第276話『結婚、出産、子育て』

 テストで負けた俺は、約束どおりに空き教室へと呼び出されていた。

 シテンノーはいくらか包帯も取れて、ミイラ男マミーではなくなっていた。


 これが若さゆえの回復力か。

 にしても……。


「シテンノー、今回のテスト学年1位だったんだって? すごいねー」


 俺はそう女子から聞いた話を振る。

 正直、心底から驚いた。だって、言語方面のテストまで負けていたから。


 今回の試験はエッセイが多く、必ずしも言語能力だけで決まるものでもなかったとはいえ、だ。

 いったいシテンノーは、今回のテストにどれほどの思いをかけていたのだろうか。


「それで話って? あっ、もしかして昨日の配信について感想を語り合いたいとか? いやー、わかる! 3Dライブめっちゃよかったよねー! でも、今日はその子のアフタートークがあるから早めに帰らないと……」


「全然、ちがうっ!?」


「じゃあ、アレだ! もうすぐ実装される”はこつく”の新規ガチャが……」


「ちょっとはVTuberから離れて考えろぉ~っ!?」


「えー、それは難しい相談だねー」


 そう笑っていると、シテンノーが唐突に俺の手を取った。

 いきなりのことで、俺は目を白黒させることしかできない。


「よく聞け。イロハ、ボクと……」



「――ボクと付き合ってほしい」



 そうシテンノーは言った。

 俺は「うーん」すこし考えてから答えた。


「……どのライブ?」


「ちっがーう!? そうじゃなくて、ボクと”恋人”になって欲しいって言ってるんだ! ボクは……ボクは、お前のことが好きなんだー!」


「……えっ、えぇ~~~~っ!? 」


 まさか、本当に俺のことが好きだったのか!?

 てっきり、シークレットサービスたちの勘違いだと思っていたのに。


「あ、あはは……ムリムリ。だって推しにかける時間減ったらヤダし」


 俺は「じゃ、そういうことで」と笑って誤魔化し、立ち去ろうとする。

 しかし、シテンノーはグッと手に力を込めて離さなかった。


「イロハ、ボクは真剣なんだ。キミの、本気の答えが知りたいんだ」


「えっと、それは」


「ボクは男として、キミを愛している」


 そのまなざしに俺は言葉を失ってしまう。

 異性……同性? から、これほどの思いを向けられたのははじめてだった。


「ボクは過去に一度、イロハに告白した。あのときのボクは天狗になっていて、告白も一方的なもので……それで勝負を挑んでボコボコにされて、思い知らされて」


「……あっ」


 俺はようやく思い出した。

 そうだ、俺はあのときもシテンノーに告白されて……。どうして今まで忘れていたのか。


「でも、今はもうちがう。イロハは『付き合うなら自分よりかしこい人』と条件を出していただろ?」


「えっ!? わたし、そんなの知らな……」


「わかってる。今なら、イロハがそんな条件出すはずないって。なにかの誤解がウワサになってしまっただけだって。それでも……ボクは、そのことを目標にして勉強し続けてきた」


「……!」


「ボクは本気でイロハのことが好きだ。もしまた危険が訪れても、絶対にキミや……キミの大切なものを守ってみせる。必ずキミのことを幸せにする。だから、ボクと付き合ってほしい」


「えっと、その……わたし、は……」


 俺は……わたしは、答えに詰まった。

 今まで、本気でだれかと付き合うなんて考えたこともなかった。


 シテンノーは優秀だ。それに大切な人を守るために、身体を張れるだけの勇気も持っている。

 それに今の俺は身体は女で、だから男と付き合うのが自然で……。


「イロハ、しっかりと考えて欲しい」


 想像する。

 シテンノーと付き合って、結婚して、子どもができて……そんな未来を。


 VTuberよりも大切な家族ができて、気づけばそちらを優先するようになっている。

 慣れない子どものお世話にいっぱいいっぱいで、いつしか推しの配信をあまり見なくなっている。


 でもそんなこと気にならなくて、笑顔が絶えなくって、生活にも困らなくて、子どももかわいくて優秀で。

 この上ないくらい幸せで……。


 そして――そんな生活の中に、あんぐおーぐの姿はないのだ。

 マイやあー姉ぇ、イリェーナたちとも……滅多に会わない友人くらいの距離感になっている。


「イロハ!? ど、どうしたんだ!?」


「……ぇ?」


 シテンノーが突然、慌てたような声を出した。

 「どうかしたのだろうか?」と、不思議に思いながら自分の頬に触れて気づく。


「……あ、れ?」


 濡れていた。涙がツーっと俺の頬を伝って落ちていた。

 なぜかシテンノーと家庭を築く未来の想像は、幸せなのに寒気を覚えるほどに寂しくて……。


 開いていた窓から一陣の風が駆け抜けた。

 いつしか夏は終わり、季節は秋へと移ろっていた。風はすこしだけ冷たかった。


「……ぁ」


 気づけば恐怖が俺の身を包んでいた。

 頭の中があんぐおーぐのことでいっぱいになっていた。


 もし、このままずっとケンカしっぱなしになったらどうしよう。

 今はまだ口を聞いてくれないだけ。でも次第に身体的にも心も離れていって、それで……。


「……ゃ、だ」


「っ……! イロハ、そんなにボクのことが嫌いなのか?」


「ちがっ、そうじゃない! わたしももし付き合うなら、シテンノーくんみたいな男性がいいと思う!」


 きっと今後の人生、300年あっても俺の前にシテンノーほどに魅力的な男性が現れることはないだろう。

 だけど、それでも……。


「あ、そっか……。俺は、わたしは……あははっ」


 なんだか憑きものが取れたような気分だった。

 マイに嫉妬されて、あー姉ぇとヒミツの関係になって、イリェーナに憧れを抱かれて……。


 そして、あんぐおーぐとケンカして。

 そんな最近のアレコレに、自分の中で結論が出た気がした――。

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