静けき衡士

yui-yui

序章

 トゥール公国歴〇九八年 フィデス本市


「覚悟がないから油断する」

 どちらかと言えば自分に言い聞かせるように女衡士こうしは吐き出した。剣を鞘に収め、ぐ、と腰を落とす。無論このままでは女衡士の剣は女野盗に届くことはない。しかし女衡士が得意とする剣技には特殊な歩法があり、一瞬にして敵との間合いを詰めることができる。

 一息で敵との間合いを詰め、剣を抜くと同時に斬る。それが女衡士が得意とする『居合イアイ』という剣技だ。

「覚悟がない、ですって?」

 相対する女野盗は立ち上がると、左手にナイフを構え、そう言い放った。

「偽りの、歪んだ想いに何が宿る!」

「言ったはずよ。貴女には一生判らないと!」

 叫び、女野盗は某かの呪文を唱えたようだった。しかし同じ轍は踏まない。女衡士は踏み込んだ。

鏡幻影ミラーイメージ!」

 古代語魔導アビリティランゲージ発動の呪文を発した途端、女野盗の姿がゆらりと揺れた。そして背後にもう一人、まったく同じ姿をした女野盗が現れる。

「甘い!」

 魔導師が己の身を守るために使う魔導だ。この鏡幻影は術者の魔力が強大なほど現れる幻影の数が多くなる。出現した鏡幻影は一体。そして一体であれば初歩の域を出ていない。

 女野盗の魔導師としての力は、それほど驚異ではない。

 鏡幻影は衝撃を与えるだけで簡単に消すことができる。女衡士は一歩目の踏み込みで剣を閃かせ鏡幻影を消し去ると、更にもう一歩踏み込んだ。

「貴女がね!」

 鏡幻影を消されても動じることなく、女野盗は狙い済ましたようにナイフを投げる。そのナイフは女衡士の腹部に深く突き刺さった。

 衝撃と腹部に走る熱を無視し、女衡士は気を吐いた。

「覚悟……!」




 トゥール公国歴〇九四年


 トゥール公国。

 かつてトゥール大陸には六つの王国が存在し、その六王国は時に争い、時に盟友となり、戦乱の時代を生き延びた人々の手によって歴史が刻まれていった。

 様々な戦争、様々な和平、様々な伝説が語り継がれて行く中、トゥール大陸史上最大最悪の戦争と言われた『第二次トゥール六王国大戦』が勃発した。


 古の禁忌の遺物である『鍵師けんし』を発掘した一国が得た強大すぎる力は、やがてトゥール大陸征服全土を手に入れようと人々の心を歪めて行く。

 他五王国連合軍がそれに対抗する形となったこの戦争は、約十年もの間続くこととなる。

 人々も大地も疲弊し、トゥール大陸を形作っていた誇るべき六王国は戦争終結とともに消滅した。


 国土拡大、権力を欲する者たち、力を欲する者たちの、大きく歪んだ欲望が招く結末を、愚かな戦争という形で学んだ人々は、やがて王権政治を廃止し、各王国を主要地方都市と化し、トゥール六王国をトゥール公国へと変貌させた。


 皮肉にもこの『勝者なき戦争』とも呼ばれた『第二次トゥール六王国大戦』は、今まで誰もが成しえなかった六王国の統一という形で終戦となったのである。



 トゥール公国となって九四年の月日が流れた。

 争いなき百年、俗に言われる『百年国時代』がもうすぐトゥール公国でも達成されようとしている。

 百年近くの時が流れても、トゥール公国のやり方に異を唱える者は少なくなかったが、それでも大きな戦争へと発展することはなく、仮初ではあるにせよ、平和な時代が続いた。


 トゥール公国発足と同時に設立された、トゥール公国唯一の武力『トゥール公国衡士師団こうししだん』は当初、第二次トゥール六王国大戦での功労者を集った組織だった。

 各王国の英雄とまで謳われた騎士や王だけではなく、多くの傭兵までもが公国衡士師団設立に賛同し、所属した。


 武装集団としての戦力は絶対的なものを有し、絶えない魔族の討伐や、トゥール公国の方針に異を唱える反公国派反乱分子の鎮圧等は粛々と処理されていった。


 しかし争いなき年月は、人々から争いを忘れさせ、命を賭した戦いに備える技術もまた衰える。

 かつての六王国時代の強き者は時の流れに順じて引退して行く。

 世代が変わり、新時代の公国衡士師団員である衡士こうしには六王国大戦時の英雄ほどの力を持ち合わせている者は殆どいなかった。

 

 公国衡士師団の衰退、なくならない魔族の暗躍、反公国派の反乱の中、それでも人々は文明を復興させてゆく。


 大きな争いこそ起きないが、トゥール公国はまだ戦いのさ中にある。


 仮初の百年国時代にどれほどの意味があるのか。

 

 それを感じているのは、一握りの衡士と、傭兵たち、だけであった。


 そんな混沌とした時代の中、一人の女性衡士が誕生する。

 後に『静けき衡士』と呼ばれることとなる衡士。

 名をリセル・セルウィードといった。


 序章 終り

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