chapter 4: THE WICKER MAN(2)

 






 ホアキムとヨハンネスが、芸人を引き連れて施療院に戻った。

 パン屋の窓台で売り子をしていたアポロニアは、それを見ていた。

 ヨハンネスが気付くと、アポロニアが彼を見ていた。

 彼女の大きな瞳に陽射しがきらめいていると、少年は思った。


 施療院に戻ると、しばし少年は解放されて自由時間となった。

 少年は中庭に出て、腰高の柵に腰掛けた。

 やがて、少女が休み時間になって中庭にやって来た。

 少女は、肩と肩が触れそうな距離に座る。

 ヨハンネスは、その距離を意識した。

 少女が笑顔を見せた。

 アポロニアが、旅芸人の事を尋ねた。

 少年は“バグパイプ吹き”小路こうじでの事を、少し誇張して話した。

 夢中になって話す少年。

 楽し気に笑う少女。


「なぁ、祭りの日だけどよ。俺と踊らねぇか?」


「うん、いいよ」



 旅芸人たちは、契約通り祭日まで滞在した。

 そして、歌や踊りを施療院の奉公人や滞在者たちに教える。

 ヨハンネスも、教えを乞う輪に加わった。

 祭日が来るのを、指折り数える。

 同床の孤児のアルノーが、ヨハンネスを捕まえてぼやいた。


「でも俺ら、一緒に踊る子がいる訳でもないしな」


「わりぃ。俺、アポロニアと約束してんだ」


 ヨハンネスの答えに、アルノーは呆けた顔をして、次に拳を振り上げた。

 ヨハンネスは笑って逃げる。



 やがて中庭に、しらかばの柱が立てられた。

 天辺てっぺん以外は枝が払われ、色とりどりの布や細工で飾り立てられる。

 常緑の枝で作られた輪飾りが、施療院の扉や羊皮紙を貼った窓に飾られた。

 中には風鈴と一緒に天井から吊られた輪飾りもある。

 また花が添えられた小さな輪飾りが、入院患者や奉公人に配られた。

 思い思いに髪や服に飾り付けられる。

 中庭に据え付けられた組み立て式の食卓には、の緑の葉が混ぜられたパンが並んだ。

 汁物は、これも目に鮮やかな緑色の水芥子みずがらしと黒麦粉の煮込みだ。

 牛乳と肉荳蔲ニクズグの実のかけ汁をえたひらめにも、旱芹菜パセリが添えられる。

 皆は料理に舌鼓したつづみを打ち、麦酒ばくしゅに酔いしれた。

 歌を歌い、軽業の見世物に沸いた。

 ハーディ・ガーディの独特の長い音が中庭に響く。


 「踊りだ!」


 誰かが叫んで、音楽が変わった。

 最初は、“ブホンレ”という踊りが始まった。

 皆で輪になって立ち、隣の人と手をつなぐ。

 演奏に合わせて、

 左に四歩、右に四歩

 左に二歩、右に一歩、小刻みに蹴り蹴り蹴り、左に二歩、右に二歩

 手を離して手拍子二拍、ぐるっと左回転、一拍置いて手拍子二拍、今度は右回転。

 これを繰り返す、比較的穏やかで、老若男女楽しめる踊りだ。

 ヨハンネスは初めての輪舞より、アポロニアの手の小さくてしっとりとした感触ばかり気になっていた。

 踊る面子も曲も何度も変わり、最後に“スキアラツラ・マラズラ”が始まった。

 これも輪になって手をつないだ所から始まる。


 右に三歩、蹴り一回、左に三歩、蹴り一回。

 右に三歩、蹴り一回、左に三歩、蹴り一回。

 一歩内に入って右を向いて隣の人と向い合せ、一歩内に入って反転して左側の人と向い合せ。

 一歩内に入って反転して右側の人と向い合せ、輪の外側を向いて手拍子三拍。

 一歩外に出て右を向いて隣の人と向い合せ、一歩外に出て反転して左側の人と向い合せ。

 一歩外に出て反転して右側の人と向い合せ、輪の内側を向いて手拍子三拍。

 また手をつないで繰り返す。

 ただし、演奏の早さが徐々に早くなっていった。

 そうすると、輪の中心に飛び跳ねながら向かっていって、背中とお尻でぶつかるようになる。

 ヨハンネスは、アポロニアの弾む身体に目を奪われ、柔らかい感触に鼓動が早くなった。

 気付けば音楽はかなり早く、演奏が崩れ始めていた。

 踊っている人たちも大分脱落して、残っているのはヨハンネスとアポロニアと、あと二組の男女だけだ。

 踊りは激しくなり、呼吸がつらい。

 もう息が続かないと思った瞬間、音楽がついに破れ、でたらめに楽器がかき鳴らされた。


「万歳!」


 見守っていた皆が歓声を上げ、口笛や拍手が起こった。

 倒れ込むように抱き着いてきたアポロニアの笑顔。

 ヨハンネス少年の心がおどった。


 


 施療院に滞在している間に、旅芸人たちは余所よその街の噂話を沢山残した。

 その中に、遥か南方、ウディーネという街の防衛隊指揮官の話があった。

 “フィオーレ・デイ・リベーリ”という名で、の術に優れ、数多くの騎士が彼の武術指南を求めて日参しているという。

 その話に食いついたのが、ホアキム青年だった。

 旅芸人たちを根掘り葉掘り問いただし、五月祭が終わる頃には、彼らを案内人に、その武人を訪れると言い出した。

 施療院の奉公人たちは、世故にけて腕っぷしが立つ青年がいなくなると困る、と説き伏せようとした。


「ちょっと見てくるだけさ。秋の収穫前には戻ってくる」


 ホアキム青年は、にこやかに言った。

 付き合いの長い古株の奉公人ほど、疑わし気な顔をした。

 ヨハンネス少年は、彼も同行させてもらえるのか尋ねた。答えは否だった。

 少年は黙ってそれを受け入れたが、その日以来、稽古の時の打ち込みがいちいち荒々しい。

 翌日に旅立つという日になって、ホアキムはヨハンネスにメッサ―を一振り与えた。

 刃渡り一尺五寸ほどの小振りな小刀だった。

 十字つばの先が伸びてL字に曲がり、拳を守っている。

 ホアキム自らが鍛えた物だそうだ。


「お前は市民権を持ってないから、持ち歩くな。いざという時の為に渡しておく」


 そう言い残して、ホアキムは旅立った。





 季節はめぐり、冬小麦の収穫の時期となった。

 干し草を山積みにした荷車が施療院にやって来た。

 高床式の小屋に干し草が詰め込まれる。

 ヨハンネスとアルノーの寝床も、新しい干し草と入れ替えされた。

 その真新しい匂いに、二人はこみあげてくるような喜びを感じた。


 それからしばらくして、ヨハンネス少年は、ワケニッツ河畔の共同洗濯場に行った。

 施療院は、かなりの頻度で亜麻の肌着を洗濯していた。

 羊毛衣類は基本的に洗濯ができない。

 入浴も、それほど頻繁にはできなかった。

 しかし肌着を小まめに変える事で、体臭をかなり抑える事ができる。

 その為、洗濯にはかなりの人手を要した。

 アルノーたち孤児や、孤児舎監のベティーナも駆り出される。

 作業はしないが、お目付け役として老フオイヤも同行した。

 共同洗濯場は、石造りの浅い水路だった。

 洗濯物を叩き洗いする為の石板が備え付けられている。

 施療院の者たちは、亜麻の肌着を冷たい水に浸し、石板に叩きつた。

 ねじって絞り、日当たりの良い石畳に干した。

 真夏の強い日差しが、濡れた洗濯物を見る見る乾かして行く、そんな日だった。


 そうしてヨハンネスが休憩していると、市が雇った掃除人たちが四人、街路をやって来るのが見えた。

 人畜の糞便や、あらゆる生活ごみを清掃回収する彼らだが、市民からは“獣屍の処理人”と蔑まれている。

 その中の一人、背中が極端に丸まった男が、つと少年に歩み寄った。

 旧友に会ったように肩を組んでくる


「ひさしぶりだなぁ、ゲジゲジ」


 恐ろしい重みが少年の肩に圧し掛かった。

 痩せこけているが、長身の男だった。

 右腕の肘から先が無い。

 歯は大部分が失われ、強張った唇からよだれが垂れている。

 白目に血走った血管が何本も走る眼が、ヨハンネスをのぞき込んだ。


「覚えてるか? 俺だよ、イエルクリングだ」


 老人のようにかすれた声が言った。

 少年は、うなずいた。

 視線が、失われた腕に吸い寄せられる。

 気付いた男が、右腕を掲げて見せた。


「ひでぇもんだろ? あの後、こぼれて止まんなくてよぉ。肘まで腫れあがって、床屋に切られちまった」












※忘れてました。ブホンレ参考イメージ

 https://youtu.be/xoaQwoot2C4

 スキアラツラ・マラズラはこちら。

 https://www.youtube.com/watch?v=86LgZFyueak



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