chapter 6: BLOOD BROTHERS(1)
翌日、ヨハンネス少年は目を覚ました。
どこで折れたのか左手の薬指が折れていた。
呼吸をすると痛むので、あばらもひびが入っていると思われた。
打ち身も多数。
青とか赤くなっているのはどうという事はないが、黄色くなっているのは筋肉の深い所で内出血しているので時間がかかる。
前歯が一本折れて尖った歯根が残っているので、やっとこで抜いてもらった。
頭は、裂傷があり数針縫った。
熱っぽく、ぼんやりして集中できない。
鈍い鈍痛は常にあったが、特に夜寝る頃になると刺すような痛みが出始めた。
眠る事ができなくて、つらい
それでも一週間ほど経つと頭痛もだいぶ和らぎ、床から出る事ができるようになった。
たった一週間であったが、それでも久々に立つと、足がふらつく。
事ここに至り、ヨハンネスは、イエルクリングとの因縁を施療院の皆に話さざるを得なかった。
黙っていた事に対して叱責を受け、少年は施療院からの外出を禁じられた。
また、ホアキムを探して連れ戻す使者が派遣される事になった。
少年は、その事に安堵し、一刻も早いホアキムの帰還を願った。
そうやって一週間も経った頃、フオイヤが深刻な顔でヨハンネスの寝床を訪れた。
「昨日から、アポロニアが家に帰っていないんだよ。今、パン職人の兄弟団と、うちの奉公人たちで探している」
それを聞いて、ヨハンネスはうろたえた。
「アァ? なんだよそれ――」
途中まで言いかけて、口をつぐんだ。
イエルクリング以外に何があるって言うんだ。
老フオイヤの顔が、何を言っているんだと怒っていないか心配になり、伺う。
フオイヤの表情には、ヨハンネスが心配していたような感情は読み取れない。
彼はそう思った。
「さっきあんたに伝言があった。使いの物乞いが言うには“今晩、俺の右手が失われた場所で待つ。来なければ娘の命はない”だそうだ」
ヨハンネスは目まいがした。
自分の視点が頭の後ろの高い所に後退し、部屋がゆっくり傾いていくような感覚。
「ルールマンの親父には、伝えたのかよ?」
少年は、そう尋ねた。
「もちろんだよ。今、パン職人の兄弟団が出入りの支度をしている。れっきとした市民の娘がさらわれたんだ、警吏のピーターも出張って来るはずさ」
「……」
少年は、舟水車小屋の周りの様子を思い返した。
左右の舟水車は健在で、昼間は粉屋が働いていて、かなりの人の出入りがある。
あそこにアポロニアを連れ込んでるとは思えない。
「それで、お前さん、どうするんだい?」
「どうするって?」
ヨハンネスは、不意を打たれた顔をした。
彼は、自分にできる事はもう無い、と考えていた。
「あの片腕の
「ア? 俺に、行けってのか? 俺にそこまでする義理があんのかよ? 俺にゃ関係ない」
驚いたようにまくし立てるヨハンネス。
フオイヤは、彼に失望の表情を向けた。
「じゃあ聞くけど、あんたに関係ある人間ってのは、一体誰がいるんだい? 今生きている人でだよ」
ヨハンネスは言葉に詰まった。
「あんた、ここで逃げたら、一生、関係ない奴しかいなくなるよ」
フオイヤの叱責を受け、少年は怯え、戸惑った。
いら立ち、恨み、老女の不人情をののしり、そのまま施療院を飛び出した。
だが、施療院前の広場を半ばも行かないうちに足が止まり、振り返った。
赤い焼き煉瓦造の切妻屋根が、青空を切り取っているのが見えた。
少年は涙を拭い、向きを変えて、ルールマンのパン屋に歩を向けた。
その日の夕刻。
東口市門の内側、衛兵の控室に、メッサーを携えた少年の姿があった。
頭には包帯。左の薬指には添え木。
傍らには、ルールマンと警吏のピーターが立っていた。
ルールマンはメッサーを帯はき、麦わら帽子状の鉄の兜、綿をぎっしり詰めた刺し子縫いの上着、小さな丸盾といった装いだった。
職人も都市防衛の際には担当部署が決まっており、その為の武装を普段から用意している。
パン職人兄弟団の面々も、人目を避け、東口近くの懇意の酒場に武装して集合していた。
「娘の無事が最優先だ。身代金なら払うと、伝えてくれ」
ルールマンは、大柄な男だった。
緊張がにじみ出る声音に、ヨハンネスはうなずいた。
「おそらく、指定場所に人質はいない。犯人の仲間が何処かに監禁してるのだろう。だから、基本的に俺たちは踏み込まない」
ピーター青年は、ヨハンネスに告げた。
それから、不思議そうにヨハンネスを見詰めた。
「それでも、お前は行くのか?」
「……」
ヨハンネスは、ピーターの問いに答えない。
「ご主人様が、お尋ねです」
背の高い男装従者が、ヨハンネスの前に立った。
ピーターが、その従者の肩を抑える。
納得のいかない顔を主人に向けた従者の隣を、ヨハンネスは通り抜ける。
彼はそのまま、市門をくぐった。
粉屋職人たちが両脇の舟水車から引き上げてくるのと、すれ違う。
ヨハンネスは当然、彼らの顔を見知っている。
だが、彼らはこちらを知らないはずだ。
しかし彼らはヨハンネスの顔を見て、何とも言えない表情をした。
職人の一人は、ヨハンネスの肩を労わるように叩きさえした。
ヨハンネスには、それを気に留める余裕はなく、うなずき返すにとどめた。
粉屋職人たちが両脇の舟水車から引き上げてくるのと、すれ違う。
橋の真ん中にまで進み、欄干に手をかけて、身を乗り出した。
足を振って、舟水車小屋の半壊した屋根に着地。
屋根板の無い所から、小屋の中をのぞいてみた。
案の定、イエルクリングの姿は見当たらない。
ヨハンネスは、水車小屋の中に飛び降り、戸の無い出入口から外に出た。
船端に腰かけ、深まりゆく夕闇に目を凝らす。
西の空に宵の明星が輝きだした頃、上流から小舟のかいをこぐ音が聞こえてきた。
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