かさばった短編の羅列

かさばる

段ボール、軍帽、アクアリウム。僕と軍人のお姉さん

段ボール


軍帽


アクアリウム





朝。銃声こそ聞こえないものの、鳥が鳴く訳でも無い。しいんとしている。それだけで幸福を感じられる。

僕は木製のベッドで身体を起こす。背中が痛い。まだ痛い。慣れたつもりだったけれど。

同じ部屋の反対側を見ると、僕より小さいベットの傍に、使い古した軍帽が置いてある。

ここの、この家の、この世界の主の物だ。

あるいはこれを盗みでもしてしまったら話は終わるのかと思ったりもする。でも、僕にはそんな度胸は無いようだった。



「おはよう、少年」

低い女性の声がした。

「……おはよう」

僕は眠い状態で、自然体で返事をする。

軍人のお姉さんは、ほっとしたように微笑む。

「うん。問題の無い返事だ。おいで。朝食の準備ができているよ」

僕はリビングに出て、血圧と体温を測って、帳簿に記入した。

「うん。血圧が少し高いね。いつも通りだ。そう解釈し、安心できる。この前医者に見せて正解だったな」

僕は血圧が、少しというか随分高かった。でも病院に行ったら、特に身体に問題は見つからず、ちょっとしたストレスから来るものかも知れないと言われた。多感期、思春期でもある事だし、まあ血圧ひとつで大騒ぎもするまい、という話になったのだ。



「いただきます」

「いただきます」

僕達は並んで朝食を食べる。僕の分は随分多かった。これもいつもの事だ。

鶏肉か。塩で焼いてある。

僕は、何も他意は無いのだけれど、慣れからして、ついついつまらなそうに食べてしまう。

すると、お姉さんが気にかけてきた。

「すまないね。安直な発想しかできなくて。料理は……そうだな、ものによっては訓練もしたんだが、君が食べられるものは少なそうだし……専門家じゃないものでね、ああすまない、言い訳のようで」

僕は、口の中が咀嚼の最中だったので、首を横に振り、飲み込んでから返事をした。

「いいんだよ。そうやって卑下する事は無い」

それを聞いて、お姉さんは何とも言えない顔をする。微笑んでいるような。しかし首をかしげて、困っているような。

「難しい言葉を、覚えたんだね」

「…………」

――――――



「じゃあ、行ってくるからね。いい子で待っているんだよ」

「うん」

軍人として出勤するお姉さん。しかし何かを思い出したのか、足を止めて振り返った。

「ああ、もうすぐ君の誕生日だね。私の記憶が間違っていなければ、君は今度十三歳になるはずだが」

「うん。合ってるよ。大丈夫」

僕は手を振ってみせた。

「ありがとう。お互い楽しみにしような」



一年前の話。ちょうど一年前の話。言わずもがな、その時も僕の誕生日の直前だった。

その頃の事を思い出した。



「これは何?」

僕にとって、それは珍しかった。

「ん?ただの水槽だよ。魚を飼育しているんだ」

「……へえ」

小さな魚達を眺める。彼らはゆらゆらと、目から人間を癒すのだろう。

しかし、僕にはそれが気に入らなかった。自由な世界。水も餌も十分に与えられる、何不自由無い世界。彼らはその水槽の中で、気ままに生きて、気ままに死んだりするのだろう。

「ア――」

その日、お姉さんが帰ってきた。僕が聞いたのは彼女の叫び声だった。

「少年!おい少年!どこだ!」

僕は布団にくるまって、ガタガタと震えていた。

「少年!」

音を立てて、寝室の扉が開かれる。

「あっ……!大丈夫か!おい!」

大丈夫って……何がだよ……

………………



「――どうした?大丈夫か?」

お姉さんの声色が先程と違う。

「ひっ、ぐっ、うっ」

僕は布団から出られない。

「――泣いているのか」

――――――



「えっ、と、私はどうしたらいいのかな」

――?

「あ、その、すまない、わきまえていないんだ。泣いている子供をあやす手段を」

僕は、水槽を叩き割ったのだ。

「あ――」



「無事……なのだな」

どうしたらいいかは分からなかったのかも知れないが、お姉さんは状況を理解したようだ。

「なあ、少年、お願いだから顔を見せてくれないか、無事であるとは思うんだが、私は心配性なんだ」

そう言われて、僕は恐る恐る布団から出る。



「――え」

僕は驚いた。

「なんで」

どうして、お姉さんが涙を流しているの。

「――」



「すまない、取り乱した。お互い落ち着こう。お茶を入れるよ」

「え……」



「どうだ?急いで沸かした付け焼刃だが」

「あったかい」

美味しかった。



「あるらしいね、そういう事が」

「何の事?」

「水槽、君が割ったんだろう?」

僕は諦めて頷いた。

「幼い時分に親から離された子供は、代わりの保護者、里親なんかに対して、どこまで愛し、許してくれるかと、試すようないたずらをするらしいね」

「――怒らない?」

僕はお姉さんを見上げた。

「希望的に見ているように見える、素晴らしいね。タネが知れれば怒る必要は無いよ。大丈夫だ」

――――



「大丈夫、大丈夫だから……」

……?

お姉さんは、また少し泣きそうな顔をした。





お姉さんの帰りを待つ間、僕は一年前を回想した。

あの時は、お姉さんに不安な思いをさせてしまったな。

「……そうだ」

僕はちょっとした思い付きがあって、家の中を探った。



「ただいま」

「おかえりなさい」

お姉さんが帰って来た。



「――え?」

「……へへ」

僕は少し笑った。お姉さんは驚いていた。

お姉さんはまた新しい水槽を買っていたが、それが段ボールでぐるぐる巻かれていた。

「少年、これはどうしたんだい?」

「え、いや、もう壊さないよって」

「え、あ、ああー」

お姉さんは妙に納得。しかしながら。

「そんな気遣い、いらないのに」

「で、でもさ、安心して欲しかったから」

「安心?」

「うん」



「――あはっ」

笑われた。

「はははっ」

「どうしたの」

「光が入らなくなって、水槽に良くないよ」

「あ……」



「ごめんなさい」

「いいって。外せば済む話だ」

「……うん」

………………



――――――



――僕は、無意識的に、嫉妬していたのかも知れない。水槽の魚達に。



僕の方を、もっと見て欲しかったんだな。

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