ROUGA-狼我-

粹-iki-

第一章




 それは、暗い暗い夜だった……。

 私の目に映るそれは、闇の中に立ち、赤い瞳を光らせる。

 息を荒らげ、牙を尖らせ、獲物に向かって走り出す……。

辺りが血で染る……。

 ただ事ではないと言える状況なのに、月明かりに照らされたそれは……、あぁ……、なんて美しいのだろう……。





 前日の夕方。

 ここ睦月むつき市では普段と幾分変わることはない平和な日常が流れていた。

 そんな町にある高等学校の一つである睦月高校では、生徒達が帰宅か部活動に励んでいる。

 そんな中、一人の少女が部室棟の廊下を歩き、やがて、文芸部と書かれた部室の前に立つと、その扉を押して中へと入っていった。


「あ、ごきげんよう園崎そのざきさん……」


 先にこの部室に入っていた少女が彼女にそう言うと、園崎という名の少女は空いている席へと向かう。


「あれ?、志乃しのだけなの?、美咲みさきは?」


「成績不振で今日は勉強で家に帰るそうです……」


 それを聞いて、園崎はガタンと椅子に座り込んだ。


「まぁ仕方ないか……、でも勉強くらいなら私が見てやってもいいのに……」


 と、言ったすぐあとに、園崎は察した。


「ねぇ、もしかしてだけど……」


 志乃は顔色を変えずに言う。


「えぇ、サボりみたいですね……」


「やはりか……。まぁ、文芸部と言っても部員は三人、やることは本読んでるか感想文書くかくらいだし……」


 この睦月高校には、元々文芸部という部は存在しなかったが、本好きの園崎、志乃、そして美咲の三人が学校に頼み込んだ結果、なんとか発足した部活だった。

 とはいえ、園崎の言うように基本的には本を読んでるか感想文を書くという彼女達の暇つぶしでこの部活は成り立っているのである。


「そういえば……」


 と、志乃が本を読みながら話し始める。


「クラスの皆さんが大変興味深い話をされてまして、なんでも少し前にこの町で奇妙な事件が起こったんだとか……」


「へぇー、どんな事件なのよ?」


 部室に保管していた本を探しながら園崎はそう言う。

 志乃は再び語り始めた。


「ある日、この町でミイラのように干からびた死体が四人もみつかったんだとか。町の警察はその奇妙な事件の犯人を調査するも犯人はみつからず、結局それ以降犯行は行われなかったそうです……」


「あの未解決事件の事ね……、なんだかんだでこの町って物騒ではあるのよね……。先日も変死体がみつかったって言うし……」


 本を手にし、園崎は再び席に座り込んだ。

 それを見た志乃は、再び事件について話す。


「で、その未解決事件の後、色々な説が流れたらしいんです。その中には、大きな蝙蝠こうもりを目撃したというものもあったんだとか……」


「まさかだと思うけど、志乃信じちゃってる?」


「というより、ちょっとロマンだなぁって感じただけです」


 と、志乃は笑って園崎に言った……。





 しばらくの時間が経った。

 辺りはすっかり暗くなり、園崎は自分が生活している学生寮までの道を歩いていた。


「すっかり夜になっちゃった……」

 

 不気味な程に真っ暗な道を歩くと、部室で志乃が言っていた未解決事件のことを思いだしてしまう。


「もう!、なんで志乃の話なんて本気にしちゃってるのよ私!」


 と、すたすたとまた歩きだす。

 ふと、園崎は背中に悪寒を感じだす。

 

「……」

 

 興味本位で、後ろのほうへゆっくりと目を向ける園崎。だが、そこには特に誰がいるというわけでもなかった……。


「ないよね……」


 安心して再び歩きだそうと前を向いた園崎。

 しかし、何故か体が前に進まない。

 

「えっ……?」

 

 よく見ると、園崎の腹部にはタコのような触手が絡みついていた。


「何……、これ……」

 

 そして、その触手は勢いよく園崎の体を後ろのほうへと引っ張っていった。


「いやぁぁああ!!!!」


 ずるずると引きずられていく園崎。

 すると、その触手がいきなり解け、園崎はその場にばたりと倒れ込む。

 園崎は、恐る恐る顔を上げる。そして彼女は目にした、目の前にタコのような凶悪な怪物が立っている光景を……。

 園崎は恐怖した。そのあまり、逃げだすこともできなくなっていた。


「けて……、助け……」


 普段強気な彼女が、恐怖のあまりそう声を漏らした。

 怪物は牙を剥き出しにし、彼女へと近づいていく。

 園崎は、自分の死を覚悟した……。


「……ッ!!」


 なにか物音が聞こえた。

 園崎がそっと目を開けると、近くにはちぎれたタコのような触手と、暗くてよく見えないが、赤い目を光らせたもう一人の怪物がいた。

 その光景を見た園崎は、さすがに混乱してか、その場で気絶した……。





 昔の話……。

 小学校の頃、私は親と一緒にこの町の山でキャンプをしにやってきた。

 だけど、キャンプの準備で親が忙しく、大した遊び道具を持ってきていなかった私は、その辺の山道を探検することにした。

 それが間違いだった。

 私が気づいた時には、帰り道が分からなくなるほど遠くに行っていて、来た道を逆に進んでもお父さんとお母さんに会うことができなかった。

 しばらくすると、周りからうめき声のような音が聞こえ始めた。

 私はとうとう泣きだした。

 もう永遠にお父さんとお母さんに会えないのではないかと思っていた時に、それは現れた。

 

「お前は誰だ?」

 

 私の目の前に現れたのは、人ではなかった。

 それは私に向かって再度語りかけた。

 

「迷ったようだな……。俺に着いてこい、お前の行きたい場所まで案内してやる……」

 

 人の言葉でそう語りかける怪物に、私は恐る恐る着いていった。

 しばらく歩くと、怪物は足を止めた。

 

「この先だ……」

 

 私は、一度怪物を見てからまっすぐに走りだした。

 そこには、私を探していたと思われる両親の姿があった……。

 二人は嬉しさのあまり私に近づいてきて、思いっきり私をだきしめた。

 私は、怪物にお礼を言おうとしたが、もうそこに、怪物の姿はなかった……。





 園崎が目を覚ます。

 まず目の前に広がった光景は、見知らぬ天井であった。


「っ……!!」


 ガバッと起き上がる園崎。

 辺りを見渡すと、明らかに自分に不釣り合いな洋風の部屋の景色が広がっていた。


「ここ……、どこ……?」


 すると、部屋の扉の奥から、ピアノの演奏の音が響いていた。

 園崎は、その扉をゆっくりと空けて、その先の景色を目で見渡していく。

 足音をたてないように赤い床の通路を進んでいく園崎。

やがてピアノの音がすぐ近くにまで響いてきた。

 その演奏が奏でられている部屋の扉をこっそりと開けてみると、その中で一人の少年が、バッハの『主よ、人の望みの喜びよ』を演奏をしていた。

 それを見た園崎は、その演奏に聴き入る……、わけでもなく、勢いよく部屋の扉を蹴りあけた。


「っ……!?」


 驚きのあまり演奏を止める少年。

 それに反し、園崎はずかずかと少年のほうへと近づいていき、ピアノの鍵盤を激しく叩いた。


「ここどこ!!」


 と、少年に詰寄る園崎。


「えっ……、えっと……」


 いきなりのことでパニックになる少年。

 それでも、容赦なく園崎は少年に問いただす。


「あなたは誰で、どうして私はここにいるのよ!?」


「そ、それは……」


 すると、二人の元に一人の老人が現れた。


「私が説明させていただきます……」


 園崎は後ろを振り向く。

 老人は部屋へと入っていき、園崎へと近づく。


「あなた様は昨日の夜、何故か道端で倒れておりました。それをたまたま見かけた坊っちゃま……、影上大我かげがみたいが様が、あなた様をこの屋敷まで運んだというわけです……」


 それを聞いて強ばっていた顔が徐々に柔らかくなる園崎。


「な、なるほど……、助けてくれたというのに……、申し訳ないです……」


 と、頭を下げる園崎。

 だが、先程の話を聞いてふとした疑問が浮かび上がった。


「すいません、今時間は……?」


「はて……、朝の七時半だったかと……」


 それを聞いた園崎は、慌てて屋敷の出口へと走り出した。


「なんでもっと早く起こしに来ないのよ!!」


 と叫び、外に出た園崎。

 そのあとをつけていた大我が、園崎に追いついて言う。


「あ、あの……、帰り道……、分かりますか?」


 園崎は、ゆっくりと大我のほうへと振り向いた。


「案内……、してくれるかしら……」





 それから園崎は、黒い車に載せられ、学校の近くまで送ってもらった。


「よろしかったのですか?、こちらで」


 先程の老人が、運転席から園崎に問いかける。


「さすがにこんな車から出てきちゃうと、変な噂を言われかねないわよ……。ここなら人も少ないし落ち着いて登校できるわ」


 そう言うと、園崎は車から降りて、しばらく歩いた後に振り向いた。


「ありがとうございます」


 と言って一礼し、園崎は二人の元を離れていった。

 それを見送ったあと、再び車は走り出した。


「じぃや、学校って何?」


 大我がじぃやに問いかける。


「学校というのは、若者が勉強をしに集まる場所……、といったところでしょうか……」


「へぇ……、ねぇじぃや、僕も学校に行ってみたい!」


 と、無邪気に言う大我に対し、じぃやは言った。


「残念ながら大我様にはその必要はございません。大我様には私という教師がおりますゆえ、基本的な勉学はわざわざ学校に行かなくとも、私が今後も教えていく予定でおります……」


「そっか……」


 と、大我は残念そうな声で言う。


「また会えないかな……、あの人に……」


 車はそのまま山へと進んでいった……。





 園崎はというと、授業中も少しだけ上の空となっていた……。

 何せ昨日の今日であるため、怪物に襲われた時の光景が頭から離れないでいたのである。


(もう……、考えたくないのに……!!)


 時間が経ち、結局一日中、昨夜のことで頭がいっぱいのままだった園崎。

 放課後、文芸部の部室では園崎と志乃、そして昨日はいなかった美咲が揃っていた。


「園崎さん?」


 志乃から名前を言われるも、園崎は、本をじっと見つめ続けていた。それもずっと同じページをである。


「園崎!」


 今度は美咲のほうが少し強めの声で呼びかける。


「えっ……?」


 その声で、ようやく自分が呼ばれていることに気づいた園崎。

 その様子を見て、美咲は言う。


「なんか今日のお前、少し変だぞ?」


「そ、そんなことないわよ……」


 と返す園崎。

 だが、その声は若干震えていた。


「なにかあったのではないですか?、あまり無理をしないほうがいいですよ?」


 と、志乃が言う。

 園崎はそう言われ、少しため息を吐いた。


「思っていた以上に疲れているみたい……。ねぇ、変なこと聞くけどいい?」


 園崎がそう言うと、志乃と美咲は一度顔を向け合った。

そして園崎は、そのまま昨日のことについて語り始めた。


「怪物に襲われたって言ったら、二人は信じる?」


 それを聞いた志乃と美咲は、鳩が豆鉄砲を撃たれるかのような顔となった。


「園崎、お前やっぱり疲れてるんだ……。早く帰ったほうがいい……」


 と、美咲は園崎の肩を軽く叩いた。


「やっぱりそうよね……」


 と言って、園崎は荷物をまとめて部室を出た。





 帰り道。

 外はすっかりと暗くなり、月明かりが夜道を照らしていた。


「さすがに信じられないわよね……」


 園崎は、昨日のことを思い出しながらそう言う。

 少し早歩き気味になりながら、学生寮への帰路をと歩いていく園崎。

 すると、園崎の背中にただならない悪寒が走った。


(この感じ……、また……)


 園崎は、先程よりも歩くスピードを早めた。

 しかし、歩けば歩くほど園崎に迫る感覚はより強くなっていく。


「っ……!!」


 園崎はその感覚から逃れたい一心で走り出した。すると、後ろからぐちゃぐちゃとした足音が響き始めた。


(助けて……、助けて……!、助けて……!!)


 園崎は無我夢中で走る。

 心の中で助けを求めるも、彼女の声は誰にも届きはしない……。





 山の奥の屋敷では、暗い部屋の中で、大我がベートーヴェンの月光を演奏をしていた。

 そんな中、じぃやが部屋へと入ってくる。

 それを見た大我は演奏を止め、じぃやに語りかける。


「じぃや、外に出る……」


「かしこまりました。お気をつけて行ってらっしゃいませ……」


 じぃやにそう言われると、大我は屋敷を飛びだした……。





 依然として園崎は、後ろから近づいてくる気配から逃げ続けていた。

 だが、必死で逃げたからか、徐々に園崎の体力は減っていった。そして気づけば、目の前は行き止まりとなっていた。


「そんな……」


 絶望する園崎。

 すると、後ろの方からまたぐちゃぐちゃとした音が響いてきた。


「っ……」


 昨日パニックのあまりによく見えなかった怪物の顔が今日ははっきりと見えた。

 口元からはよだれを垂らし、体中の触手を厭らしく動かすその仕草は、園崎という一人の少女にはあまりにも気持ちの悪い光景であった。


「あぁ……、あぁっ……」


 朝のようなアグレッシブさが嘘のように、園崎は涙を流しながら狂ったように笑いだした。


「オンナ……、ハダ……、オレノモノ……!」


 怪物はそう言うと、園崎の体へと触手を伸ばした。

 園崎はそれを見た瞬間、もう自分は助からないと完全に諦めきった……。


「っ……!!」


 スタッと目の前から音が聞こえ、そのすぐあとに、ぐちゃりとした物音が聞こえた。

 園崎がゆっくりと目を開くと、そこには朝に出会った少年の後ろ姿があった……。


「あ、あなたは……」


 よく見ると、少年の腕は怪物の触手に絡まれていた。


「その汚らわしい手を離せ……」


 少年はそう言うと、空いている左腕を使って、その触手を薙ぎ払うかのように切り落とした。

 園崎は、そんな少年の腕を見て目を見開いた。


(なんなの……、これ……)


 その男の手は、人と呼ぶにはあまりに歪な形をしていた。

 わけがわからなくなっている園崎に目を向けず、大我は怪物に向かって話しかける。


「最近は大人しくなったと感じていたんだがな……、相変わらずの仕事を減らしてくれないようだな……」


 そう言うと、大我は顔の前でバツの字に腕を交差させ、狼のようなうめき声を発しながらその姿を変貌させた。


「っ……!?」


 園崎は、目の前の光景に驚愕した。

 その姿は、狼のような人のような、青い怪物と言えるものだった。

 彼女の目に映るそれは、闇の中に立ち、赤い瞳を光らせる。

 息を荒らげ、牙を尖らせ、獲物に向かって走り出す……。

 タコのような怪物は、怪物化した大我に向かって触手を伸ばしていくが、大我はそれを次々に切り落としていく。そして、大我はタコ型の怪物の頭を掴んでは、地面へと叩きつける。それも一回ではなく何度も何度も叩きつけた。

 そして、そのままボールを投げるかのようにタコの怪物を放り投げた。

 地面に転がり落ちたタコの怪物は、立ち上がることができなくなるくらいのダメージを受けた。

 そんな怪物を、大我はさらに蹴り飛ばした。そして、大我は怪物の頭をもう一度掴み、もう片方の腕を首元に押し当てた。


「散れ、愚かな新人しんとよ……」


 次の瞬間、怪物の頭は無惨にも切り落とされ、辺りが血で染る。

 やがて月明かりが照らされ、怪物の体を輝かせた……。

 

「あぁ……」

 

 園崎にとっては、目の前で起こった光景はただ事ではないものだった。それだというのに、月明かりに照らされた青い怪物を見て、園崎はこう思ってしまった……。


(あぁ……、なんて美しいのだろう……)


 月の光は、少女と怪物の二人を照らし続けた……。




読切版[完]

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