因果応報 3

003


 獣の少女と再会を果たし、僕たちはリビングへ戻った。


「……異様な光景だな」


 英美里さんが僕をジトッとした目で見て言う。

 それもそのはず。


「ゴロゴロ……♪」


 ソファに座るや否や、獣の少女が僕にくっつき頬ずりしてきていたからだ。


「ハ、ハハハ……」


 うれしいことはうれしいのだが、正直少し暑いと思わなくもない状況だった。


「まぁいい。このまま話を始めよう。さて、キメラの少女……、そういえば、名前は何なんだ? いや、今はどうでもいいか。私はこれから、組織のアジト行ってくる」


『――私も行く!』


「――ガゥ!」と獣の少女、もといキメラの少女が吠える。


「いや、君には和斗君の護衛を頼みたい。この家の敷地には結界が張られているが、相手が魔術師であれば看破もされる。もちろん努力はするが、もしそうなった場合に私たち二人が出払っていたら、彼を守れない。君は彼を選んだ。自分の復讐よりも。違うか?」


『……わかった』


「……グルル」と不服そうに喉を鳴らすキメラの少女。


(英美里さんは彼女の言葉が分かるのだろうか? いや、そんなことよりキメラとか『組織』とかってなんろう?)


 そのようなことを英美里さんに質問しようとしたら、英美里さんは突如立ち上がり、スタスタと玄関に歩いていく。


「それでいい。じゃあ、あとは頼んだ。仕事仲間から早く来いと呼ばれているんだ。いいか? この家から決して出るなよ? この家にあるものだったら好きに食べたり飲んだりしてていいからなー!」


「――ちょ、ちょっと英美里さん⁉」


 バタン。と、そのまま英美里さんは出かけてしまった。

 落ち込みからか、僕は「ハァ……」とため息をつき、崩れるようにソファに座った。

 すると隣からは、キメラの少女が頬ずりをしてきてくれる。

 キメラ……。確か、同一の個体内に異なる遺伝情報を持つ細胞が混在している状態や、その個体を表す言葉だったか。

 今一度、僕は彼女の身体を視る。

 植物、人間、獣が一つになった肉体。

 鼻口部、耳、共に人間のものではない。耳は丸っこい耳で、人間より少し高い位置についている。全身を覆う体毛は黄色がかった茶色で、尾は細長く、先っちょにまとまった房があった。

 全体的に猫っぽい印象を受けたが、よく見るとライオンの方がイメージとしては近い。

 というかライオンだ。ライオンが擬人化したような、そんな姿をしていた。

 しかし、それにしては、指は人間のように五本あり、足だって人間のような形をしている。

 そして腰から生えた二本の小さい木。

 まあ、魔術の産物なのだろう。脊椎動物には移植免疫があるから、成体でこのようなキメラを作ることはできないはずだ。なのに、これのような生物がまかり通っているということは、常識の外、魔術的な技術が使われているのだろう。

 神話にキメラの語源にあたるキマイラという伝説の生物がいるが、それも古代の魔術師がこのように作り出したものだったのだろう。

 と、そんな思考にふけっていると、


『そんなに見つめて……どうしたの?』


 というような言葉が脳内に響いた。


「あっ、いや、別に大したことじゃないんだ……。ごめんね。……ええっと」


 そういえば名前を聞いていなかった。


「そういえば、名前は? 名前はなんていうの?」


『ナ、マエ?』


 少女が首をかしげる。


「そう。名前。わかる?」


『ナマエって、どんなもの?』


「あ……そこからか……。ええっとね。名前っていうのは…………、難しいな。例えば、僕は源和斗っていう名前。だから……名前っていうのは、その人そのものを表すもの、みたいなものなんだ……」


 ――伝わったかな?

 少女は、少し考えるようにうつむき、


『……私にそういう固有名詞はない。私は気が付いたら、生まれていて、目の前の人間たちを殺したくなって、殺して、逃げて、今に至る。だから、そういうのは、ない』


「…………そっか」


 思えば、僕はこの娘のことを何も知らない。

 なぜあの場所で倒れていたのか、なぜ魔術師に狙われていたのか、なぜ英美里さんがこの娘も匿ったのか、なぜこの娘は、このような姿をしているのか。僕は何も知らない。

 僕は知りたい。この少女のことを。

 でも、だからと言って、聞く気にもなれない。

 たぶんそれは、辛いことだから。

 もしかしたら、辛い、なんてことは僕の思い込みで、決めつけで、本当は辛くも、なんともないのかもしれない。

 デリカシーなく聞けていれば、僕はここまで悶々とした気持ちになっていないだろう。

 こんな眼さえ持って生まれていなければ、僕はもっと、生きやすかっただろうな。


『ねぇ――』


「……ん?」


『私もナマエ、欲しい!』


 そんな言葉が、脳に響く。


『カズトがナマエを付けて』


「え、僕が?」


『うん!』


 困ったな。何かに名前を付けたことなんてないんだけど。

 でも、この娘の目は、僕に有無を言わせない目をしている。


「何で、僕なの?」


『あなたしかいないから』


「……そっか」


 はっきり言って気乗りはしない。もしも気に入らない名前を付けてしまったらと思うと、とても怖い。

 でも、こんな本心から言われたら、


「わかった。僕でいいなら」


 引き受けるしかないじゃないか。

 さて、どうしようか。というか、名前ってどのようにつけるものなのだろう?

 ライオン……、ライ子? ダメだネーミングセンスが壊滅的すぎる。できることなら、彼女の持つ要素から名前を付けたいのだが……


「う~ん……」


 キメラの少女は目を輝かせて待っている。


「ん?」


 そうか、キメラだ。キメラから考えていこう。キメ、メラ、キラ……あまりピンとくるものがない。語源のキマイラの方からも考えよう。キマ、キマイ……マイ、マイ?

 あれ? 『マイ』結構いいんじゃないか? マイというのは女性の名前にもぴったりだし、何より、――あくまで僕基準ではあるが――しっくりくる。


「マイ……ってどうかな?」


『マイ……?』


 ――ゴクリ。と、固唾を呑む。

 しかし、そんな心配は必要なかった。

 キメラの少女――マイは嬉しそうに笑ってくれた。


『ありがとう。大切にするね!』


 そんなマイを見て、僕もうれしくなって、はにかんだ。


 ■■■


 英美里は車で、都市部を挟んで、自分の別荘の反対側にあるこの街の郊外のさらに外、山のふもとにある森の中へ向かった。

 この森は、ほとんど樹海と化しており、ここで人間の死体が見つかっても何も驚きはしない。そんな人が出入りしないような場所で、用意周到に張られた結界の中に組織のアジト兼実験施設はあった。


「スコーピオン。お待ちしておりました」


「ご苦労」


 アジトから逃げ出した実験体と構成員を粛清するため包囲網を敷いている仕事仲間にねぎらいの言葉をかけ、英美里はアジトの中へと入っていく。

 突入部隊が破壊した防衛/迎撃装置と人の残骸が転がっている廊下を歩いた先に、英美里の仕事仲間たちが組織の研究資料をまとめていた。

 英美里の存在に気が付いた突入部隊のリーダーがこちらによって来る。


「スコーピオン――」


「挨拶はいい。組織の研究成果はすべて回収したのか?」


「はい。指示通り、倉庫以外の部屋を全て調べ、組織の人間の粛清、研究データの回収は完了しました。現在はスコーピオンの到着まで、研究成果の仕分けをしておりました」


「そうか。ご苦労。お前たちが殺した人間の中に、人形使いの魔術師はいなかったか?」


「人形使い……ですか? あいにく、そのような魔術師は目撃しておりません。この樹海の死体を再利用したであろう成体人形でしたら何体か交戦しましたが……」


「包囲陣営から、何か報告はあったか?」


「いえ、包囲網を敷いてから、誰かが外に逃げ出したということはないようです」


「つまり、術者はまだこの施設内にいるということか」


「どういうことですか?」


「包囲が完了する前に逃げ出した構成員を粛清している際に、三、いや五体の生体人形に遭遇したんだよ。あれはここから比較的近い場所だったからな。高位の人形師であれば都市部付近にまで操作有効範囲を広げることは可能だろう」


「となると――!」


「ああ。なぜ温存しているであろう人形たちをけしかけてこないのか謎だが、奴は倉庫に隠れている確率が高い」


「ですが倉庫には凶暴な実験体が保存されていると資料にありました。そのような場所で隠れるというのは……」


「ならば、すべての実験体が奴の支配下なのだろう。なるほど。どおりで倉庫の探索は私にさせろと彼女は言うわけだ」


 ――一体彼女はどこまでこの組織のことについて把握していたのか。そこまで監視できるのなら裏切った瞬間に粛清すればいいものを。

 英美里は自分に仕事を振った張本人に心の中で毒づきながら、倉庫の扉の前まで歩いていく。


「全員、荷物をまとめて外に出ていろ。中から何が出てくるかわからん」


『了解』


 英美里の声に口々に返答する突撃部隊の人間を見送った後、パスワードとハンドルで厳重に施錠された、分厚く重い扉に人間大サイズの穴をあけ、倉庫の中へ入っていった。

 中は倉庫というよりも牢屋だ。組織が作成した数多の実験体キメラが並んでいる。

 凶暴と聞いて身構えていたが、閉じ込められたキメラたちは生気のない目でぐったりとしている。


「凶暴……?」


 仕事仲間から聞いた情報と違う。


「すでに操られているのか……」


 英美里はいつキメラから襲われてもいいように気を配りながら、先に進んでいく。

 と、歩いていると、特に何事もなく倉庫の突き当りに到着した。


「ヒィィィィィィ‼ 起きて、起きてください!」


 そこには飼育係なのか、このキメラたちを管理していたであろう中年の男と、床に倒れた人形があった。


「オイ」


「ヒィ……!」


 英美里は訝しみながらも、この男から情報を聞き出すことにした。


「とりあえず先に聞いておきたいんだが……、お前は魔術師か?」


「命だけは……命だけは助けて下さい……」


「うわぁ……」


 中年の男はいきなり土下座をして命乞いをしてきた。あまりにも鮮やかすぎる土下座だったので英美里は一瞬、素が出そうになったが、仕事中だということを思い出し、自分の気持ちを切り替えた。


「……とりあえず私の質問に答えろ。お前は魔術師か? 答えられないのであれば私はお前を殺す」


「ま、魔術師ではありません。私はただ、組織に捕らえられ、彼らの世話をしていただけです」


「ふむ……わかった。では私はお前を殺さないと約束しよう」


「あ……ありがとうございますっ……!」


 と、男はまた土下座をしてくる。

 どのような経歴の持ち主かはわからないが、組織の連中がキメラの管理に選ぶような男だ。利用価値はあるかもしれない。


「ところで……そこに転がっている人形は何だ? さっき起きるように言っていたが……」


「人、形? いえ、この方は私と共に彼らの管理を任された者です。彼らキメラは、この人の言うことなら従順に従うんです」


「……なに?」


「でも、あなたたちが、襲撃してきて、この人は、ウンともスンとも……」


 状況的に考えて、この転がっている人形が例の人形師のはずだ。でなければおかしい。

 だが、これはどこからどう見ても人形だ。

 そこで英美里は、ある考えに至った。


「ちょっとどけ」


 英美里はうつ伏せになっている人形を起こし、胸の中心を叩いた。

 すると、ピキピキピキと胸にヒビが入っていき、手刀で脆くなった胸を貫いた。

 周りで騒いでいる男が煩わしいが、今はそんなことに気を向けている暇はない。

 英美里は胸の中をまさぐり、あるものを探す。

 そして――


「――!」


 フサッと手に当たったものを掴み、胸から手を引き抜いた。

 黄色い半透明の体液にまみれた手の中には、髪の毛の束が握られていた。


「――ッ!」


 ――やられた!

 英美里は騒ぐ男を置いて即座に倉庫から出ていく。

 倉庫の外に出ると、突入部隊の面々が英美里を待っていた。


「スコーピオン。倉庫内は――」


「倉庫内に脅威はない。殺すなり生かすなり好きにしろ。私の意見では利用価値はあると言っておく。私は野暮用ができた。後は任せる」


 英美里は後のことを全て仕事仲間に任せ、施設内を出るなり空を飛び、この髪の毛の持ち主のいる場所に急行する。


「間に合って――!」

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