第78話『言葉の奥にあるもの』
《イロハは……ズルい》
《うっ!?》
《VTuberのイベントがあるのはいつも日本じゃん。アメリカに住んでるワタシはほとんど参加できないのに》
VTuber業界は日本が中心だ。
言われてみれば現地ライブなども大半が国内だ。
《この間、引きこもってたときもそう。ワタシが日本へ行くパターンばっかり。たまにはイロハのほうがアメリカに来てくれてもいいじゃん》
《それは、ゴメン》
《だからこそ、大規模イベントがアメリカで開催されるのがスゴクうれしいけどね!》
にしても”ズルい”ときたか。
まさか、そういう風に思わせてしまっていたとは。
《なぁ、イロハ。ワタシは日本で暮らせない。けどイロハはアメリカで暮らせる。本気で、こっちで……アメリカで、ワタシと一緒に暮らさないか?》
《それ、は》
《べつに今すぐじゃなくてもいい。将来的に、で。高校とか大学とか、こっちの学校に来ることを考えて欲しい》
まるで懇願するかのような声色。
俺にはこの場で拒絶することはできない。だから……。
《まぁ、そうだね。アメリカはともかく、もし引っ越すなら虫の
そうあいまいに笑ってごまかした。
といっても、言った内容そのものは本心だ。
猫の一件以来、動物の鳴き声に留まらず、虫の声も聞き取れるようになっていた。
それがうるさくてたまらないのだ。
カクテルパーティー効果や選択的注意。
自分に必要な情報は取捨選択できるから、日常会話で困るというわけではない。
とはいえ意味のある言葉が聞こえるのを、ムシし続けるにも限度がある。
意味のある言葉はそれだけで、注意を引かれてしまうから。
近所で「猫が集会している」のと「大学生が騒いでいる」くらいの差だ。
べつに一時なら耐えられるものも、常時ともなるとさすがに気が滅入る。
そして、今の俺にとっては猫も大学生も変わらなくなってしまったわけで。
おかげで外でイヤホンを外せなくなった。
《わかった、今はそれでいい。けど……ふふふ。やっぱりイロハも日本人なんだな。虫の”
《え? なにかおかしいこと言ったっけ?》
《だって――”虫はしゃべらない”だろ? 音を鳴らしはするけど》
あんぐおーぐはそれを”ノイズ”と言った。
* * *
翌日、学校への登校中。
俺は足を止め、VTuberの歌枠を流していたイヤホンをすこし外してみた。
夏も近づき虫たちは活発になっていた。
あちこちから声が聞こえてくる。
彼らがいったいどれほどおもしろいことを言っているのかと言うと――。
”モテてぇええええええ!”
”俺とセックスしよぅぜぇええええええ!”
まぁ、虫の考えていることなんてそんなもんだよな!
しかし、もしかするとこの能力を手に入れたのが日本人である俺でなければ、この虫たちの声は聞こえなかったのだろうか?
なんでも、日本人と外国人では音の聞きかたが大きく異なるらしい。
蝉しぐれが聞こえるのは日本人やポリネシア人など一部の人種だけで、外国人にはノイズであったり、あるいはそもそも”聞こえない”こともあるのだと。
その差はどうやって生まれているのか。
それは日本人の脳が、虫の声や風の音などを”言葉”に分類しているからだ。
欧米人は右脳――感覚脳にて虫の声を処理している。
日本人は左脳――言語脳にて虫の声を処理している。
ほかにも波、風、雨の音、小川のせせらぎ、邦楽器など。
日本人がそれらの多くを左脳で処理していることが、実験で判明している。
また、虫の声は母音に似ているそうだ。
そして日本語は母音の要素が大きく、英語は子音の要素が大きい。
もしかすると、だから日本人はそれらを聞き分けることができたのかもしれない。
日本語に擬音語や擬態語が多くなったのかもしれない。
……あるいは、逆。
擬音語や擬態語が多かったからこそ、
日本人でも母語が英語だと右脳で処理するようになるというし。
「これも一種のクオリア、か」
俺は日本人だからこそ、虫の声が聞こえるのかもしれない。
聞こえてしまっている、のかもしれない。
「……うっ」
脳が熱を持ちはじめ、ふらりと立ち眩みのような感覚に襲われる。
俺はイヤホンをつけ直し、音量を上げた。
特定の動物ではなく、動物全般や虫の声も聞こえる。
もしかすると俺は言葉そのものではなく、その奥にある”本能”のようなものを解読してしまっているのだろうか?
たとえば”ブーバ・キキ効果”というものがある。
ここに丸っこい絵とトゲトゲした絵を用意したとしよう――。
【挿絵】
https://kakuyomu.jp/users/kawaiiiiiii_kei/news/16817330669390154748
そうしたとき、どちらがブーバでどちらがキキか?
これらを見せた際に、国籍に関わらず大多数の人間の答えが一致するのだ。
それは生後間もない――まだ言語を学んでいない赤ん坊ですら、だ。
つまり、このチートじみた翻訳能力は、言語という枠にすら収まらない可能性がある。
俺は「ふぅ」と息を吐いて空を見上げた。
もし、俺の本能が言葉を使えるならこう言っていることだろう。
――引き返せ。
その日、俺はこの能力を手に入れてからはじめて、外国語のインプットをやめた。
しかし、それはあまりにも遅すぎたらしい。
すでに、能力の成長はその程度では止まらなくなっていた。
* * *
その数日後。
学校の教室でのことだった。
『イロハ! キミをボクの彼女にしてやる! 付き合ってやってもいいぞ!』
俺は唐突に、男子生徒から告白されていた。
……はいぃいいいいいい!?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます