第9話
「おはよー……って、なんだ織之助……怖……」
「は?」
月曜日、意気揚々と役員室に入った士郎はすでに席に座って仕事をしている織之助を見て顔をしかめた。
「なんか妙に楽しそう? 嬉しそう? っていうか機嫌がいい……?」
士郎がなにか訝しむように織之助を見つつ距離を縮める。
織之助としては普段どおり仕事をしているだけだが、士郎は時折本人も気づいていないようなことに気づく勘の良さがある。
――思い当たる節がないわけじゃない。
だから反応が一拍遅れた。
「……そんなことはない」
「ウソだな。どう考えてもいつもよりテンションが高い」
言い切った士郎に織之助が押し黙る。
その織之助の心境を読み解こうと士郎がすぐそばまで来て様子を窺った。
あまりにじろじろ見てくるものだから、気が散る、と一蹴してやろうと顔を上げたところで再び役員室のドアが開いた。
「二人して何してるんだ?」
「おっ、正成ちょうどいいところに!」
入ってきたのは正成で、挨拶もしないうちに士郎が手招いて織之助のそばに呼んだ。
「なんなんだ」
言いつつ付き合いのいい正成が士郎と並ぶ。
「織之助いつもより機嫌いいよな?」
「は?」
唐突な問いかけに正成は目を眇めた。
すかさず織之助が声を挟む。
「社長、無視してください」
「織は黙ってろって」
「おまえが黙っていろ、士郎」
程度の低い応酬を繰り広げながら互いに睨み合っていると、正成が噛み殺したように笑った。
「ああ、たしかに楽しそうだな」
「ほらな!」
勝ったとばかりに士郎が手を叩く。
正成にまで言われてしまうと、もう否定する気にはなれない。
織之助は苦い顔をしてパソコンに視線を落とした。
「本当になんでもないので放っておいてください」
「その言い方絶対なんかあったヤツ!」
「うるさい、おまえは仕事しろ」
噛みつき合う二人に、一番年下である正成が冷静に口を挟んだ。
「鈴と暮らし始めたからだろ」
「は?」
きょとんとしたのは士郎である。
織之助はいっそう眉間の皺を深くして口を噤んだ。
「日曜……いや、パーティーの後連れ込んだだろうから土曜からか」
「はあー⁉︎」
きっちり言い当てられ、唇を引き締める。
士郎の目がみるみるうちに見開かれた。
「聞いてねえんだけど!」
「言ってないからな」
ごねる士郎が織之助の肩を掴んで揺らした。
その手をさっと払うが、士郎はまだ納得いっていないらしく口を尖らせている。
「俺だけ除け者にすんなよ」
「おまえは余計なことを言うからだ」
「言わないって。ていうか同棲ってなに? 結婚すんのか?」
言ったそばから余計なことを口にした士郎にほとほと呆れる。
ため息を堪えつつ、織之助は身に入らない仕事をやめてノートパソコンを閉じた。
――結婚を意識していないとは言わない。
前世では結局嫁を迎えることなく生涯を終えた。
それは士郎も正成もよく知っているし、その理由もおおよそ見当ついているだろう。
結婚するなら相手は一人しか考えられない、が――
「そこで黙るのかよ……」
答えない織之助に士郎が大きく息を吐いて天を仰いだ。
「どう考えても両想いなんだからさ、おまえからさっさと告って付き合って結婚!」
視線を戻した士郎に大袈裟に肩を叩かれ、織之助が顔をしかめる。
「意味がないだろう」
「はあ?」
重たい口を開いた織之助の言葉に士郎がまた素っ頓狂な声を漏らした。
堪えきれなかったため息が口からこぼれる。
「……鈴は俺に甘い」
「のろけか?」
首を傾げた士郎は半分からかい口調だったが、対する織之助は至極真面目な顔をしていた。
「前世での関係に引きずられて、鈴は俺に甘い」
甘いというより、逆らう気がないと言ったほうが正しいかもしれない。
嫌なことは嫌だと口にするが、最終的には織之助のお願いを断りきれず絆されている鈴だ。
(それに付け込んでいるのは間違いなく俺だが……)
外堀は埋めるとしても、最後の一線は自分ではなく鈴から越えてほしい。
でないと、どうしたって強要した感が拭えない。
「だから鈴から言ってもらわないと意味がない」
「そう……か……?」
言い切った織之助に士郎が頭を捻らせつつゆっくり首を縦に振る。
その表情は、納得したというよりかは判断しかねているようだった。
「拗らせてるな」
バッサリ切り捨てたのは正成である。
織之助は何か言いたげに口を開いたが、さすがに正成には反抗できなかった。
押し黙った織之助にこれ幸いと士郎が割り込む。
「いやでも頑なに認めなかった恋心を認めてるだけ進歩だな!」
「うるさい」
「なんで俺だけ!」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ士郎を織之助が押さえつけていると、騒がしい役員室に扉をノックする音が響いた。
「入れ」
「失礼します」
正成が出した許可に応じて開かれたドアの先、部屋に入ってきたのは今話題に上がっていた人物である。
思わず三人揃ってじっとその顔を見た。
「社長……、ってなんですか三人して」
用件を告げようとしたところで、無遠慮に向けられた視線に気づいた鈴が首を傾かせる。
「副社長と専務は……プロレスでもしてるんですか?」
「まあそんなところだな」
スーツを着たいい大人が男子高校生のように戯れるのを視界に入れた鈴の眉間に皺が寄った。
それを一歩引いて見ていた正成が笑いを忍ばせつつ頷く。
自分たちより五つ年下の正成と十も年下の鈴に言われ、織之助と士郎は気まずく顔を見合わせた。
その気まずさを振り切って先に声を出したのは織之助である。
「……社長に用があるなら」
「鈴! おまえ~、織之助と暮らし始めたなら言えって」
「士郎、言葉を遮るな」
押さえつける織之助の手をどけつつ士郎がスタスタと鈴に近づいた。
「士郎さん全然会わなかったので言うタイミングがなかっただけですよ」
「……たしかに」
鈴の言葉に納得したらしい士郎は頷いて、それからニッと人好きのする笑顔を浮かべた。
「しっかし、鈴も大変だなあ。悪い男に捕まって」
「え?」
「士郎」
諌める口調で織之助が嘴を入れる。
しかしそんなことで怖気付く士郎ではない。織之助の声など聞こえていないかのように鈴の肩を叩いた。
「いつでも相談乗るから言えよー?」
「ありがとうございます……?」
なんのことだかさっぱりわからないという顔で鈴が首を傾げた。
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