第46話『受験前日』

「ぶぇーーーーっくしょん! ……あ゛~、ミュート間に合わなんだ」


>>くしゃみたすかる

>>くしゃみ豪快で草

>>鼓膜ないなった


 受験を目前に控えた冬の日。

 今日は長期休暇前に、最後の配信を行っていた。


 さすがの俺もこれから1週間ほどは勉強に専念する予定だ。

 心配はしていないが、安全を期するに越したことはない。


《神のご加護を》


《ありがとう、おーぐ》


 激励のため配信に凸してきてくれていた、あんぐおーぐが”ブレス・ユー”を言ってくれる。

 俺は気にしないが、アメリカ人であるあんぐおーぐとしては、くしゃみをされて”ブレス・ユー”を言わないほうが落ち着かないのだろう。


 まぁ、試験はいいのだ。

 試験そのものは。……っと、あぁ、また。


「ぶぇーっくしょん!」


《……あー、神のご加護を。ったく、ちゃんとミュートしろよー。なに、花粉症?》


《そそ。今年はスギが早い……ぶぇーっくしょん!》


《神のご加護を! お前ミュートしてないのわざとだろ!?》


《そういうわけじゃないんだけど、間に合わなぶぇーっくしょん!》


《あーもうっ。神のご加護を、神のご加護を、神のご加護をぉおおお! まだまだ言わないといけなさそうだから、先に全部言っとくぞ! 次はもう言わないからな!?》


《あはははは》


 そう宣言してくる。

 律儀なことだ。


 そういえば”ブレス・ユー”のきっかけは、ペストの初期症状がくしゃみだったから、だと聞いたことがある。

 当時は本当に、神に祈るしかなかったのだ。


 俺のチートじみた翻訳能力は現在”神のご加護を”と訳している。

 だが、今の時代だと”お大事に”くらいでよさそうだ。いや、それでもまだ重すぎるくらい。


 このあたりの翻訳センスっていったいどうなってるんだろう?

 チート能力のことは今もわからないことだらけだ。


《で、試験はいつだっけ? 大丈夫なのか? 花粉症で集中できなかったり》


《明日、念のためにお薬もらってくるよ。具体的な日付は身バレ防止のためにぼかすけど、テスト自体は全部で3日間受けてくる》


>>3校ってこと?

>>3日に渡ってテストあるのかな?

>>中学受験って思ってたよりハードだな


《ありがとー。がんばってくるねー。テストが終わって落ち着いたころに配信するから、そのときにみんなと体験談を共有するよ》


《イロハ、がんばれよ》


《おーぐの応援があれば百人力だ》


《うっせ》


 軽口を叩き、配信を閉じた。

 勉強に取り組みはじめる。


 自分にできる範囲で全力を尽くす、と言ってしまった手前これくらいはしないと。

 母親も直接は言ってこないが、ずっと不安そうにソワソワしているしな。


 ……あ、ちなみに。

 配信はお休みしたが、動画視聴の時間だけは1秒たりとも削らなかった。


 受験はメンタルスポーツだからね!

 VTuberという癒しだけは外せないよね!


   *  *  *


 そんなわけで、いよいよ受験当日。

 玄関を開くと、吐いた息が白く染まった。


「まったく、これだから季節の変わり目ってのは」


「イロハ、ちゃんとマフラー巻きなさいよ」


「はーい」


 この間までやたら温かくて、今年は冬が短かったなーなんて思っていたのに。

 まーたこれだ、とブー垂れていたら。


「イロハちゃん~、おはよぉ~」


「イロハちゃん……おは……」


「えっ、マイ!? あー姉ぇ!? どうしたのこんな朝早くに!」


「応援しに来たんだよぉ~! って、ちょっと! お姉ちゃん起きて!」


「うーん、むにゃむにゃ……この時間帯、あたしって寝てるから……」


「きゃぁ~! お姉ちゃん、重い重い! マイに体重かけてこないでぇ~!」


 マイがしなだれかかってくるあー姉ぇを、プルプルと震えながら支えている。

 なんというか、このふたりを見てると気が抜けるな。


「イロハちゃん、緊張してないー?」


「ふたりのおかげで」


「そりゃーよかった」


 さすがに俺もまったく緊張しない、なんてことはない。

 それでも、ほかの受験生と比べたら「必死さが欠けている」と怒られてしまいそうだが。


「ほいこれ、あげる」


「うん? バレンタインはちょっと早いんじゃない?」


「あははー、ゲン担ぎだよー」


 あー姉ぇからキットカッツチョコレートを手渡される。

 包装紙の余白には『なんとかなる!』と書いてあった。あー姉ぇらしいメッセージだな。


「お姉ちゃん抜け駆けなんてズルい! イロハちゃんになにか渡すなら事前に言っておいてよぉ~! マイだけなんにも用意してないみたいでしょぉ~!」


「そっか、マイにとってわたしってその程度だったんだね」


「ちがうよぉ~~~~!?」


「冗談、冗談」


 俺はふたりに見送られ、母親とともにタクシーに乗り込んだ。

 発進した車内からちらりとうしろを見ると、リアウィンドウ越しに、マイがあー姉ぇの体重に耐えきれず崩れる様子が見えた。


   *  *  *


「イロハ、がんばってね」


 校門にて母親と分かれ、中学校へと足を踏み入れる。

 案内されて試験会場である教室に入ると、暖房は効いているはずなのに気温が1度も2度も下がったような、そんな錯覚がした。


 席について息を整える。

 試験問題が配られ、試験官の「はじめ!」の声が響き渡った――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る