第14話『言語チート能力』


 学校の図書室。

 俺はこの場所に、二重の意味でノスタルジーを感じていた。


 古い本が並んでいるから、というのがひとつ。

 図書室を利用するのが久々だから、というのがもうひとつ。


 正確にはこういう部屋も図書と呼ぶらしいが、つい図書室と呼んでしまう。

 まぁ、伝わるならそれでいいと思う。


 言葉は正しいかより伝わるかが大切だ。

 もちろん、大抵の場合においては正しいことと伝わりやすいことはイコールだが。


「え~っと、どこのコーナーにあるんだ」


 図書室は意外なほど充実しており、そして本格的だった。

 絵本にマンガ、小説に図鑑……みたいに分かれているのを想像していたら、ちがった。

 大雑把にはそのとおりなのだが、もっときちんとジャンルで分けられていた。


「ここは『自然科学』で? あっちは『文芸』?」


 俺が子どものときの図書室ってこんなにしっかりしてたっけ?

 それとも当時はそれがわからなかっただけか。

 自分がどれだけ恵まれていたかなんて、大人にならなきゃわかんないもんだ。


 しかし、案内を頼りにあちこち見て回るが見つからない。

 それっぽいのはあるのだが、どれも求めているものとは微妙にズレている。

 あくまで”読みもの”といった印象の本ばかり。


「もっと問題集っぽいやつがいいんだけど。……すいませーん。こういう本を探してるんですけどー」


 貸出窓口で、図書委員だろう生徒に尋ねてみる。

 しかし……。


「見たことあるー?」


「わかんなーい。ないかもー」


「先生に聞いてみるー?」


 どうにもイヤな予感。

 最終的にやってきた図書室の先生に言われてしまう。


「ごめんなさいねぇ。そういうのは置いてないの。問題集はあくまで個人で買って使うものだから」


 あちゃー、これは想定してなかった。

 たしかに考えてみればそうか。


 もし、問題集なんて貸し出ししたらあっという間に書き込みだらけになるだろう。

 それに問題を解ききるには、貸出期間が短すぎる。


 だれか、ひとりくらい気づいて指摘してくれるリスナーはいなかったものか。

 まぁ、これに関しては確認しなかった俺のミスだが。


 わざわざ図書室まで来てなにもせずに帰るのもなー、と思い本棚を見て回る。

 なにかテキトーに1冊くらい借りていくか。


「おっ?」


 と、言語のコーナーにハングルの教本を見つける。

 俺はなにげなくそれを手に取った。


 まぁ、このあいだの配信のときに読めなかったんだ。

 今見たからといって読めるわけでもない。


 その、はずだ。

 一瞬、恐怖が脳裏をよぎった。俺は恐る恐るとページをめくり――。


「……ほっ」


 いつの間にかハングルが読めるようになっている、なんてことはなかった。

 そりゃそーか。だって、そんなことはありえないし。


 だから、なにかを狙ってそうしたわけではなかった。

 気も抜けて、ただの手慰みとしてパラパラと教本のページをめくっていただけ。


「え?」


 その手が、とあるページで止まっていた。

 そこにはハングルにおける、いわゆる”五十音表”が載っていた。


「うおぉおおおっ!?」


 急速に視界が開けていく。

 思わず声が漏れた。自分の意思とは無関係に、脳が急速回転しはじめる。


「読め、る」


 教本のページを次々とめくっていく。

 さっきまでは意味の分からない文字列としか映っていなかったそれら。

 しかし今は、はっきりと文章として認識できていた。


「……そういうこと、か」


 あきらかにチートじみた言語能力の影響だ。

 と同時に、俺はこの能力についていくつかの見当がついた。


 これまでの経験から、能力発動の条件はおそらくは3つ。

 1.大量のインプット。

 2.言語ルールの把握。

 3.実体験。


 正確にはインプットとルールは必要条件で、実体験は能力発動のトリガーなんだと思う。

 そんな条件でもないと、理解できるようになったタイミングが都合良すぎるし。


 それにルールについては膨大なインプットがあればねじ伏せられるようだ。

 逆にルールがわかっていればインプットは少なくて済む。

 ある種のトレードオフ関係にある。


 って、話がややこしくなってきたな。


 たとえば韓国語を例に挙げよう。

 俺は前世において母親の影響で韓流ドラマを聞き流すなどしていた。

 それによりすでに十分なインプットは集まっていた。


 しかし字幕再生で表示されるのはもちろん、日本語だ。

 そのためハングルのインプットだけは足りていなかった。


 ただしハングルは表音文字だ。

 わかりやすくいえば発音と文字が1対1で対応している。


 関係性としては日本語の発音とひらがなに近しい。

 漢字のように文字そのものが意味を持っていたり、単語ごとに発音がガラリと変わったりはしない。


 日本とは子音と母音の定義が異なるものの……。

 逆にいえばそのちがい(ルール)さえ理解すれば、話せる人間にとって書くことは容易だ。


 俺は直接的に韓国語を勉強をしたことがないから、そのルールを知らなかった。

 だから、韓国語は話せたのにハングルは読めないなんて状態になったのだ。


「とはいえ、これ絶対に普通じゃねぇ!?」


 本によると、ハングルは文字そのものも子音と母音の組み合わせでできているそうだ。

 それゆえ半日もあれば暗記できるくらいわかりやすいのだと。


 俺の場合は一瞬だった。


 いや、それもおかしいのだが……一瞬でわかるはずのことが、この五十音表を見るまでさっぱりだった。

 いろんな意味でこのチートじみた言語能力にアンバランスさを感じる。


 とまぁ、いろいろ語ったが正直そんなことはどうでもいい!

 本当に大事なのは――。


「えーっと、これか」


 韓国語の単語帳を探してきて開く。

 日本語部分を隠して見てみる。


 やはり知らない単語は読めない。

 しかし手をどかして日本語訳を一度でも見たら、もう忘れない。

 パラパラと単語帳をめくるだけですさまじい速度で脳内にデータが蓄積されていく。


「すごい! すごいぞ! これってつまり、韓国勢VTuberの配信内容を余すことなく理解できるようになれる、ってことじゃあないか!」


 一度死んでから、自分におかしな能力が備わっているのは気づいていた。

 けれど、まさかこんなにも便利な能力だなんて!


「いや、待てよ?」


 近くにあったフランス語の単語帳を手に取ってみる。

 パラパラとページをめくる。


「おおぉおおおおおおお! すごい! これでフランス勢の配信も……ばたんきゅう」


 俺はぶっ倒れた。

 キャァアアア! と貸出窓口のほうから悲鳴が上がった。


 ぐわんぐわんと視界が回っていた。

 頭がまるでオーバーヒートでも起こしたみたいにひどい熱を持っていた。

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