みな爆散していく
常
第1話 きっと最初から無かった
大学生の頃。
珈琲にはまっていた私は、喫茶店でアルバイトをしようと思いたちました。どこか良いところはないかと探すうち、最寄駅の側にあるお店に求人募集の張り紙があることに気づきました。
そこは、駅のロータリーを抜け横断歩道を渡り、すぐ右手にあるこぢんまりとした、でもかなり古い一軒家でした。
何回か入ったことのある渋い喫茶店です。店員さんが、珈琲用の細い注ぎぐちのポットで、大きな業務用ネルに向かって湯を注いでいる姿がとても格好良く見えたものです。
電話、面接、そして初勤務。
お店のメニューをメモして、テーブル番号を覚えて……。知らない事が沢山あって、珈琲を淹れるところまでは到底教わる事ができませんでした。
忙しく1ヶ月くらい過ぎた頃です。
携帯に、店長から着信がありました。でも大学の講義中だったので、出られません。講義が終わってかけ直しても、誰も出ません。
「どうしたの?」
同じ講義を受けていた友人に訊ねられました。
「バイト先から連絡あったんだけど、かけ直しても誰も出ないんだよね」
「この間言ってたお店だよね。忙しいんじゃない?」
それもそうです。
お茶をする人が多かったのかもしれません。
「お店に腕時計忘れてきたから、帰りに寄ってみる」
「私もついてこうかな。お店気になる!」
そして。
興味津々の友人を伴い降りた最寄り。ロータリーを抜け横断歩道を渡りました。ところが、なぜか私は行き過ぎてしまったのです。ゲームセンターの音が漏れる道の真ん中で立ち止まりました。
横断歩道を渡ったら、右手にお店があるはずで……?
「あれ?」
「お店、近いって言ってなかった?」
「ごめん、通り過ぎちゃったみたい」
来た道を戻り横断歩道まで着いたものの、お店をまたしても通り過ぎる自体に。
「え?」
「何やってるの? ふざけてるの?」
「ごめんごめん!お店、どこだったっけって……ああああ!!」
振り返り、お店のあるべき右手を見ると、そこには信じられない光景が。
小さめのショベルカーが、ガラガラ音をさせながら、多分建物だったものを絶賛崩して片付け中だったのです。
「あ、あ、あ、時計……バイト……バイト代」
「え? ………………まさかアレがお店?」
ドン引きする友人。
時計は大学入学祝いのものでした。
ショベルカーは、呆然とする私を尻目にまた容赦の無い一撃を恐らく建物だったものにお見舞いしています。
「うわあああ!」
「浅茅が宿みたいだね。最初からお店なんて無かったんだよきっと」
後から聞いた話によると、お店の経営が傾いていても稀に求人募集をかけることがあるそうです。「求人できるくらい経営は安定しています」と融資の関係に見せるためだとかなんとか。まあ眉唾なのかもしれませんが。
それにこの時がどうであったのか、真相は今となっては藪の中です。
何にせよ、勤務先が木っ端微塵になった初めての体験でした。
当然ながら時計は帰ってきませんでした。
みなさん忘れ物にはくれぐれも注意してくださいね。
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