第4話ー2
「フォルジナさん、ありがとうございました。もう金は使っちゃってたし、俺だけだったら反論できませんでした」
「そう? 多分あなたは人が良すぎるのよ。金をふんだくってやるくらいの気持ちじゃないと損をするわよ」
そう言われ、何だか思い当たるような気もする。元の世界にいた時も、こっちに来てからも、俺はいつもあんな感じだ。もっと強気にならないと駄目だな。強気の自分なんて、あんまり想像がつかないけど。
「宿屋の場所は分かるわね? 眠る馬亭。悪いけど私は用事があるから、先に帰ってて。一時間くらいで戻る。食事はその後ね」
「分かりました。俺も包丁の研ぎを頼んでから戻ります」
そしてフォルジナさんはどこかへ行った。俺も研屋に行くとしよう。いつも頼んでいる店だ。町の外れにある。遠くの雑踏の音を聞きながら歩いていく。
「おっ。まだやってるみたい。良かった」
店の中から灯りが漏れている。ドアもまだ開いていた。
中に入ると、おじいさんが椅子に座ってパイプをくゆらせていた。目を半分閉じていたが、俺が入ると目を開け俺を一瞥する。しかしパイプを片付けるわけでもなく、そのままの姿勢だった。
壁には棚があり、そこには大小さまざまな大きさの砥石と木の台があった。それに色々な刃物……肉切りや菜切りといった包丁だけでなく、鎌やノミも置いてある。用途不明の湾曲した不思議な形状の刃物もある。これらは多分預かった刃物なのだろう。全部この人が研ぐのだ。
「……いらっしゃい」
俺を見てからゆうに十秒ほどの時間をおいて、ゆっくりと煙を吐き、おじいさんは言った。紫煙が丸い輪になって上昇していく。
「包丁の研ぎをお願いします」
俺は包丁をくるんでいる布を外し、おじいさんに渡した。おじいさんは包丁を縦にしたり横にしたりして刃の具合を見ている。先ほどまでの眠そうだった目が嘘のように鋭い。
「ふうん。この大きさなら……ちょっと待っててもらえば今できるよ。明日が良けりゃそれでもいいが。昼にはできる」
「そうなんですか? じゃあ……今お願いします」
「はいはい。ちょっと待ってな」
おじいさんは水桶の前に座り直し、砥石を水桶に入れた。
「なんか変わった肉を切ったのか? なんか変な脂だな……」
包丁の腹を指でなぞり、おじいさんは指の匂いを嗅いでいる。
「ええ、ちょっと」
まさか魔獣を切ったとは言えなかった。事実ではあるが、そんな事を言うと変人扱いされかねない。
「ま、すぐ終わるよ。その辺に座っててくれ」
おじいさんは包丁を研ぎ始めた。見た目が変わったわけではないが、雰囲気が別人のように変わる。前に来たときは若い人だったが、研ぎも熟練するとこんな風に達人っぽくなるのだと感じた。規則正しい擦過音が聞こえる。なんだか耳に心地よく、その世界に引き込まれそうになる。そして二十分ほどで研ぎは終わった。
「ほらよ。二千ダスク。切れ味が悪くなったらまた持ってきな」
「ありがとうございます」
俺は金を支払い、包丁を受け取る。するとおじいさんは最初の位置に戻り、またパイプの準備をし始めた。その顔つきは最初の眠そうなおじいさんに戻っていた。
一番気にかかっていた包丁の研ぎが終わったので、俺は宿に戻ることにした。リュックとか調味料とか買いたいものはたくさんあるが、もう夕方だから閉まっているだろう。明日でいいや。
俺は研いでもらった包丁の感触を布越しに確かめる。リュックが破れていくつかものが無くなったが、この包丁だけでも無事で本当に良かった。
この包丁は特別なものだ。俺がこの世界に来て初めて手に入れた包丁。世話になった人にもらった包丁なのだ。他の道具とは違い、これはこの世界にたった一つしかないものなのだ。
「おい、お前! クリヤか?」
突然名前を呼ばれ、俺は立ち止まった。この声は……嫌な予感がする。
声のした方には見知った顔があった。ケイラス。前の店で一緒に働いていた男だ。他に二人、男が一緒にいる。こっちは知らない顔だ。
まったく、嫌な奴にあった。せっかく包丁を研いでもらって気分が良かったのに。
俺は無視して歩き出したが、ケイラスはわざわざ俺の肩を掴んできた。
「おい、クリヤ! 二度と俺の前に顔を出すなって言ったよな?」
ケイラスが俺の服の肩のあたりを掴んで引き寄せる。酔ってるのか、こいつ。酒臭い。振りほどこうとするが、無駄に力が強い。
「あんたの事なんか知らないよ。放っといてくれ、迷惑だ」
「迷惑? 何言ってやがる! お前みたいなのが料理人やってる方がよっぽど迷惑なんだよ!」
ケイラスはそう言い俺の胸を突き飛ばす。頭に血が上りそうになるが、感情を抑える。こんな奴、相手にするだけ無駄だ。同じ店にいる時もそうだった。何かと俺に絡んできて、意味のない嫌がらせや罵倒を繰り返していた。
ケイラスはカケーナに住んでいる。だからこうして出くわす可能性はあったが、まさかこうも運悪く出会うことになるとは。
「ちっ! 無視する気かよ! その目が生意気なんだよ……何だ、何持ってやがる?」
「あっ、何するんだ!」
ケイラスは俺が脇に抱えていた革のケースを奪い取り、それを品定めするように眺め始めた。
「返せ! お前には関係ないものだ! 返せよ!」
「ふん、中に入ってるのは包丁か? こんなもん……!」
ケイラスが革のケースを地面に叩きつけ、そして踏みにじった。俺の頭の中で血管が切れる音がした。こいつ、なんてことを!
「やめろ! ケイラス、やめろって言ってるんだ!」
ケイラスを止めようとする俺を、連れの二人の男が阻む。腕を掴まれ羽交い絞めにされ動くことが出来ない。革のケースが……包丁が泥にまみれていく。かけがえのない大事なものが……!
「お前みたいなスキルの奴に包丁なんていらんだろ? なあ、魔獣料理のスキルのケンタウリ!」
革のケースが壊れ、包丁が転がりでる。ケイラスはそれを思い切り踏みつけにする。顔には野卑な笑みを浮かべ、楽しそうに俺の包丁を踏みつけにしていた。
「やめろっ!」
俺は完全に切れた。生まれて初めて感じる強い怒り……俺は羽交い絞めから強引に抜け出し、ケイラスに殴りかかった。
・誤字等があればこちらにお願いします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます