第4話



 あのあと外部で親睦会なるものがあると言って車を手配させた正成は、「運転しますよ」と手を挙げた鈴を蹴ってさっさと一人で行ってしまった。

 社長専属というくらいだからてっきり本当に付きっきりになると思っていた鈴は少し拍子抜けをして、そのまま秘書室に戻った。

 

(にしてもパーティーってなに? 上流階級では普通なの? 日常なの?)


 どれだけ考えても一般市民として今まで生きてきた鈴にはパーティーの想像はうまくできないし、パートナーというのがどういう立ち位置なのかもわからない。

 ――秘書室の先輩方ならわかるかな。

 ちらりと隣のデスクを見ると、ちょうどこっちを向いた古賀と目があった。

 先輩二人のうち女性である古賀はしゅっとした美人で、外見は鈴と正反対のタイプと言える。

 はっきりとした目元と高い鼻筋に薄い唇、黒くて艶やかな髪は背中の中心まで伸びているにも関わらず癖ひとつない。

 

「土屋さん、共有スケジュール管理システムの使い方教えますね」

「あっはい! お願いします」


 凛とした声に背筋がスッと伸びた。

 端的な、けれどわかりやすい説明を聞きながら実際に操作して使い方を必死に脳へ詰め込む。

 開発部にいたときも部内社員のスケジュールは共有されていたが、役員になるとセキュリティの質も上がるらしい。

 社長・副社長・専務のスケジュールは本人たちと秘書室にのみ共有されていた。

 そこに先ほど正成と意識合わせをしたスケジュールを打ち込んでいく。

 ついでに自分のスケジュールも入力すると、横で見守っていた古賀が少し驚きの混じったような声でつぶやいた。


「……パーティー、土屋さんも参加されるんですね」

「さっき正成さ……社長に無理やり招待状渡されまして」

「徳川ホールディングスさんはパートナー必須のパーティーが多いですから、そういうことでしょう」


 表情を変えない古賀の言葉に鈴は、なるほど、とようやく少し腑に落ちた。


「秘書の仕事って本当にいろいろあるんですね……」


 正成はまだ独身である(多分)し、恋人がいるわけでもない(多分)。

 秘書というのはそういう際にちょうど便利な立ち位置なんだろう。

 

「まあ……」


 一人納得して頷く鈴に古賀が微妙な顔をした――そのとき、秘書室のドアが叩かれた。

 ガチャリと音を立てて開いたドアの先にいたのは。


「おつかれさま。古賀さん、ちょっといいかな」

「おつかれさまです、橘副社長。どうされましたか?」

「来週末の――……ああ、土屋もおつかれ」

「お、おつかれさまです!」


 秘書室になんの躊躇いもなく入ってきた織之助は古賀の横まで来ると、ちらりと隣にいた鈴を見て小さく手を挙げた。

 慌ててぺこりと頭を下げると微かに笑うような声が頭上に降った――気がした。


「来週末にある徳川ホールディングスのパーティーのことなんだが」

「はい。18時にというお話でしたよね」

「仕事の都合で少し遅れる。19時に変更でいいか」

「大丈夫です。スケジュール入れ直しておきます」

「ああ、頼んだ」


 目の前ですらすらと交わされるやり取りを聞きながら、鈴は頭を必死に回転させる。


(ええと、来週末の徳川ホールディングスのパーティーってあれだよね)


 正成が自分にパートナーを頼んできた件のパーティーだろう。

 話の内容からするに――織之助さまも出るってこと?

 思わず窺うように視線を向けると、それに気付いたらしい織之助が首を傾げて鈴を見た。


「どうした?」

「えっと、来週末の徳川ホールディングスのパーティーというのは……」

「土屋さんも出る予定のものですよ」


 答えたのは古賀だった。

 ああやっぱり、と鈴が頷いたのと反対に今度は織之助が怪訝な顔になる。


「出る予定?」


 聞いてないぞ、とでも言いたげな瞳が鈴をちくちくと刺した。


(私もさっき言われたばっかなんですって!)


 別に隠してたわけじゃない――心の中で抗議しつつ、表面はなんとか取り繕って口を開く。


「先ほど社長から招待状をいただいたので、出る予定です」

「社長が」


 繰り返して、怪訝そうな顔が一気に苦くなった。

 正成がたまに突拍子のないことをするのは鈴より織之助のほうがよく知っている。

 事あるごとに尻拭いを前世から散々してきたのが織之助だ。

 眉間に指を当ててなにやら考え込んでいる。


「……ドレスは持ってるのか?」

「ドレス⁉︎」


 普段聞くことのない単語に思わず目を剥いた。

 ドレスなんて、そんなの持っていない。

 

(あ、ウソ、一着だけある)


 ただし、成人式のあとの同窓会で着ていたドレスと言っていいのかわからない代物だが。

 頬を引き攣らせた鈴に織之助が大きく息を吐いた。

 鈴の反応は織之助の想定どおりだったようだ。


「す、すみません……」

「謝るな。お前は悪くないだろう。新卒1年目がちゃんとしたドレスを持ってるほうが珍しい」


 それはまったくおっしゃるとおりです。

 鈴は全面的に同意して勢いよく頷いた。

 まだ友人の結婚ラッシュも来ていない年齢である。ドレスなんて着る機会なんてそうそうない。


「次の休みで買いに行くか。これから使うだろうしな」


 「帰りにスーパー寄ってくか」くらいのニュアンスで織之助が鈴を見た。


「えっ、いいです。自分で買いに行きますよ」


 さっきのスケジュール管理システムで確認した織之助の予定はかなり詰まっていた。

 そんな忙しい人を、しかも前世でも今世でも上司に当たる人を、そんな個人的な買い物に付き合わせるわけにはいかない。

 慌てて顔の前でぶんぶんと振った手を織之助がガッと掴んだ。


「社長に土屋の面倒を見ろと言われてるんだ」

「それは……そうかもしれませんが」


 押され気味になった鈴に織之助は小さく口角を上げて、掴んでいた手の甲を親指でゆっくりなぞる。

 びくりと鈴が大きく肩を揺らした。


「織之助さっ」

「家の物も買い揃えたかったし、ちょうどいいだろう」


 抗議の声を織之助が被せて消す。


「副社長、引越しされるんですか?」

「いや。ただ足りないものがいくつかあるからそれを買おうと思ってる」


 古賀の質問に飄々と答えてのけた織之助に、鈴が唖然として口を開け閉めした。

 もしかしなくても、これから鈴が住む上で必要になるものを揃えようと言っている。


(古賀さんいるんですが⁉︎)


 せめてそういう話は二人のときに――と鈴が掴まれていた手をもう片方の手で引き剥がした。

 あっさり離れた手は惜しむことなく持ち主のほうへ戻る。


「そういうわけだから、土屋」


 にこりと優しく目尻を下げて織之助が改めて鈴を見た。


「詳しくは後で連絡する」

「……ハイ」


 逆らえない笑顔の圧力に、鈴は出会って二日目にして既に二度目の降参をした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る