第7話




「ごちそうさまでした……!」

「ああ」

「ほんと、ほっぺた落ちちゃうくらい美味しかったです!」

「それはよかった」


 お会計で一悶着あったが、「新人に財布出してもらうほど薄給じゃない」と言われて大人しく甘えた。

 兎にも角にも。


「今まで食べたハヤシライスの中でダントツの一番です」

「相変わらず鈴は食わせがいがあるな」


 小さく笑った織之助が歩き出す。

 ちょっと早足で追いかけて隣に並ぶと、柔らかい視線が鈴を見た。

 

「ドレスより先に生活に必要なものを買いに行くか」

「えっ」


 驚いて思わず声が漏れる。

 あれはてっきりその場をやり過ごすために適当に言ったことかと思っていた。


「あの、いいです。必要なものは持っていきますし、足りないものは今度買っておくので」

「遠慮するな」

「してません……」


 ぽんぽんと頭を軽く叩かれて自然と視線が下がる。

 その手をやんわり払いながら、織之助の顔を見た。


「自分の服とか生活に必要なものは家にありますから、それを持っていきます」


 無駄な出費はしたくないし、させたくない。

 そういった意味も込めて真剣に伝える。

 すると織之助はちょっと考えてから、決心したように口を開いた。


「……何もないんだ」

「え?」


 聞き返すと織之助が気まずそうにちょっと口篭らせてから答える。


「最低限の家具と仕事道具くらいしかない」

「……つまり?」

「……」


 いくら待っても織之助からの返答はない。

 ――最低限の家具と仕事道具って?

 首を傾げ、ふと前世の織之助の部屋と生活ぶりを思い出した。


「まさか」


 窺うように織之助に視線を向けると、わざとらしく逸らされる。

 それで鈴は確信した。


「織之助さま、一度お部屋を見せていただけますか」


 にっこりと笑顔を貼り付けた鈴に、今回は織之助が白旗をあげる番だった。





     ◇ ◇ ◇ ◇




 もともとの待ち合わせ場所が会社から二駅のところだったため、それほど時間をかけずに織之助が住んでいるマンションにたどりついた。

 都心の一等地にそびえたつ高層マンションに鈴はエントランスで目眩がしかけたが、なんとか踏ん張って上層階にある織之助の部屋へ足を踏み入れ――


「なっ」


 唖然とした。

 隣で織之助が明後日のほうを向いている。


「なにもない……」


 広々としたリビングには立派なソファとテレビがある。ダイニングキッチンには大きな冷蔵庫とダイニングテーブル。

 そのテーブルにはなるほど書類とノートパソコンが散在していた。

 これだけ見れば、普通の家だが――


「失礼します!」

「おい、鈴」


 制止の声を振り切ってキッチンへ。

 勢いのまま冷蔵庫と戸棚を開け――やっぱり!


「なにもない……!」


 独身にしては大きすぎる冷蔵庫に入っているのはビール数缶のみ。

 戸棚には調理器具どころか食器の姿などなく、モデルルームでももう少し何か入っているような有様だった。


「織之助さま……、まさかここ引っ越してきたばかりではないですよね?」

「どうだったかな……」

「答えてください! 織之助さまの部屋がこんなに片付いてるわけがないんです!」

「それはちょっと乱暴すぎないか」

「いいえ! あれだけ私が片付けの仕方を教えても散らかりっぱなしだったのは誰のお部屋ですか!」


 鈴の剣幕に織之助は負けたらしい。きまり悪く視線を逸らしながら、観念したようにゆっくりと口を動かした。


「……今の役職に就いてからはここに住んでいる」

「ということは一年以上は暮らしているはずですよね?」

「そうなるな」


 他人事のようにさらっと言ってのけた織之助に、鈴が目を剥いた。


「なのになんでこんなに荷物がないんです? ちゃんと家に帰ってますか? 仕事があるからと言って自分を疎かにしているんじゃないんでしょうか!」

「ハハ」

「笑い事じゃありません!」


 ――前世では部屋という部屋を散らかしていた織之助である。

 城の執務室はいつも書簡が溢れて足の踏み場がなかったし、屋敷の私室は書物やら書き散らしたゴミやら脱いだ衣類やらでいっぱいだった。

 その織之助の部屋を何度掃除して、何度片づけの指南をして、何度落胆したことか。


(そんな織之助さまの部屋が綺麗ってことはつまり、帰宅してないってことだ)


 ハウスキーパーを頼んでいる説もあるが、生活を感じさせない冷蔵庫と戸棚の中身が全てを物語っている。


 たしかにスケジュールはぎっちり詰まっていた。

 前世での織之助の社畜っぷりを思えば、今世でも寝る間も惜しんで仕事に明け暮れていることは手に取るようにわかる。


「ごはん、食べてます?」


 調理器具も食材もなにもない――そもそも織之助が料理できないのはよく知っている――そんな織之助の食生活が気になって訊けば、織之助は「まあ……」と煮え切らない返事をした。


「まあ?」

「頻繁に会食もあるし、ちゃんと食べてるよ」

「お休みの日はどうしてるんですか」


 詰めると織之助は一瞬言葉を探して、それからわざとさらりと答えた。


「手軽なものを食べてる」

「詳しくお願いします」

「……カロリーバー」


 絶句。

 別にカロリーバーが悪いわけじゃないが。

 思っていたよりずっとひどい食生活に鈴は頭痛がするようだった。


「よくこの状況で一緒に住もうなんて言えましたね……」

「それとこれとは別だろう」


 何が別なんだ、と目を鋭くした鈴に織之助がまた視線を逸らした。


「とにかく! 今日はドレスなんて結構ですから、必要なもの買いに行きましょう! で、織之助さまはちゃんと普段から帰宅してごはんも食べてください!」

「……善処する」


(……もしかして一緒に住むっていうより、部屋を貸してくれる的な感じだったのかな)


 でも、こんな暮らしぶりを目の当たりにして黙っていることなんてできない。

 主人であろうとなかろうと、織之助には健康でいてほしいのだ。


「お願いですから、織之助さまはもっとご自身を大切に……」

「鈴」


 遮るように名前を呼ばれて言葉が止まる。

 首を傾げれば織之助がゆっくり声を繋げた。


「呼び方戻ってる」


 ――な。


「今はそれどころじゃありません!」


 ムキーッとわかりやすく怒った鈴に、織之助は楽しそうに笑っていた。


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