第7話


「……いや、プロポーズはまた別でちゃんとするが」

「え、今のがプロポーズじゃないならどういう……」

「人の話は最後まで聞け」


 前にも同じように怒られたことがあるな、と思いつつ鈴はその口を閉じた。

 仕切り直しだと言うように咳払いをした織之助が、鈴をまっすぐに見る。


「信吉殿がおまえを狙ってるからとか、また同じようなことが起こったらとか、そんな理由じゃなく」


 長い指が目元に触れた。

 その熱さに息を呑む。


「俺が、鈴と結婚したいんだ」


 細められた瞳が優しくて、心臓がぎゅんと跳ねた。


「――そ、ずる、ずるくないですかそれ……!」

「ずるくない。……鈴」


 甘い声が鼓膜を震わせる。

 名前を呼ぶその声に弱いのをわかってやっているんだから、やっぱり、ずるい。


「それ……! それがずるいです!」


 熱い頬を誤魔化すように叫べば、織之助は困ったように眉を下げた。


「……俺はおまえより十も歳が上だから不安なんだ。試すようなことばかりしたくなる」


 目元に触れていた親指がゆっくり肌を撫でる。

 眼前で揺れる瞳はたしかに不安を訴えているけれど。


「そんなの……私だって不安ですよ。織之助さんモテるし、女遊び激しい時期あったし……」


 もごもごと口ごもった鈴に、織之助が顔を顰めた。


「……いつの話だそれ」


 モテるというのは現在進行形な自覚があるだろうから置いておく。


(女遊びが激しかった時期、は)


「私が知っているのは前世での話ですけど……、今世も遊んでないわけじゃなさそう、というか」


 だっていろいろ手慣れてたし。

 じとっとした視線を向けると、織之助は眉を寄せたままため息混じりに吐き出した。


「あのな」


 優しく触れていた指が鈴の両頬を摘んで引っ張る。

 

「前世でも今世でも、俺の初恋は鈴だよ」

「え」


 言葉と共にぶつけられた唇に声を封じられた。

 ぽかんとした鈴は、目を丸くして固まっている。

 掠めた熱を把握するよりも、告げられた言葉の意味を噛み砕くのに必死だった。

 ――初恋?

 今世はともかく、前世も?

 あんなに女の人取っ替え引っ替えしてた時期があったにも関わらず?


「……信頼できないなら、士郎にでも訊いてくれ」


 不本意だというように言い吐いて、織之助は鈴の肩に顎を乗せた。

 拗ねてるみたいなその態度が少しくすぐったい。


「織之助さん」

「……なんだ」


 やっぱりなぜかちょっと不貞腐れてる。

 さらさらの髪を梳かすようにして撫でると、織之助は腰に回した手に力を入れた。


「私の初恋も、織之助さんです」

「知ってる」

「ええ……」


 照れも謙遜もない即答にこっちが変な反応をしてしまった。

 そんな、本人が即座に言い切るほどわかりやすかったんだろうか。

 いったい前世と今世含めてどれだけの人にバレてたのか。考えると恥ずかしくなって会社に行けなそうなので慌てて思考を断つ。


「――で、どうなんだ」


 肩から顔を離した織之助が窺うように鈴の顔を覗いた。


「え? あ、初恋なのはとっても嬉しいけど、今世でも遊んでた時期があったっていうのは否定されなかっ」

「鈴」


 咎める声に口を噤む。

 熱のこもった瞳に見つめられ、織之助が求めてる答えにようやく気づいた。

 

「……言ったじゃないですか」


 絡んだ視線が熱くて溶けそうだ。心臓はずっとうるさいし、喉の奥もなんだか苦しい。


「織之助さん以外の人は考えられないって」


 ほかの人との恋愛なんて想像もつかない。

 この先も一緒にいたいと思う人なんて一人しかいない。


「……大好きです。私と結婚してください」


 緊張の滲んだ告白に、織之助が目尻を緩める。

 赤くなった鈴の頬を親指でなぞって、ゆっくり口を開いた。


「俺も鈴以外は考えられない」


 甘く囁いた唇がまたぴったり重なる。

 二度三度と啄んで、織之助はぎらりと瞳を光らせた。


「もう絶対逃がさない。おまえだけだ、鈴」


 そうして再び貪るようなキスが落ちてくる。

 息継ぎの隙さえ与えてくれないような深くて熱の入ったキスに、思考も体も溺れていく。

 

(織之助さんて……)


 恋人になってからずっと思ってたけど。


「キス、好きですね」

「……いいだろう別に」


 言いつつまた唇が塞がれた。

 やわらかくて熱くて、――もっと欲しくなる。


「いいです。……私も、織之助さんとキスするの好き……」


 自ら唇を寄せて、その激しさに応える。

 織之助が喉を鳴らして「馬鹿」と低く唸った。


「煽るな、酷くしそうになる」


 らんらんと獲物を狙う獣のような視線が鈴に注がれる。


(今までも結構好き勝手されてた気がするけど……)


 それでも手加減してくれていたんだろうか。

 だったら、もっと全部見たい。

 ワガママになっていいのは自分だけじゃないはずだ。

 織之助だって前世からずっといろいろ我慢していたに違いないのだから。


「織之助さんになら何されても――」


 言いかけた言葉がまた食われた。

 耳を塞ぎたくなるような水音が耳いっぱいに響く。

 さっきの比じゃないほど荒々しいキスに息ができない。

 

「……鈴が悪い」


 銀糸を引いて離れた唇がそう吐き捨てたのと、抵抗する間もなく抱き上げられたのはほとんど同時だった。

 その足が向かう先は、もう知っている。



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