第6話 ハインエア山脈

 ライオネルさんの家から旅立って二日目、俺達はハインエア山脈の中腹に到達していた。標高で言えば五百ターフ900mとそれほどの高さではないが、途中の道に何か所か断崖絶壁がある為、どうしても登るのが遅くなってしまった。

 特に俺は登山も素人だし、ただでさえ重い荷物を担いでいるものだからどうしたって遅れが出てしまう。それでもフォルジナさんに助けてもらいながら、ようやくここまで辿り着いた。

「ここからもっと登るんですか……?」

 水場があったのでそこで小休止。俺は荷物を降ろして肩を揉みながらフォルジナさんに聞いた。強い風が吹いているので近くにいないと声もよく聞こえない。それに細かい砂が舞っていて、ひどい時は目も開けていられない。

「もう少しね。山頂まで行く必要はないらしいわァ……八合目くらいで目撃情報が多いみたいね」

 フォルジナさんが帽子のつばを撫でながら言う。ライオネルさんに強化してもらった青い帽子で、身につけているベストも揃いの青色をしている。前の帽子には鳥の羽が付いていたが、今度の帽子には勾玉の形に削った魔獣の牙が縫い付けてある。一種のお守りらしい。

 フォルジナさんはポシェットから地図を取り出し、下ろしたリュックを椅子代わりに腰掛けて思案顔。見ているのはカケーナで手に入れたハインエア山脈の地図だった。過去の探検者が作ったもので信頼度は高いらしい。

「今私達が通っている中央ルートを進んでいくと七合目で三叉路に出る。そこを右に進むと、過去にジュエルビーストの出現したエリアに入る」

「強いんですか? その、ジュエルビーストって」

「強い……強いんでしょうね……この山の主だって言うし」

 フォルジナさんは小首をかしげながら答える。俺はそんなフォルジナさんの背後に横たわる魔獣の死体を見て、今更ながらフォルジナさんの強さを思い知った。

 倒れているのはブルーベアという氷の魔術を使う魔獣だ。さっきこの水場で水を飲んでいて俺達と鉢合わせし、ブルーベアは災難にもフォルジナさんに叩きのめされてしまった。死んではいないが、数時間は動けないだろうとフォルジナさんは言っていた。

 やらなければやられる。それはそのとおりなのだが、わざわざ魔獣の巣窟に入り込んでいる俺達の方が間違っている気もする。しかしそこは冒険者として割り切るべきなのだろう。こんな風に考えていられるのも、絶対的な力を持つフォルジナさんと一緒にいるからだ。自分や仲間が殺されそうになったら、ブルーベアにも優しくしようなどと思うわけがない。

「……フォルジナさん。やっぱり人の痕跡がありますね」

「えー? やっぱり?」

 俺は水場にしゃがみ込んで落ちているものを拾う。岩だらけの場所にぽつんと落ちているのは、野菜の切れ端だった。

「キャベツかな? まだ新しい……ここで調理したみたいです」

「ふうん……足跡もたくさん残ってるし、間違いないみたいね。私たちの他にもハインエアを登っている連中がいる」

 フォルジナさんは持っていた地図を畳んでポシェットにしまい、頬に手を当てて考え始めた。

「来る前にギルドでハインエア関連の仕事を見てきたんだけど特になかったのよね。鉢合わせたら面倒だから避けたかったんだけど……でもギルドとは別に動いている人たちがいるようね」

「でも後ろをついていけば安全なんじゃないですか? その人たちが露払いをしてくれる」

「あなたからすればそうでしょうけど、目的によるわ。私達と同じくジュエルビースト目当てだったりすると奪い合いになる。負ける気はしないけど……人間と喧嘩するのはちょっとね」

「ああ、そうか。後からついていってジュエルビーストを取られちゃったら意味ないですもんね」

 ジュエルビーストは全身が宝石で出来ているため希少価値が高い。そのうえ強力な魔獣であり倒すことが困難だから危険度も高い。その為、仕留める事が出来ればその価値は大きい。金持ちがギルドに討伐の依頼を出したり、あるいは冒険者たちが徒党を組んで一獲千金を夢見る。治安維持のために退治の依頼が出ることもある。今回の場合は後者ではないようだけど、わざわざハインエア山脈を上るとすれば、その一番の理由はジュエルビーストと考えられる。

「先回りできますかね?」

「私一人ならね」

「すいません、足手まといで……」

 そうだ。フォルジナさん一人ならきっとすぐに山を登ってしまうのだろう。こうして時間をかけて登っているのは、ひとえに俺の体力の無さのせいだ。

「いいのよ。あなたには魔獣料理を作るって大事な仕事があるんだから。そこまでの問題を解決するのは私の仕事よ。思い切って接触してみようかしら?」

「その……討伐隊か何かの人たちにですか?」

「ええ。目的が違うなら協力できるかもしれないし、一緒なのだとしても交渉は可能かもしれない」

「一緒に戦うから分け前をください、とか」

「そうね。ジュエルビーストが目当てと言っても必要なのは宝石や黄金。その肉自体は特に価値を持っていない。捨てていくのであれば肉を貰うことは可能かもしれない」

「そうですね。だったら俺達が危険な目に合わずに済む」

「個人的にはちょっと戦ってみたかったけど……手間がかからないに越したことはないわね。あなたを危険にさらさずに済む」

 ちょっと戦ってみたいだって……? 食べるだけじゃなくて戦う事も好きなのかな。ロックリザードを探しているときも何だか楽しそうだったけど、戦士系のスキルを持っている人はそう言うものなのだろうか。

「……話をつけに行くんなら、ちょっと急ぐ感じですか?」

 俺は肩を揉みながら聞く。休んでいる間に少しでも疲れを抜いておきたかった。

「いえ、夕方になれば次の水場で休息をとるはず。ゆっくり行っても追いつけると思うわァ」

「そうですか……よかった」

「何が?」

「いや、これ以上ペースが上がったらついていけないと思って……」

「そうね。いつも一人だから気にしなかったけど、普通の人って跳んだり登ったりできないのね。盲点だったわァ……」

 俺の前を歩くフォルジナさんにとって、急峻な岩場というのは平地と変わりがないらしかった。俺が一生懸命よじ登ったり尻を付きながら下るような斜面を、あの不安定そうな厚底ブーツで軽々と登っていってしまう。やはり人間離れした身体能力だった。

「もう少し休んだら行くわよ。夕暮れにはまだ時間があるけど、暗くなるまでには私たちも次の水場に着きたい」

「そうですね」

 俺は携帯食料を一口齧った。山登りは体力を消費するので食べた方がいいと、登る前にフォルジナさんに言われたからだ。そのせいか疲れてはいるのだが、もうひと頑張りできるような底力がまだ体の中にある。

 俺は山脈の上の方を見る。急峻な崖が連続していて、まだ山頂は見えない。さっき叩きのめしたブルーベアを含めここに来るまでにも何度か魔獣と遭遇したが、標高が高くなるほどに魔獣も手ごわくなる傾向にあるらしい。

 ジュエルビースト……一体どんな魔物なんだろうか。その肉は一体どんな味なのか? 楽しみなような怖いような気持が俺の心で渦巻いていた。

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