存在証明 4
004
「師匠は昨日、生霊について説明してくれましたよね」
「ああ。君が生霊を生きている、実体がある霊だと勘違いしてると思ったからね」
「はい。でもあの時会った少女は、やっぱり生霊だったんですよ」
「待て待て……。いや、まずは君の話を聞いてからだな。何故そう思う?」
「その前に、ひとつ質問しても良いですか?」
師匠は静かに首肯してくれた。
「ありがとうございます。師匠は昨日、生霊は生きている人の妬みや嫉みといった強い負の感情が他者を害することが出来るレベルにまで昇華された呪いや念が、精神情報体となって現世に顕現するとおっしゃっていたじゃないですか。そこで疑問に思って……、生霊って絶対に負の感情でしか顕現出来ないんですか?」
師匠は顎に手を当て少し考えてから喋り始めた。
「いや、生霊に限らず、霊が顕現するのに必要な感情の種類に、『負の感情』という制限はないはずだ。
霊、というのは元来、スピリチュアル的なものを指すときに使われた言葉だ。霊は直訳するとghost《ゴースト》ではなく、spirit《スピリット》になるからな。
このスピリチュアル的なものとは、神などの神聖なものも含まれている。守護霊って聞いたことあるだろう? あれは日本では氏神とされていてな、諸説あるが、氏神とは氏の祖先を神格化し祀ったものなんだ。つまりご先祖さま、ってことだな。
守護霊は、他を呪うためではなく、自らに連なる者を護るという目的で精神情報体として現世に顕現している。このことから、霊体や精神情報体が、現世に顕現するためには強い感情が必要だが、その感情の種類は関係がない、というのが古来からある我々の通例だ」
「…………細かい解説ありがとうこございます」
これが仲間内からうんちく魔女と呼ばれる所以なんだろうなぁ。
と、そんなことを思いながらも、僕は話を続ける。
「僕は彼女が、助けて欲しい。という強い感情で、あの精神情報体を形作ったと考えています。だからあの時、僕の眼にはあの娘から負の感情というものが視えなかったと思うんです。そして、そういう想いだったからこそ、あの時僕に殺害現場であるあの小屋を指さしたのではないかと思います」
「なるほどね。救済という強い感情からなる精神情報体か……。揚げ足を取るようで悪いが、だったら死霊でも成り立つんじゃないのか? 何故君はよりにもよって、『生霊』という結論に行き着いたんだ?」
「それは、僕の上着を羽織らせることが出来たことが理由なんだと思います」
言って、僕は、僕の詰めの甘さに、恥を感じ、俯き気味に答えてしまう。
「どういうことだ?」
僕は努めて平静を装い、師匠の質問に答える。
「師匠なら知っているはずです。死んでいるか生きているか分からない対象を、観測した瞬間に事象が収縮するという、量子力学の思考実験を」
「? シュレーディンガーの猫か?」
僕は左眼を押さえる。
思い返せば思い返すほど、心が罪悪感で揺れる。
「その通りです。恐らく、この現象が発生した原因は、僕の眼があの娘を観測してしまったからなんだと思います。恐らくあの時、あの娘は生きているか死んでいるか曖昧な状態だった。そして、あの娘と強い結びつきがある、あの娘の生霊を観測した結果。僕の眼はそれを生きている、と結論づけました。多分それが、あの生霊に実体を与えた原因なんだと思います」
「待て待て、それはおかしい。晴眼は魔眼のように視た対象に何らかの影響を与えるものじゃない。晴眼は、視て、ただ認識し、ただ理解するだけの異能だ。人類が社会生活で不要だと切り捨てた、本来の人間の性能的に、持っていて然るべき能力が、現代でただ開花してしまった先祖返りのようなものだ。
仮にもし、君の思っている通りの現象が起きたのだとしたら、それは視た対象の存在強度の引き上げに他ならない現象だ。生霊の存在を現実に証明しているようなものだ。
そんなことはありえない。ミクロな観測が、マクロな世界へ影響を及ぼすことはありえないんだよ――」
「――でも! 生きているか死んでいるか曖昧な状態だったのは変わらないはずです!」
「――ッ!」
突然の大声に、師匠はしゃべる口を止める。
「……何故そう思うんだ」
師匠の表情が険しいものへ変わる。
僕は悔しさから歯を食いしばる。たくさん後悔したはずなのに。たくさん家で自己嫌悪して、冷静に話そうと思ったのに。
しかし、僕の両眼から、熱いものが溢れ出してしまった。
「僕の眼は、血の酸化状態から、大体どのくらい前に殺害があったのか分かります……。あの小屋で見つけた血痕は、僕があの道を通った前後に付着したものだと分かったんです……! つまり、生霊の存在証明が本当にあろうとなかろうと、あの時、あの娘は、その誘拐犯に、あの小屋で、陵辱されていた真っ最中だったんです……! あの娘は、生霊を顕現させるほど辛い目に合って、なおかつ、助けを求めていたんです! それも、他でもないこの僕に! 彼女を見つけた、……この、僕に。もしもあの時……、あの娘の願いを理解していれば! あの小屋に殴り込みに行けば……、あの娘を! 兵藤葵さんを救えたのにッ‼︎」
師匠は、ドンと机に手をつき、勢いよく立ち上がった。
「――思い上がるな。馬鹿者が!」
師匠は、怒ったように、でも、涙を少し貯めた目で、僕を睨む。
「君の話では、兵藤葵の生霊は、小屋を指さして消えたんだろう? ならその時点で、彼女から生霊への念は途絶えた。つまり『死んだ』ということだ!
どのみち君には彼女を助けることは出来やしなかったんだよ! あとな、その小屋に行ってどうするんだ? 君は何をするんだ⁉ 行ったところで、君は興奮状態の猟奇的殺人鬼と鉢合わせることになるんだぞ⁉︎
それだけじゃない。君の話を聞く限り、水曜日には新しめだった小屋が、昨日見た時には腐って今にも倒壊しそうだったんだろう? それは明らかな異常だ。現実的じゃない。現実的じゃあないということは、そこには通常の法則で機能していない何かが絡んでいる。
十中八九、魔術か超能力で製作されたモノだろう。いいや、魔術師とか超能力者とか関係ない。連続猟奇的殺人鬼という現実の法則が通用しない異常者に対して、魔術を満足に習得できていない君に一体何が出来るというんだ⁉︎
いいか? 超能力者と言っても、異常者と言っても、君が所持しているのはその特異な眼球と、そこから受け取った情報を処理することが出来る脳だけだ! つまり君は、理解能力が高いだけの一般人と変わらないんだよ! そんな君が異常者と対峙したとしても、新しい死体を積み上げるだけだ。
――いいか? もう一度言うぞ? 思い上がるな。その眼は、君を危機に陥らせるための道具じゃない。誰かを救ったり、守ったりするものじゃない。君を守るためにあるものなんだ!」
師匠の責めるような口調が、憐れむようなものに変わる。
「……君が責任を感じる必要なんてないんだ。君が取った行動は正しかった。君の想像する状況が本当なら。それは誰にも、どうすることも出来なかったことだったんだから」
その、厳しくも、優しい言葉に、悲しくなったのか、嬉しくなったのか、悔しくなったのか、それとも安堵しているのかは分からない。もしかしたらそれら全てを感じたのだろうか。
それを聞いた瞬間、僕の涙腺は決壊し、師匠から見れば、僕の顔は涙と鼻水でグチャグチャになっていただろう。
師匠は、そんな僕を抱き寄せ、背中をさすってくれた。
「君は、関わった人間全てを幸せにしたいと思っているからそうなるんだ。自分を信じてくれた人間すべてを裏切りたくないと思うからそうなるんだ。
別にそれは悪いことじゃない。その考えや心持ちは、とても尊いものだよ。でもね。人には背負いきれる限界が決まってるんだ。後で手を広げてみるといい。君の手が届くのは、その範囲だけなんだ。兵藤葵は、君の手の範囲には収まらなかった。ただ、それだけのことなんだよ。
それでも、知ってしまったことに、助けられなかったことに責任を感じるなら、せめて覚えていてあげよう。兵藤葵という、理不尽に巻き込まれてしまった少女を。
生者には死者を忘れず、悼むことしか、出来ないんだからな」
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