2.
士郎が織之助に忠告をしてから数日、普段よりも気にして鈴のことを見ていたことで、気づいたことがある。
それは、思っていたより鈴吉の交友関係が広いということだ。
行く先行く先で声をかけられ笑顔でそれに対応する姿は、鈴吉が皆に受け入れられている証拠である。
(知らなかったな)
織之助は半ば本気で感心していた。
ずっと鈴吉は自分の庇護下で生きていると決めつけていた。勝手に鈴吉が頼れるのは自分と――士郎、正成くらいだと思い込んでいた。
いや。
(考えないようにしていただけだ)
日に日に手から離れていく鈴吉を、気づかないふりでやり過ごしていたのは間違いなく自分である。
鈴吉が城内でも信頼されていることはとっくにわかっていたはずだ。
自分なしでも生きていけるほど強くなっていることも。
(……過保護だと言われるわけだな)
ようやく気づいて思わず苦笑いがこぼれた。
なんとなく拾った責任からつい特別面倒を見てしまっていたが、それを改めるいい機会なのかもしれない。
鈴吉の世界はとっくに広がっていて、いまさら織之助がいなくなったところで大きな影響はないだろう。
それくらい、鈴吉は皆に愛されていた。
「織之助さま、夕餉の支度ができました」
「ん……ありがとう」
執務中だけでなく、こうして屋敷に帰っても鈴吉は献身的に織之助の世話を焼いてくれる。
いつのまにかそれが普通になっていた。
けれど、どうだろう。そろそろ鈴吉をここから解放してやるのも鈴吉のためなんじゃないか。――そう考えて肋骨あたりが引き攣った。
その小さな違和感が織之助の心に少しばかりの染みを作る。
「織之助さま?」
「ああいや……、行くか」
まだほんの少しささくれたままの気持ちで、織之助は静かに腰を上げた。
◇ ◇ ◇ ◇
それは、鈴吉に必要な書を持ってきてくれと頼んだことが発端だった。
なんてことない、いつもの頼み事を鈴吉は二つ返事で頷き、執務室から出て行ったのが四半刻ほど前である。
普段であれば遅くてもそろそろ帰ってきている時間だ。
たしかに今回頼んだ書の数は多かったが――、不意に織之助の胸中を不安が掠めた。
(……まさかな)
まだ陽の高い真っ昼間、それも城内だ。
士郎が前に言っていたような心配事が起こるとは到底思えない。思えない、のだが。
(頼みすぎた手前、手伝うか)
ちょうど一区切りついた織之助は筆を置き、伸びをするように立ち上がった。
そのまま執務室を後にして鈴が向かったであろう書室へと向かう。
そう遠くない距離にある書室にはすぐに辿りついたのだが、なにやら中が騒がしい。
狭い書室でいったい何を、と織之助が首を傾げた瞬間。がたりと大きな音が鳴ったのが聞こえ、慌てて襖を開けた。
「!」
目の前の光景に絶句。
一人は鈴吉を羽交い締めにし、一人は鈴吉の口を手で塞ぎ、もう一人はその袴の裾を捲り上げようとしているところだった。
白い脚が裾から覗いている。
それを目にした瞬間、腹の底から沸騰したように熱いなにかが迫り上がってきた。
「……なにを」
思わず鯉口を切って三人を睨みつける。
いますぐにでも斬り捨ててやりたい気持ちはすんでのところで抑えつけた。
城内での私闘は御法度。ましてや書室を血で汚すなどあってはならない。
これが――たとえば往来であったなら即座に刀を抜いていただろう。それくらい腹立たしい光景だった。
「たっ橘殿!」
「これは……!」
鋭い眼光に射抜かれた男たちが慌てて鈴吉を解放し、わたわたと立ち上がる。
自由の身になった鈴吉は床にへたりこんだままだ。その表情はちょうど影で見えない。
「鈴吉が! そう、鈴吉がどうしてもと!」
男の一人が叫び、そうだそうだとほかの二人が頷く。
「……そうか」
やけに静かな低い声を男たちはどう受け取ったのか。「そうなんです」「鈴吉が」と口々に言い訳を重ねては、織之助を窺う。
その不愉快な様子を低い声が遮った。
「ここをどこだと思っている」
「それは……」
「城内での姦淫……それも私の小姓を相手に」
いっそう強く睨みつけると圧倒された男たちが無意識に一歩後ずさる。
「ただで済むと思うな」
氷のような冷たい宣告に、男たちがひぃっと喉を引き攣らせた。
三人の名前はわかる。以前士郎が言っていた三人と合致している。
(……くそ、もっと気をつけるべきだった)
わかっていたのだから防ぐことはできたはずだ。
織之助は奥歯を噛み締め、それから三人に向かって目を吊り上げた。
「処分が下されるまで部屋でおとなしくしていろ。逃げればより処罰が重くなると思え」
せまい書室にその低く重たい声はよく響いた。
行け、と続けて命じれば、織之助の威圧感に負けておぼつかなくなった足取りで三人の男が出ていく。
書室には自然、織之助と鈴吉の二人だけになった。
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