンと頭の中でなにかがキレた気がした。

 俺にできる、残された行動は……。



”――やめろ”



 俺は静かに吠えて・・・いた。

 まさに今、俺の喉笛を嚙みちぎろうとしていたジャガーの動きが、ビクッ! と止まった。


 俺に残された最後の手段は”言葉”だった。

 彼らの声は毎晩、イヤというほどに聞かされ理解できるようになっていた。


”……なんだ、お前は”


 ジャガーは怯えた様子で俺を見ていた。

 シークレットサービスの女性に群がっていたジャガーたちも動きを止め、こちらを見ていた。


 いったいなぜ? 圧倒的に優位なのは彼らのほうなのに。

 あるいは、エサであるはずの存在が自分たちと同じ言葉を発したもんだから、困惑しているのだろうか?


 野生動物だろうと……いや、だからこそ、か。本能は未知を恐れる。

 あるいは、もしそれ以外・・・・だとしたら……。


「……あ」


 そのとき、カチャリと俺の指先が鉄の塊に触れていた。ここにあったのか。

 天の女神は俺たちに味方したらしい。


 チャンスは今しかなかった。

 俺は意を決して、銃口をジャガーの身体に押し当てた。この距離なら俺でも外さない。


「……ごめんなさい」


 なぜか謝罪の言葉が口をついて出た。

 今度こそ安全装置を外し、そして俺は……トリガーを引いた。



 ――バァン!!!!



 破裂音が夜の森に鳴り響いた――。

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