第117話『わたしの言葉、みんなの言葉』
俺はパシュトー語の勉強サイトをすばやくスクロールさせた。
チートじみた翻訳能力が、息を吹き返したように活性化する。
「うっ……ぐっ……!?」
脳が沸騰するかのように熱を持ちはじめていた。
マズい、これは……!?
そういえば自発的に能力を発動したのはいつ以来だ?
少なくとも、能力が暴走を起こすようになってからは一度も使っていない。
むしろ、抑制する方向にばかり働きかけていた。
だから……本気を出したのははじめて、か?
俺も知らなかった。
まさか、能力がこれほどまで成長していただなんて!
「イロハちゃん!?」
俺は身体のバランスを崩し、イスから崩れ落ちかけた。
それを慌ててマイが支えてくれる。
「ありがとう、心配してくれて。けれど、もう大丈夫」
「えっ?」
「パシュトー語は――もう
>>はい???
>>この幼女、またヤバいこと言い出したんだが!?
>>この短時間で新しく言語ひとつ覚えたなんて、さすがにありえないよ(米)
コメント欄が俺の発言でざわついている。
もはや俺も、このチートじみた翻訳能力を隠すつもりはなかった。
そんな余裕も、
俺はゆっくりと息を吐き、言葉を紡ぐ。
〔聞こえますか? ――”わたしの言葉よあなたに届け”。わたしは翻訳少女イロハです〕
>>!?!?!?
>>マジでパシュトー語しゃべってるの、これ!?
>>てことは今の一瞬で本当に言語ひとつ覚えたってこと!?
>>もし、そんなことできたなら天才どころの話じゃないぞ?(米)
>>さすがに、これは演出じゃないか?
>>さっきのサイトだけじゃ、文字は覚えられたとしても発音はムリやろ?
まさに、コメントで言われているとおりだ。
だからこそ、さっき俺も驚いていた。
文字を解読しただけのはずなのに、すでに会話まで可能になっている。
そんなことが可能にできるほど能力が成長……いや、進化していたことに。
といっても、音声のインプットがまったくのゼロだったわけではない。
なにせ当時は、それこそ毎日のようにタリバン絡みのニュースが報道されていた。
その中の映像で見聞きしていたパシュトー語を元にしたのだろう。
逆にいえば、そんなわずかな……それも昔の記憶を掘り返しただけで、学習を完了させてしまったのだ。
これまでであれば、何日も何週間もかけて膨大な量をインプットする必要があった。
それが今は、ここまで短縮されている。
「うぐっ……!?」
視界がぐわんと揺れ、頭を押さえた。
ははっ、これはかなりキツいな。
>>イロハちゃん、もしかして体調が悪いのかい?(米)
>>一瞬でひとつ言語覚えるとか、もし可能だとしたらあきらかに人間の限界を超えてるやろ
>>マジなら、どんな負担が脳にかかっててもおかしくなさそう
コメント欄からも心配の声が上がってしまっている。
これほどの能力を使ってタダで済むはずがなかった。
今までとは比較にならない出力なのだ。
当然、代償も今までとは比べものにならないほどに大きい。
だからといって、加減できるようなものでもないのだけれど。
それに……。
「イロハちゃん、やっぱりムリしてる! ねぇ、もういいよぉ~。諦めていいから、休んでよぉ~。じゃないと、このままじゃイロハちゃんが倒れちゃうよぉ~!」
マイが泣きながら、俺に縋りついていた。
けれど、ごめん。ここで止まるわけにはいかない。
それにマイはひとつ勘違いをしている。
俺は彼女の不安を吹き飛ばすように、ニヤリと笑みを作って告げた。
「あいにく、わたしはこんなところで死ぬつもりはないよ。まだ見たい推しVTuberや、これからが楽しみな新人VTuberが世の中にはたくさんいるんだから!」
「……!」
もう戻ってこれない? これが最後? 次はない?
あぁ、
すなわち――ここが”最後”の踏ん張りどころ!
そして、こんなことは”これっきり”!
そういう意味だろぉ!?
〔どうか、返事をください! わたしの言葉が届いていますか? あなたの言葉を聞かせてください!〕
俺は願うように、言葉を投げかけた。
だが、返答はない。
……ダメ、なのか?
俺の言葉では届かないのか? 彼の心を動かすことはできないのか?
そう、絶望に染まりかけたときだった。
俺を温もりが包み込んだ。マイが俺を抱きしめていた。
「イロハちゃん!」
マイの指先はモニターへと向けられていた。
そこにあるのはコメント欄だ。
しかし、そこにパシュトー語のコメントはない――いや、ちがう!
彼女が指差していたのは……!
>>そっちのみんなのことが知りたい! けど、同じくらいあたしたちのことも知って欲しい! だから、あたしたちとおしゃべりしようっ! そして、あたしたちと友だちになって姉ぇっ☆
「あー姉ぇ……!」
>>ワタシはアメリカに住んでるから、ほかの人たちよりは当事者に近いと思う。けど、当の本人たちと話したことはなかった。だから、ワタシたちに教えて欲しい! そして、ワタシたちのことも知って欲しい!(米)
「おーぐ……!」
そうだ、俺はひとりじゃない!
『翻訳』という言葉の意味をどうして忘れていた!?
ただ自分の言葉を伝えるだけが俺の役割じゃない。
みんなの言葉もまた、俺を介して彼らに伝えることだってできる!
〔聞いてくれ! 応えてくれ!〕
俺は訴えかける。
次々とコメント欄に流れてくる、あー姉ぇやあんぐおーぐ、それにほかのVTuberや視聴者の言葉を伝え続ける。
気づけば俺は涙を流していた。
きっと、言葉は感情を運ぶ乗りものなんだ。
文字を介して、声を介して、それらが俺に流れ込んでいた。
そして――。
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