第204話『マイナス1から始める言語習得』
こうなると、言語数をギリギリにしたのは失敗だった。
もし、余裕を持たせて61ヶ国語を用意していれば、1ヶ国語は誤差で済んだのに。
しかし全部で59ヶ国語か60ヶ国語というキリ番かじゃ、印象が違いすぎる。
それにタイミングも、いよいよ世界記録タイという間の悪さだし。
実質のラストが不合格じゃあ、みんなも不完全燃焼になってしまうだろう。
これでは視聴者が……そしてなにより、あー姉ぇが納得してくれない!
《わかりました。では再開する前提で進めますね。ただ、本当にムチャだけはなさらないでくださいね。記録のためにイロハさんほどの優秀な才能が潰れてしまっては、本末転倒ですから》
俺が優秀かはともかく、ムチャについては完全同意だ。
こんなところで一生、配信を見られなくなるようなダメージを負うなんてゴメンだし。
それに、かかっているのは世界ではない。世界記録だ。
だから――
「……」
俺は認定員さんにペコリと無言で礼を告げる。
あんぐおーぐにも断りを入れ、すこしひとりにしてもらった。
制限時間はたったの5分だ。
再開されるそのときまでに、アフリカーンス語を習得しないと。
「悠長に考えている余裕もないし、とりあえずは行動しよう」
周囲に人がいないのをいいことに、小さく呟いた。
思考をまとめるには、やはり言語化するのが一番だ。
「〇●▽※※……」
今、この間もネイティブスピーカーの人がひとりで繋いでくれていた。
その声が俺の耳にも入ってきている。
だが、ただ単純にインプットするだけじゃ――言語チートに任せるだけじゃ
自発的に手法を考える必要があった。
文法がわかるだけでも状況はかなり違ってくるはずだが、それにはいくつかの段階を踏む必要がある。
まずやるべきこと、それは……。
「――音を”聞く”こと」
なにを当たり前のことを、というかもしれないがこれが難しい。
なぜなら、どれがその言語に必要な音で、どれが必要のない音なのか判断しなければならないから。
「L」と「R」の発音のちがいなどがいい例だ。
日本語の場合は判別の必要がなく、英語の場合は判別の必要がある。
そういった聞き分けができないと……いや。
音が
「”ない”ものを習得するだなんて、ムリだもんな」
もしかしたら、こういったことは外国語学習でも起こっているのかも。
とくに、リーディングはできてリスニングができないパターン。にもかかわらず、文字起こしすると急に聞こえるようになるパターン。
聞いているつもりで、実際は聞こえてすらいないのかも。
もし、それを解消しようとしたら……ちがいがわかるまで聞いて、話してを繰り返すしかないだろうな。
「あーもうっ!
すべての音を聞く能力は、赤んぼうのときはみんなが持っていたものだ。
そのときに「不要」と切り捨てたのに、今一度それを取り戻そうというのだから……。
どうやら、勉強は必ずしも0や1からはじまるものでもないらしい。
言語の場合、”マイナス1からはじめる”くらいの覚悟でちょうどよさそうだ。
きっと、外国語の習得を難しく感じている人は、自分の能力を見誤ってハードルを高く設定しすぎている。
まずは自分が”赤ちゃん未満”であることを自覚してやれば、自分を褒めてあげられるだろう。
「しかし、本当にツイてない。今回の場合、場所が場所だもんなぁ」
そんな難解な”聞く”において、吸着音……すなわち”舌打ち”が発音に組み込まれていることがある。
そういった言語が多いのが、よりによってアフリカの南部だ。
不幸中の幸いは、俺がそういった発音の存在を知っていること。
もし知らなければ、それこそ不可
「いや、待てよ?」
そういえば、今回はコメントから「ヨーロッパ系」というヒントを得ていた。
であれば吸着音は除外して考えてもいいはず。
聞いているかぎりでは、ときおり舌打ちっぽい音が混ざっている。
だが、たんなる話者のクセとして切り捨てられるかも。
であればここまでで、ひとまず1段階。
そうしたら次は……。
「――”単語”への切り分けだ」
音は聞こえた。ならば今度は……。
文を、意味を有する最小単位――すなわち、単語にまで分割する作業だ。
「そのためには、単語の区切りを特定しないと」
自然言語処理における”形態素解析”にも近しい作業。
このあたりは研究協力のときに得た知識が生きていた。
注視して聞いていると、発音や語尾の繰り返しに気づける。
それが「I」的な主語なのか、「is」的な述語なのか、はたまた「on」的な助詞なのかはまだ不明だが。
あとは特定のパターン。
日本語で例えると「ごは」の次は、ほとんどの場合で「ん」が続くとか。
そういうことから、どこまでがひとつの単語かを判断していく。
ちなみに、これもまた赤んぼうは最初から備えている能力で……。
「いや、赤
だが、そんな優秀な……いや、優秀すぎるがゆえに赤さんにも弱点はある。
それが1音節の単語だ。
日本語だと「手」とか「目」とかを単語として認識できない。
赤んぼうは知っているのだ、1音節が単語になる確率は低い、と。
だから、赤ちゃん言葉だと「
という説もあったりなかったり。
まぁ、これについては信憑性は不明だが。
だって、このルールに従うと「血」が「お乳」になってしまうし。
「とはいえ、これで単語の切り分けもできた」
ここまではいい。しかし、ここからが難しい。
今のまま音声認識や赤んぼうに倣った手法に頼り続けては、時間がいくらあっても足りない。
だから、なにか発想の転換が……って、ん!?
俺は「ハッ」として、口元に手を当てた。
「単語ごとに分解してみたら、やけに聞き覚えのある単語が――英語やドイツ語に似てる言葉が多いぞ? というより……」
そう、気づいた瞬間だった。
思考に没頭していた俺の肩を、トントンと認定員さんが叩いた。
《イロハさん、時間です》
《も、もう!?》
5分って本当にあっという間だ。
しかし、こうなったらもうやるしかない。
ふふっ、いいだろう。やってやろうじゃねぇか!
ここから先は、ぶっつけ本番でどうにかしてやる――!
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