因果応報 2

002


「ん……うぅ……」


 いつの間にか意識がなくなっていた僕は、横になっていた体を起こした。

 何故このような道脇で寝ていたのか、朦朧とした意識の中で思い出していると――


「……お! 起きたか」


 すぐ近くから女性の声が聞こえ、朦朧としていた意識は吹き飛び、一気に覚醒した。

 声がした方に振り向くと、そこには先ほどの女性が、いた。


「そんなに警戒するな。私は君に危害を加える気はない。寝て脳の処理も追いついただろうから、もう私から目を離せないなんてことはないはずだ」


「……?」


 いきなり何を言っているかわからないが、この人が言っていることは正しい。僕はさっきみたいにこの人のことを極端に怖がっていないし、何より、この人に敵意はない。


「そう。それでいい。敵意のない相手にまで敵意を向ける必要はないぞ。その感情は、相手を恐怖させ、必要のない敵を作り出してしまうからな」


 その言葉をそっくりそのままお返ししたい。

 今は感じないが、先ほどのこの人の威圧感は言い表せることができないほどだったのだから。


「……あなたは」


 ――何なんですか? と聞こうとしたが、流石に『何なんですか?』は失礼だと思ったので、『あなたは』だけにとどめておいた。


「私が何者か、か。そういうのはまず自分から名乗るのが筋だろう。他人に何かを求める前にまず自分が何かを差し出しなさい」


 ――なんだろう。このそこはかとない『先生』感は。


「……申し遅れました。僕は源和斗みなもとかずと。源氏の源に、平和の和と北斗の斗で、源和斗です」


「ご丁寧にありがとう。それにしても、『和斗かずと』か。その割にはあまり協調性……というより、社交的ではないように見えるがな」


 ――間違っていないが失礼な。


「……というか、名乗りましたよ。そちらも自己紹介をお願いします」


「ああ。これはすまない。そうだなぁ……。……うん。私は天蠍機英美里てんかつきえみり。天にかがやくさそりの機縁と書いて、天蠍機。英語の英に美しい里で英美里だ。どうか下の名前で呼んでくれ。そちらの方が慣れてる」


「はぁ……。あ、ありがとうございます」


「さて、時間が惜しい。とっとと結界内から離脱するとしよう」


 彼女――英美里さんは僕の横で寝ていた獣の少女と僕をひょいと肩に担ぐ。


「は、――はぁ⁉ ちょ……ちょっと、何するんですか⁉」


「暴れるな馬鹿者。時間が惜しいと言ったろ。いろいろ考えたが、やはり私の家が一番だ。君たちを私の家で匿う」


「話が見えないんですが⁉ 一体どんな理屈でそんなことになったんですか!」


 僕は英美里さんの拘束から抜け出そうとするが、


「……っ! 抜けない……!」


「だから暴れるな! 自分がいまどういう状況に陥っているのか把握もできていないくせに、私の意見に口を出すな! 説明は私の家に着いたらこれでもかっていうほど聞かせてやるから安心しろ」


 ――トンッ。

 僕の背中を英美里さんが叩く。すると僕の意識は徐々に徐々に暗転していった。


 ■■■


「――ハッ!」


 気が付くと、僕はソファの上で横になっていた。


「……ここは」


 とても綺麗な家。掃除も行き届いており、家具も統一感がある。

 まるでモデルハウスのような家だ。


「あら? 起きたようね」


 台所から英美里さんが二人分のコーヒーをもって現れた。

 そう。英美里さんが現れた。のだが……。

 口調も雰囲気もまるで違う人になっている。

 このふわふわした感じは一体どういうことだ? 服装はさっきと何も変わっていない。いや、強いて言うなら、先ほどと違い、髪を一つにまとめていない。しかし、目の前にいるのは間違いなく英美里さんだ。双子の妹とかじゃない。あれは天蠍機英美里だと、僕の特殊能力がそう言っている。

 そんな僕の戸惑いが外に漏れていたのであろう。

 英美里さんは首を傾げた後、「あぁ」と得心のいったような顔になり、手首にはめていた黒いヘアゴムで髪を一つにまとめた。

 すると英美里さんの雰囲気は先ほどのような厳しい教師のようなものに変わった。


「これでいいか?」


 今、僕は英美里さんをすごく怖いと思っている。

 ――二重人格なのだろうか? 髪を一つにまとめるのが人格を切り替えるスイッチ? それだけで人格が変わるものだろうか? でも、この変わりようは二重人格としか言いようが……

 そこで僕は気が付いた。英美里さんの人格は変わっていない。今の英美里さんも、先ほどのふわふわした英美里さんも、全部一緒だと、僕の特殊能力は言っている。


「その通りだ。別に私の中にはもう一人の私がいるわけではない。これはただのマインドセット。……なんというか、優先順位の変更をしているだけさ。ビシッとモードの時は仕事優先……というか妥協をしないようにするモードで、ふわっとモードの時は自分優先……というか全力でリラックスするためのモードだな。メリハリをつけている、というわけだ」


「へぇ……」


 なるほどマインドセットだったのか。それなら僕もよくやる。さすがに口調までは変わらないが、勉強に集中するために、ハチマキをまいたり、着替えたりはよくする。


「……ちなみに、失礼ですが、英美里さんの素ってどっちなんですか?」


「? ふわっとモードに決まってるだろう」


 ■■■


 机に向かい合って座り、僕と英美里さんは今後のことと、なぜ僕が匿われたのか、あのローブの集団は何かを説明してもらうことになった。


「さて、源和斗君。君には、ほとぼりが冷めるまでこの家にいてもらう。外に出ることは許さん。理由は、君の命が危険にさらされているからだ」


「僕の命が……?」


「ああそうだ。順に説明しよう。まず君がローブの男と言っている彼らは、魔術師の傀儡、操り人形だ。当然ながら、彼らのバックには魔術師が存在している」


 いきなり知らないワードが飛んできた。


「――すみません。魔術師って何ですか?」


「魔術師はその名の通り、『魔術』という学問を研究する者だ。魔術のプロフェッショナル、と言っていい。『魔術』は、……そうだなぁ。科学を宇宙の神秘的に再現したもの、いや、ゲームで言うところの魔法と思ってくれていい。『ホイミ』とか『メラ』とか」


 そう言って、英美里さんがパチンと指を鳴らすと、彼女の人差し指にマッチ程度の火力の炎が出現した。


「こういうのが魔術。……いや、これは魔術とは少し別なものなんだが、出力する現象は

 同じものだから例として使わせてもらった。実際に見せないと信じてもらえないと思ったからな」


 英美里さんはまるで僕が魔術を見たことがないかのように話す。


「えっ? 僕もう実際に見てますよ? そういうの」


「へ? ……あぁ、あの人形たちのことか?」


「いや、そうじゃなくて、僕たち一瞬だけ摂氏二〇〇〇度くらいの炎に包まれたじゃないですか。アレを消してくれたのって英美里さんじゃなかったんですか?」


「は? いや知らないぞ、そんなの。私が君たちを認識したのは、魔術を行使しようとしていた人形たちを消炭にした時からだぞ?」


「じゃあ何であの炎は一瞬で消えたんですかね」


「いや知らないよ。そんなこ、と……」


 英美里さんは顎に手を当て、少し考えた。


「あぁ。なるほど……。その和斗君が見たという魔術が消えた原因で、一番大きいのは君の存在と、遠隔操作をしていた人形が行使していたからだろうな」


「僕の存在……ですか?」


「ああ。それが君を匿った最も大きな理由になるのだが……君は、自身の『異能』についてどこまで把握している?」


「いのう?」


「異常才能のことだよ。他人には見たことがない、自分にしかない才能。自分にしかわからない世界。君の場合だと、他人の気持ちや、考えが解ったり。モノの本質が『視える』そう感じたことはないか?」


「――! ……はい。あります」


「やっぱり……。君のそれは、超能力『晴眼』だ」


「せい、がん……?」


「晴眼は千里眼に分類される超能力の一種であり、また最高の千里眼と呼ばれている超能力だ。

 理論上は魂や時の流れ、根源やアカシックレコードへの接続も可能とされている。しかし、こちら側の人間でない限り、晴眼はせいぜい精神の観測や、物事の本質をとらえる程度の能力になるかな」


「僕の……眼が」


「正確には、眼と脳だな。この世のありとあらゆる情報の観測が可能な眼球と、脳がセットで宿ることで晴眼という異能は異能足りうるのさ」


「……つまり、僕がその晴眼っていう特殊能力を持っているから、英美里さんは僕を匿ったってことですか?」


「ああ、そうだ。さっきも言ったが、晴眼というのは理論上ではアカシックレコードへの接続が可能とされている超能力だ。

 そんな大層なものを君は魔術師に『持っている』と示してしまった」


「別に僕、あのローブの人たちに『僕は霊が見えます!』とか『僕は晴眼っていう特殊能力を持っています!』とか言ってませんけど……?」


「君は視ただけで、『相手が今から行使しようとしている魔術は自分を摂氏二〇〇〇度の炎で焼き尽くす魔術』だと看破してしまったんだろう? 結果として魔術は正常に機能しなかった。

 察しの良い、いや、知識がある魔術師なら、『見られただけで魔術が機能しなくなった』と聞けば、間違いなく晴眼を思い浮かべるだろうな」


「? 何で『魔術が正常に機能しなくなる=晴眼に視られた』になるんですか?」


「魔術というのは、謎でなければならないという前提があるんだよ。未知が既知になった時、その未知は意味を失う。

 手品のマジックに例えればわかりやすいかな? 手品にはタネも仕掛けもある。そして、そのタネが謎だから、娯楽として機能している。しかし、タネが暴かれれば、その手品は陳腐化するだろう? 魔術も同じなんだ。魔術が手品に影響されたのか分からないが、魔術というのは、晴眼のような本質を見抜く異能に、これから何をするのか、どのように行われていたのかが判明すると、その魔術は機能しなくなるんだ」


「なるほど……、それで僕が晴眼を持っていると……。つまり相手の魔術師はいるだけで魔術が満足に発動できなくなる僕を……、『殺そうとしている』って、ことですか……?」


「まぁ……そうだな。君を殺そうとしている。しかし、それは『人間として』という意味だ。

 魔術師は魔術を研究しているのはさっきも言ったね。魔術師が魔術を研究しているのは、自らの目的を達成するためなんだ。その研究テーマは様々、魔術師の数だけあると言っていい。例えば、『時を支配したい』『人間をより高度な存在に進化させたい』『神になりたい』とか。そういった目的を達成するために魔術師は日々研究や、鍛錬をしている。しかも、魔術の研究は、何代も、何代も世代を重ねないといけないことが前提になるほど、長い時間がかかる作業だ。しかし、それらには明確な近道が存在する」


「近道、ですか?」


根源アルケー、アカシックレコードだよ。それに接触さえすれば、この世のありとあらゆる情報が手に入る。全知全能の存在になるのさ。そうすれば、魔術の研究は一瞬で終了し、魔術師はその目的を達成することができる。そして、君の晴眼はアカシックレコードへの接続が可能と言われている」


「――!」


「そう。だから魔術師は君を狙っているんだ。正確には、君の眼と、脳だけを、ね」


 英美里さんは喉が渇いたのか、話が一区切りついたのか、コーヒーカップを手に取り、喉を潤す。

 落ち着いている英美里さんとは反対に、僕は『眼と脳』言葉を聞いて、ゾッとするような想像をしてしまった。

 魔術師に捕まり、解剖され、僕の眼球と視神経と脳髄だけが透明な容器の中でプカプカと浮いているような様を。


「うぅ……そんなことにはなりたくないな……」


 そんな死に方は御免だ。いや、死ぬこと自体が御免なのだが。せめて僕が死ぬときは、もっと人間の尊厳が残っている形で死にたい。

 それにしても、英美里さんはとても優しい人だ。見ず知らずの人間である僕を危険から守ってくれるなんて――


「…………ん? ちょっと待ってください英美里さん」


「――ん⁉ ……ど、どうした?」


 コーヒーに口をつけていた英美里さんはカップを置き、僕に続きを促す。


「僕を匿ってくれるのは、僕の命が魔術師に狙われて危険だからですよね。でも実際、英美里さんは僕を見捨てても良かったはずですよね? なぜ英美里さんは僕を匿ってくれるんですか? メリットが何もないじゃないですか。実は英美里さんは魔術師で、僕に『匿う』『安全だよ』って嘘を吐いて、油断したところを殺すのであれば、辻褄は通るんですけど、英美里さんにそんな気はないじゃないですか。だからなおさら、何で英美里さんは僕のことを守ってくれるのか、不思議に思って」


「……それは単純に、信念的な問題だよ。確かに、組織の連中にこれ以上力を持たせないため。という打算もあるし、特異な異能を持つ君に、興味がなかったわけじゃない。でも……それ以上に。自分でも採算が合ってないとおもんだが……」


 英美里さんは僕から少し顔をそらし、頬をポリポリとかく。


「単に……見捨てたら、夢見が悪いかなって……ハハハ」


「…………⁉」


 驚いた。この人は本心から言っている。本心から、『夢見が悪い』ただそれだけの理由で僕を助けたと、この人は言っているんだ。


「強いなぁ……」


 ふとそんな言葉が僕の口からこぼれる。

 視線が下がり、テーブルの上に置かれたコーヒーが目に入る。そういえば二人分用意してくれていたなと思い、せっかく用意してくれたのだから、僕もコーヒーを頂こうと思った。そのとき――

 ドンっ!

 と、なにかが落ちる鈍い音が天井から聞こえた。


「――熱ッ‼」


 その音に、驚き、僕は足にコーヒーをこぼしてしまった。


「な、何ですか⁉ 今の……」


「彼女も起きたか……。付いてこい。ほとぼりが冷めるまでの、君の同居人だ」


 階段を上がってすぐの部屋のドアを英美里さんが開けると、バッ! とふかふかの何かが僕に飛びついてきた。


『無事で良かった!』


 そんな意味合いの言葉が、脳に響く。

 しかし、耳から聞こえるのは「ゴロゴロ」と喉を鳴らす音。


「君も、無事でよかった」 


 正直、彼女や同居人という言葉で察しはついていた。

 僕はその形や毛並みから頭をなでてしまいそうになっていた手を止め、獣の少女に、そう答えた。

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