廃棄生命 3

003


「ただいまー……」 


 夜七時半。僕がソファーに座ってテレビをみていると、師匠が肩を落とした様子で、帰ってきた。


「おかえりなさい。どうしました? そんなに肩を落として」


 師匠は僕の質問に、自虐的な笑みを浮かべ目をそらす。


「笑ってくれていいよ。呪いの退治はおろか、発見すら出来なかったんだからな。やはり、どうも私は索敵が苦手らしい」


 師匠はヘアゴムを取り、崩れるように僕の隣に座りこんだ。


「っていうか聞いてよ和斗くん。私、呪われていたのはあのレストランだけだと思ってたんだけど、なんか町全体に呪いが広がっててさぁ……。飲食店はおろか、一般住宅にも広がってたのよ。明らかにおかしいわアレ。土地自体が呪われてるとしか思えないわ」


 リラックスモードに変身した英美里さんは、仕事を完遂できなかった愚痴を喋る。


「英美里さん。その話なんですけど」


「え? 何?」


「その呪いについて、発見というか、何というか……」


 僕は先ほどファストフード店で起きたことを、事細かに英美里さんに説明した。


「つまり呪いは、この街にまで侵食してきて、その呪いは個人に対して影響を及ぼすタイプってこと? でも確かに、そうすれば辻褄は合うのか……。というかあなた、晴眼を解放したの⁉」


「……はい。でも、晴眼じゃないとたぶん捉えられなかったというか……。あの時はそれだけ切羽詰まっていたというか……」


 英美里さんの心配に、僕は目をそらしながら言い訳をする。


「まぁ、確かにあなたが祓った呪いは、晴眼、高度な探知を使わなければ観測出来なかった対象なのは、私が身に染みて分かっているわ。でも……、やっぱりいただけないわ。あなた、私の忠告を覚えているんでしょうね?」


「――それはもちろんです。晴眼で視てしまうと、様々な情報を取得、処理、蓄積してしまうから、精神に多大な影響が出てしまうんですよね」


「うん、その通り。分かっているならそれでいいんだけどさ」


 晴眼。

 僕が持つ特異な能力であり、僕が英美里さんのお世話になっている理由でもある。

 何故ここまで英美里さんが僕の晴眼の使用についてうるさいのかというと、この前の冬の一件の後、僕が精神不調のような感じになってしまったからだ。

 それ以来、英美里さんは魔術の修行を一時中断し、僕たちはこの眼のオンオフを自由にできるようにするための特訓を始めた。結果として三ヶ月ほどかかった特訓のおかげで、僕は視なくてもいいものを視ずに済んでいる。


「というか、今思ったんですけど、っというかずっと思ってたんですけど、この三ヶ月の特訓って魔術の修行より先にやらないといけないことだったんじゃないんですか? 英美里さんの晴眼の説明を聞いている限り、下手したら廃人化、というか死にますよ?」


「いや、当初は本当に必要なかったのよ。必要になってしまった原因は、たぶん私」


「英美里さんが、ですか?」


「ええ。これまでの人生。すなわちあなたの一八年間の中、精神の読み取りであなたが精神的に不調になったことはなかったんでしょう? ならそれは、つい最近になって感受性が高くなった、高くなってしまったということ」


「あぁ……。なるほど。魔力探知の修行のせいって言いたいんですね」


「いや……、まぁそれもあると思うけど、これは単に、君が人と、他人と関わりが増え始めたことが原因なんじゃないかなって」


「……? どういうことですか?」


「あなたの眼の特性上、あなたは様々な情報を、視認という解像度の高い形で受信できる。あなたが一番よく理解していると思うけど、あなたの視点はデフォルトで精神の次元にまで到達している。それも生まれつき。この一八年間、あなたはあらゆるものを見て育ってきたはず。この世界の情報はおろか、霊のような精神情報体から、人のホンネまで」


「…………」


 なるほど。英美里さんの言いたいことがなんとなく分かってきた。


「あなたは意図して、いや、無意識的に人と接することを避けてきて生きてきたんじゃないかなって」


 そうだ。僕は他人と関わることを避けてきた。

 怖かったから。

 人の本音が見えることがじゃない。本音が見えることを、知られてしまうのが。


「あなたにどのような景色が見えていたのか、私には分からない。でも推測はできる。常に建前と本音が同時に聞こえている世界。想像しただけで嫌気がさす。あなたはそれから逃れるために、自らの精神を……、いや、やめましょう。デリカシーがなかった。何より、この話題は本題からかなり離れている」


 英美里さんは僕の顔をちらりと見た瞬間、話を切り上げた。

 僕の顔は、どのような顔していたのだろう。

 英美里さんは自分を責めるような顔で俯き、自戒するような表情で頭を掻いていた。

 今、英美里さんが何を考えているのか、僕には分かる。この眼を使う必要はない。使う意味がないから。

 英美里さんには裏表がない。声と心に差がない。

 解る必要なんてない。僕は知っているから。

英美里さんの気持ちが、分かるのだから。


■■■


「話を戻しましょう」


 英美里さんは咳払いをして場の空気を整えた。


「呪いはこの付近でも出現した。今回の呪いは複数居ると考えた方が良い」


「複数ですか?」


「ええ。発見は出来なかったけど、あのレストランでも未だに食わず逃げを引き起こす、いや、食欲を失わせる呪いが発生していた。だったら複数居ると判断した方が妥当でしょう?」


 確かに、ほぼ同時刻に違う場所で呪いが存在していたのだ。それは呪いが一つだけではないということの証明になるだろう。しかし――


「でも、その呪いの効果範囲が広いという可能性はないですか?」


「あなたに取り憑いた呪いは、あなた以外にも呪っていた……、あなた以外にも食欲を失わせていたの?」


「……いえ、奴は僕だけに……。あ、そっか」


「なら呪いの効果範囲は一人分ということよ」


「でも、食わず逃げ事件って町全体で起こってるんですよね。だったら町にいる全員が呪われてるってことですか? それだけの数なら、呪いを送っている人もかなりの数になると思いますけど……」


 僕の疑問に、師匠は顎に手を当て、「う〜ん」と唸った。

 ひとしきり悩んだ後、「……あ」と何かに気がついたように、目を見開いた。


「どうしました?」


「ごめん。和斗くん。力を貸して。私の考えが正しいのだとしたら、私だけの力じゃ元凶を見つけられない」


『信じられない』というような目をしながら、英美里さんは申し訳なさそうに眉間に皺を寄せた顔を僕に向けた。

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