chapter 5: FEAR OF THE DARK(2)







 数日して、フオイヤはヨハンネスに使いを命じた。


「聖母昇天節の宴に芸人を雇わないといけない。バグパイプ吹き小路こうじの手配師に、施療院まで来てくれるよう伝えておくれ」


 悪所への使い走りは、少年の主な仕事だ。

 そも、少年が施療院に置いてもらえる上に様々な雑務を免除されているのは、いずれホアキムを補佐し、一部なりと肩代わりできるようにという期待があるからだ。

 少年は自らの立場を、そう理解していた。

 であるからには、柄の悪いやからが一人、街に戻ってきたからと言って臆している訳にはいかない。


「おう。行ってくらぁ」 


 少年は、普段通りの所作を心がけて答えた。


「一人で、大丈夫かい? 何人か一緒に行かせようか?」


 老フオイヤは尋ねた。

 少年は、少し考えて首を振った。

 逃げるにしろ隠れるにしろ、一人の方が都合が良い。


「あの片腕の男には、気を付けるんだよ」


 フオイヤは、心配気に忠告した。

 うなずいたヨハンネスは、木綿と亜麻の交織まぜおりの短衣を身に着け、メッサーを袋に入れて手に持った。


 そして少年は、ごろつき小路こうじや共同洗濯場を避けた。

 遠回りをして靴屋通り、馬具屋通り、皮なめし通りといった職人街を通った。

 樹皮や犬の糞を煮込んで作っている薬剤の臭いが、鼻を突いた。

 職人の家は大抵、二階が住居、一階が店舗だ。

 街路まで商品を並べたり、作業台を広げている。

 そのため、通りの見通しが悪くなっている。

 商品の影、通りの角にさりげなく隠れながら、頭を出して道の先をのぞく。

 そうやって慎重に進んでいたのに、バクパイプ吹き小路こうじに入る最後の角だけ、それを怠ってしまった。

 そして、待ち受けていた片腕の男の視線に射すくめられてしまう。


 ――いつも、そうだ。俺ぁ肝心な所でヘマしちまう。


 少年は自らのうかつさを呪った。

 おそらく施療院に見張りが張り付いていたに違いない、と思う。


「お前、この間は大変な事してくれたよな」


 イエルクリングが因縁を付け始めた。

 ヨハンネスは、何も答えず、腹に力を溜めて周囲を警戒した。

 今日のイエルクリングは一人に見える。

 問答に意味はない。

 どうせ言葉尻をとらえ、こちらに負い目を感じさせようとしているだけだ。

 片腕の男が威圧するように肩をゆすりながら近づいてくる。

 少年は、くるりと後ろを向いて逃走を始めた。

 イエルクリングは苛立いらだった表情を見せた。

 しかし、追いかけようとはしない。

 少年は皮なめし通りを駆け抜けようとした。

 しかし、皮の裏側の肉をこそげ落としていた職人の影から、獣屍処理人が飛び出してきた。

 とっさに避けようとして、皮を張った木枠が並べられている所に飛び込んでしまい、少年は転倒した。

 職人の怒号が上がる。

 獣屍処理人が、抜き身の包丁を右手に振りかぶって駆け寄った。

 メッサーを抜いて立ち上がるヨハンネス。

 左半身で、メッサーを握った腕を身体の横に自然に垂らし、切っ先を下げる。“堡塁ほるいの構え”。

 包丁のけさ斬りに対して、自らの左側に壁を作るように縦回転でショートエッジのベッカーを付けた。

 “ツヴィンガー”と呼ばれる技。

 包丁の刃に対して、刃の平を付けるので刃が滑り落ち、つばに当たって止まる。

 その時、メッサーの切っ先は獣屍処理人を向いている。

 ヨハンネスが右足をパスして少し腕を伸ばすと、メッサーの切っ先がゴツンと敵の頬を打った。

 顔を抑えてのけ反る処理人から血が飛び散る。

 顔を切り裂かれた人間の悲鳴。

 ヨハンネスが周りを確認する間も無く、別の獣屍処理人に腰に組み付かれ、押し倒されてしまった。

 倒れた時に、ヨハンネスはメッサーを取り落とした。

 必死に手探りするが、大人の体格に上から圧し掛かられ身動きが取れない。

 仰向けでもがいていると、片腕の男が現れてヨハンネス少年の頭を踏み抜いた。

 石畳に叩きつけられて、頭の鉢がきしむ音を少年は聞く。

 こうやって踏まれて、いびきをかき始めた人間は死ぬ。

 少年は何度も見てきた。

 少年は必死に許しを乞うが、片腕の男は続けて踏んだ。

 イエルクリングにとって、少年の哀願は暴力のよろこびに彩りを添えるものでしかなかった。

 彼は、片腕を失って以来、欠けていた何かが、一蹴りする度に回復しているように感じた。

 三発目の蹴りで少年の意識が失われ、静かになった。


 そこに怒鳴り声と共に、皮なめし職人たちが止めに入った。

 彼らと兄弟団を同じくする近所の肉屋たちも集まってくる。

 皮なめし職人は、参議会から街の刑吏も委託されている。

 自らの通りで白昼堂々と殺人を許しては、彼らも面目が保てない。

 血で汚れた前掛けを着た男たちが、無骨な包丁や小刀で片腕の男を威嚇する。

 イエルクリングは舌打ちをすると、すぐに逃走した。

 獣屍処理人の二人は逃げ遅れ、職人たちにちのめされた。

 バグパイプ吹き小路こうじの手配師の指示で、ヨハンネスは施療院に運び込まれた。











※……ツヴィンガー参照

https://youtu.be/6qxgiup4Hhg?t=27





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る