第239話『リラクゼーション?』
「べつにわたし、えっちな声なんて出してないし」
>>そのセリフがもうえっちなんだよなぁ
>>ASMRのよさが全然わからん、かなり良いスピーカー使ってるのに
>>↑イヤホンやヘッドホンじゃなきゃ意味ないぞ
うっかりため息を吐いただけでこの言われよう。
まったく、たまったもんじゃないぞ。
しかも厄介なことに、声を張れないから怒ることもできないし。
そう拗ねるような気分になっていると……。
「ひゃうっ!?」
いきなり、イリェーナに手を握られた。
思わず声が漏れてしまう。
「チョット、ダメですよイロハサマ。大きな声を出しタラ、みなサンのお耳が潰れてしまいマス」
「え、あっ。ごめんなさい……って、今のはイリェーナちゃんが」
恨めし気な視線を向けるが、イリェーナはどこ吹く風。
さっきまでは手が触れるとドギマギしていたのに、今は全然ちがった。
「イロハサマ、”えっち”は褒め言葉デスヨ。そこはよろこぶトコロ、デス」
「そ、そうなの?」
完全に”スイッチ”が入っていた。
いつの間にか、イリェーナもすっかりプロになっていたらしい。
ほんの2年前は完全な素人だったのに……。
時の流れってのは早いもんだ。
「恥ずかしがるイロハサマもかわいいデスガ、自信を持ってくだサイ。それだけイロハサマが魅力的なお声をシテイル、ってことなんですカラ」
「わ、わたしが魅力的な声? そう言われても」
まったく、ピンとこない。
とくに俺はこれまで、そういったスタイルで配信してきていないし。
戸惑っている俺にイリェーナは「大丈夫デス」とささやく。
吐息混じりの声はなぜか、とても色っぽく聞こえた。
「どうすればミナサンがよろこんでくれるノカ、手取り足取り……ワタシが教えて差し上げますカラ、ネ?」
「……は、はひ」
なんだか頭がぼうっとしていた。
イリェーナがマスクをズラして晒した口元に、視線が引きつけられそうになる。
「ホラ、イロハサマ。ワタシのマネをシテ、耳を撫でてあげてくだサイ」
「え、えっと、こう……で、いいのかな?」
どうするのが正解か、よくわからない。
俺はダミーヘッドマイクの耳へと恐る恐る触れた。
>>ヤバい、耳がゾワゾワする
>>左と右で全然、感覚違うのも楽しい
>>イロハちゃんのまだぎこちなさ残る感じが、また……そそるというか
これでよかったらしい。
しかし……。
これまで多くのASMRを聞いてきた。
けれど、自分が聞かせる側になるのははじめてで……なんだか変な気分だった。
「イロハサマ、イイ。とってもデスヨ。コメントを見てくだサイ。ミナサン、イロハサマの指使いですごく”リラックス”されてイマス」
「そ、そう……かな?」
「もっと好きにイジってもいいんデスヨ?」
「え。じゃ、じゃあ……」
耳たぶを揉んでみたり、耳の中に指を入れてみたり。
「あむ」と耳を
>>イロハちゃん、今のヤバい
>>クセになってきた
>>罵倒とかもしてみてほしい
な、なんだろうこの気持ち。
やっているうちに、だんだんと……。
「ばーか。……ばーか。あむ……はみはみ。ふぅ~~」
>>!!!!
>>息吹きかけるの、めっちゃいい
>>ASMRはじめてなんだけど、こんなにしゅごいの?
俺がちょっと動くだけで、視聴者が大げさに反応する。
まるで、みんなの心や身体そのものを、弄んでいるかのような感覚で……。
「どうデスカ、イロハサマ。ちょっと気持ちイイ、デショ?」
「っ!? そっ、そんなことっ」
「イロハサマ、正直になってもいいんデスヨ。だって今、すっごく……えっちなお顔してマス」
「なっ、ちがっ。わたし、そんなえっちなんかじゃ、ない……もん」
「誤魔化してもムダ、デス。あんなに熱中してオイテ、今さらデスヨ」
顔を背けるが、イリェーナに頬へと手を添えられ、面を上げさせられる。
火が出そうなほどに顔が熱かった。身体がやけに火照っていた。
「は、ぁ……」
吐息も熱っぽい。
なんなんだ、俺はいったいどうしてしまったんだ!?
まさか視聴者……男どもにチヤホヤされて、楽しくなっている?
俺の精神はあくまで男。だからそんなはずは……!?
「イロハサマ、すっごくかわいいデス」
「や……ヤダ、……み、見ないでぇ」
なんだか、あたりに甘い匂いさえ漂っている気がした。
頭がすごくクラクラする。
「フフフ、それじゃあちょっと道具とかも使ってみまショウカ。まずはローションをこうシテ」
イリェーナがローションを手に垂らし、擦り合わせた。
クチュリと音が鳴って……「あっ」。
「忘れてマシタ」
イリェーナが声を上げた。
ローションで濡れた手を見せながら、申し訳なさそうに言ってくる。
「スイマセン、イロハサマ。ワタシのかわりに道具を出してもらってもいいデスカ?」
「も、もちろんっ」
俺は「ハッ」と我に返って立ち上がった。
さ、さっきまで俺はいったいなにを……!?
イリェーナがあまりにも雰囲気を作るのがうまいから、と流されすぎだ。
ちょっと頭を冷やして、冷静になろう。
「そこのクローゼットを開けてもらッテ、右下のホウニ……」
言われながらクローゼットを開けて……あれ?
そういえば、この中って俺が見てよかったのだろうか?
「……っ!」
イリェーナも気づいたらしい。
転がるようにして「だ、ダメデス!?」と俺に飛びついてくる。
ドンガラガッシャンと押し倒され……。
だが、一歩遅かった。
「これ、は」
クローゼットの中にあったのは、祭壇だった。
無数の”翻訳少女イロハ”のポスターや、アクリルスタンドが並んでいた。
数少ない、俺の直筆サインが入ったグッズまで混ざっている。
そして……。
――はらり。
と、飛びついた衝撃でイリェーナのマスクが外れ、降ってくる。
カタッと、サングラスが床を転がっていた。
「……あ」「……ア」
俺とイリェーナは対面してしまっていた――。
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